プレイズ・ワーシップ メッセ ージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日 本聖書刊行会)によります。

2005年4月24日

「再臨の主を待ち望む」

竿代 照夫牧師

テサロニケ人への手紙第一 1章10節

中心聖句

1 Thessalonians 1:10 

また、神が死者の中からよみがえらせなさった御 子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来 られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです 。

(テサロニケ人への手紙第一 1章10節)


A.はじめに

最近は、突然の訪問というのがほとんどなくなりました。電話の発 達によって、あらかじめ電話をしないで突然玄関先に現れるのはよほどの急用でない限 りは失礼と考えられているからです。

実は「キリストが再び来られる」(これを「再臨」といいます。第 一の来臨はクリスマスであり、それとの関連で、「第二」という訳です)という予告は 、新約聖書の中で実に319節言及されています。新約聖書の節数は約8千ですから、 25節に一回は言及されていることになります。それほど、キリストが再び来られると いうことは大切な事柄であり、予告されている事柄なのです。

では、キリストが来られるという のは本当なのか、本当であるとすれば何 のために、どのような形で、いつ来られるのか、そのために私達が備えることはなにか、という五つの点について、 聖書の語っていることをそのままお話ししたいと思います。

B.再臨は本当?

1.十字架につく前にご自分が語られた

マタイの福音書26:64 イエスは彼に言われた。「あ なたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が 、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになりま す。」

2.昇天の後で御使いが語った

使徒の働き1:11 「・・・あなたがたを離れて天に 上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で 、またおいでになります。」

3.クリスチャンとなったばかりのテサロニケ教会の人々は再臨を切 望していた

テサロニケ人への手紙第一1:9b ・・・あなたがた がどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、

1:10a また、神が死者の中からよみがえらせ なさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが 天から来られるのを待ち望むようになったか、・・・

ここからわかることは何でしょうか。

再臨とは夢物語ではなく、確かに 起きることがらの予告であり、キリストを信じたものならみなその希望をもって生きて いる、いわば信仰者の希望であるということです。

C.再臨の目的

1.ご自分の民を救うため

ルカの福音書21:28 これらのことが起こり始めたな ら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」

2.罪の世を裁くため

テサロニケ人への手紙第二1:7 苦しめられているあ なたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって 正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて 天から現われるときに起こります。

1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの 主イエスの福音に従わない人々に報復されます。

3.公正と平和に満ちた支配を確立するため

ダニエル書7:14 この方に、主権と光栄と国が与え られ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権 は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

まとめて言いますと、キリストの再臨が無いと仮定すると、この世 の正しい締めくくりがないままに終わる、ということなのです。

キリストがおいで下さって、この世の公正と不正 の帳尻を合わせなさらねばならないのです。そこに迫害や困難に耐えてい るクリスチャンの希望があります。

D.再臨のありさま

1.キリストにある死者の復活と信仰者の携挙(けいきょ)が起きる

テサロニケ人への手紙第一4:16 主は、号令と、御 使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。そ れからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼 らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして 、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

2.誰にでも分かるはっきりした形で

マタイの福音書24:30 そのとき、人の子のしるしが 天に現われます。すると、 地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲 に乗って来るのを見るのです。

3.再臨の後に「患難の時代」→栄光に満ちた「千年期」→「大審判 」→「永遠の至福の時代」

マタイの福音書24:21 そのときには、世の初めから 、今に至るまで、いまだか つてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです

ヨハネの黙示録20:6 この第一の復活にあずかる者 は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持ってい ない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

再臨という出来事は、それでもって一切が終わってしまうという締 めくくりというよりも、歴史が最終結末に向かう「始 まり」と見るほうが妥当でしょう。

E.キリスト来臨の時

1.その「時」はみ父以外誰も分からない

マタイの福音書24:36 ただし、その日、その時がい つであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知 っておられます。

2.しかし、その前兆は知らされている

マタイの福音書24:32 いちじくの木から、たとえを 学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

24:33 そのように、これらのことのすべてを見たら 、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

再臨の時を想像したり、決めてしまったり、という行きすぎは、教 会歴史の中で何回も繰り返された誤りです。現在、世界で起きている様々な出来事は、 マタイ24章が述べているような予兆にあたります。その予兆の中には、いつの時代でも 当てはまるような一般的なものもあり、近年になって現実性を帯びたものもあります。

例えば全世界への宣教の成就がそうです。また、イスラエル国家の 復興も19世紀にはなかった現象です。ですから、私達は、 この21世紀は再臨に「より近い」といえますが、それ以上の事は言えません。いつ でも目をさましていることが大切です。

F.キリスト来臨への備え

1.心を清く保とう

ペテロの手紙第二3:11 このように、これらのもの はみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔 な人でなければならないことでしょう。

2.友を主に導こう

ペテロの手紙第二3:9 主は、ある人たちがおそいと 思っているように。その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、 あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、す べての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

3.浮つかないで静かな生活を

テサロニケ人への手紙第二3:12 こういう人たちに は、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得た パンを食べなさい。

3:13 しかしあなたがたは、たゆむことなくたゆむ ことなく善を行ないなさい。兄弟たちよ。

再臨を意識することは大切ですが、意識しすぎて、毎日の仕事に手 がつかないとか、日々の善行を忘れて上ばかり向いているという非常識は慎むべきです 。

社会に対する態度もそうです。どうせ、世は悪い方向に行くのだ、 そこにキリストの干渉があって一挙に新しい世界が出現するのだ、そうならば社会を改 良しようという試みは無駄だ、政治はどうせ汚れているものだ、だから汚れるに任せて キリストの再臨で一気に大掃除してもらおう、というのは退嬰的、脱社会的で感心しま せん。

完全な改良は無理であったとしても、 私達は地の塩、世の光として、しかも究極的には再臨の主への希望をもって一歩で も社会の改善のために努力すべきです。お祈り致します。


Message by Rev.Issac T.Saoshiro,senior pastor o f Nakameguro IGM Church

Compiled by K.Ot suka/April 24,2005