第一礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2005年4月24日

「息を吹き入れる」

井川 正一郎牧師

エゼキエル書 37章1-14節

中心聖句

Ezekiel 37:5 

神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ 。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

(エゼキエル書 37章5節)


A.はじめに

旧約聖書エゼキエル書37章5節を読みます。

神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。 わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

長年ご奉仕された教会員が危険な状態との連絡を受けて、病院にお 見舞いしました。

示された聖書のことばは「命のい ぶき」、そして讃美歌も「いのちのいぶ き」。そばにおられるご家族の皆さんとともにお祈りする際、あてはめさ せて頂きました。

神は人を創造された時、ご自身のいぶきをもって人に命を与えて下 さり、また主イエス様は復活直後、弟子たちにあらわれて息をふきかけて聖霊を受けな さいと語られた。神のいぶきによって命が与えられました。私たちはこのおことばに信 頼しながら、お祈りをささげました。

その2日後に亡くなり、地上の生涯が長からんと切にお祈りし、その 意味での命のいぶきが、との願いがありましたが、神の答えは 永遠の御国における新しい生涯でした。その意味での命の息吹き であったかと互いに悟りました。

人には神から与えられた命--地上における肉体的・動物的生命と、 いわゆる霊的生命があります。

肉体的動物的生命は死をもって朽ちます。しかし霊的生命は主を受 け入れ、永遠の生命を与えられるとき、それはまさに永遠の命、神と同じ性質を持った 命であります。主とともに生き続けるものであります。

今回はそのことを心にとめつつ、また折しもイースターをこえてペ ンテコステに向かっているお互いの歩みを覚えながら、エゼキエル書37章を思い巡らす よう示されました。

枯れた骨に神が息を吹き込むことによって人を生き返らすことがで きます。枯骨の谷の幻であります。それらを箇条書き的に3つのことを申し上げ、メッ セージとしたいと思います。

B.その状況について

まず一つ目は、状況−それは生き 返ることが不可能と思われる状況であったということであります。絶望的 状況であります。

この箇所は枯れた骨の幻、枯骨の谷の幻であります。その骨は生き 返ることができるのか。もはや生き返ることなど、不可能と思われる状況にある人々で す。この幻の意味を後半で述べています。11節をお読みします。

エゼキエル37:11 主は私にこう仰せられた。「人の 子よ。これらの骨はイスラエルの全家である。ああ、彼らは、『私たちの骨は干からび 、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる』と言っている。

骨はひからび、望みは消え失せ、断ち切られているという絶望的状 況であります。

預言者エゼキエルは祖国イスラエルから遠く離れたバイロンにいる 。なぜバビロンにいるか。イスラエルの民はその罪のためにバビロン帝国によって国は 滅ぼされ、人々はバビロン捕囚となりました。その中にはあのダニエルやその友人たち 、そしてエゼキエルも含まれていました。

イスラエルの国は神に対する罪の故に、その結果を刈り取る必要が ありました。神に対する純粋な信仰は失われ、形式的な儀式形式は残されていましたが 、そこには真実の信仰の姿はなく、罪に覆われていました。

まさにそれ故に国はやぶれ、形だけの信仰のよりどころとなってい た神殿、これがあるから大丈夫だとたかをくくっていた人々ですが、そのよりどころも 破壊され、自分の国も家も持ち物もすべて取り去られ、遠い異国に連れて行かれます。

神はその罪を示し、本当の悔改めに導くために目 に見える物質的なものを排除して、頼るべき方は神しかおられないと悟る状況に追い込 まれる時があります。

預言者エゼキエルは、ダニエルと同じようにバビロンの地で預言者 として奉仕した人物です。

ダニエルはその幻を解く賜物を与えられ、王の近くにあって、いわ ば政治的立場にあっての大きな視野をもって国家の行く末についての預言活動を行いま した。

エゼキエルはその出身が祭司ではないかと言われていますが、その 立場からその立場に相応しく、神の宮の栄光、神殿について、また神殿に仕える者たち 、また多くの人々の霊的状態についてを中心にしつつの預言活動を行ないました。

エゼキエル書は48章ありますが、その前半は神殿に仕える者や人 々の罪の指摘、それ故に神の栄光が去っていくとの預言を残しています。イスラエルだ けでなく、周りの国々に対する預言も加えながら、エゼキエルは奉仕します。

後半33章あたりから、その回復に焦点が移されていきます。ちょう ど36-37章は神からイスラエルの栄光の回復についての預言の箇所に当たります。

36章は祖国イスラエルの土地の回復、人々の回復について、3章は特 にその信仰、霊的生命の回復に焦点が合わされています。

状況は全く生き返るなどあり得ない状況、絶望的状況です。しかし 、神がその息吹を吹き込まれる時、生き返るといいます。

人に命をもたらし、よみがえらせて下さるのは、神であります。神 ご自身のみわざによるものです。

主イエス様をその墓からよみがえらせて下さったように、人々の墓 を開き、引き上げて下さり、イスラエルの地に連れ戻して下さるのは、神であります。 12節と13節をお読みします。

エゼキエル37:12 それゆえ、預言して彼らに言え。 神である主はこう仰せられる。私の民よ。見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あな たがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。

37:13 わたしの民よ。わたしがあなたがたを墓から 引き上げるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。

そのことをして下さる方は神以外なく、そのことを徹底的に知る必 要があると迫られる。13-14節にある通り、「わたしが主であることを知ろう」という ことであります。13-14節をお読みします。

エゼキエル37:13 わたしの民よ。わたしがあなたが たを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。

エゼキエル37:14 わたしがまた、わたしの霊をあな たがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがた の地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、主であるこれを語り、これを成し遂げ たことを知ろう。---主の御告げ---」

「・・・この絶望的状況に陥ったのは、その神を捨てたからではな いか。神を信じているかのようにふるまっているが、その実はからっぽである。ただ形 だけのものにすぐなくなっている。模範を示さなければならないはずの神殿に仕える祭 司を筆頭に神を忘れ、背を向け、汚れた罪にまみれている。絶望的状況はその結果では ないか。人々よ、思い起こせ。なぜ、このような状況になっているのか。それは心から の信仰が失われているから。神を忘れているからだ。それを思い出してほしい。気付い てほしい」、そうエゼキエルは心から叫ぶのであります。

C.条件について---絶望的状況を変える条件

ニつ目は、条件についてとは、絶 望的状況を変える条件について、一言でいえば、 心からの悔い改め、罪から離れることであります。

36,37章と回復の預言が続いていますが、これは実は33章からの一連 の回復の預言についての流れにあります。

見張り人としての立場から警告のメッセージを語るエゼキエル。そ のメッセージの中心は悔改めよ、立ち返りなさい であります。

預言者としての奉仕はそのことをしっかり伝えなさいということで あり、人々がそれを聞くものの、悔い改めるか否かは個人の問題責任であります。

預言者は「こうであれば必ず生きる。こうでなければ必ず死ぬ」と 明確に伝えることで、伝えなければ預言者の責任であり、伝えれば、あとは受け取った 人々、個人個人の責任なのであります。

メッセージの中核は「立ち返れ、悔改めよ、罪から離れよ」であり ます。少しとんで36章25-26節をお読みします。

エゼキエル36:25 わたしがきよい水をあなたがたの 上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべ ての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、

36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたの うちに新しい霊を授ける。わたしはあたながたのからだから石の心を取り除き、あなた がたに肉の心を授ける。

汚れをきよめて頂き、新しい心を頂戴し、新しい 霊を授けて頂く−これが絶望的状況を変える条件であります。

神は枯れた骨の幻を示しながら、「イスラエルの人々がこの条件に 当てはまるとき、骨は生き返ることができる。そのことをなすのは神ご自身だから」と 語って下さるのであります。

D.結果について

37章の生き返り方の具体的描写が興味深いのであります。

エゼキエル37:6 わたしがおまえたちに筋をつけ、 肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき 、おまえたちは私が主であることを知ろう。」

37:7 私は、命じられたように預言した。私が預言 していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながっ た。

37:8 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき 、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。

37:9 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ 。人の子よ、預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹 いて来い。この殺されたものたちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。

37:10 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼 らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団 であった。

骨と骨がつながり、肉が生じ、皮膚がおおいました。でも、まだ息 はありませんでした。

息が吹き込まれたとき、自分の足で立ち、多くの集団となりました 。声は「軍団となった」と解釈されます。戦う集団、精鋭となるということであります 。ある訳では「イスラエルの人々は隊列を組んで整列した」とあります。

E.おわりに

しめくくりとして、二つのことを申し上げます。

まず、今の状況を的確に理解しよ う!ということであります。

絶望的状況かどうか。悔改め、罪から離れる必要があるかどうか。 なぜ、そのような状況に陥っているのか、その原因は何か。状況を的確に理解しよう、 ということであります。

もうひとつは、神の隊列の中に整 列している、立ち上がっているお互いであることを理解しよう!というこ とであります。生き返っているのはそのためであります。

「わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、 おまえたちは生き返る。」---今回のメッセージです。ご一緒にお祈りしま しょう。


Message by Shoichiro Ikawa,deputy pastor of Na kameguro IGM Church

Compiled by K.Otsuka /April 24,2005