礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2005年8月28日
 
「石が崩される時がある」
マルコの福音書連講(68)
 
竿代 照夫牧師
 
マルコの福音書13章1-13節
 
 
[中心聖句]
 
 2  すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
 
(マルコ13章2節)

 
始めに:受難週・火曜日の諸論争が終わって
 
  主イエスにとって、受難週の火曜日は、一番忙しい一日でした。この日には、敵意に満ちた人々に囲まれての論争が起き、それが終わったところで「やもめの献金」という心暖まるエピソードが入ります。早春の太陽が落ちて行く頃、夕日に赤く染まった神殿を眺めながら、弟子達との大切な問答が繰り広げられます。
 
A.神殿破壊の予言
 1.弟子達の感嘆(1節)
 
 
「13.1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。『先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
 
1)弟子達のコメント:

一日の戦いを終えて、神殿を退出し、その日の宿舎であるベタニヤ村に向かおうとしたイエスの足を、弟子達の感嘆の言葉が止めました。実は、弟子達が感嘆する前に、巡礼の人々がそのような賛嘆の言葉を口々にもらしていたのです。 ルカ21:5を見ますと、「宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。」と記されています。

2)ヘロデの神殿:

ここでまた、神殿を再現した絵を見ていただきましょう。私達の多くが頭に描いている小さな質素なものではなくて、実に美しい、壮大な観物でした。 これはヘロデ大王が主イエスのお誕生の15年ほど前から始めたもので、着工から完成まで何十年もかけて、ローマから技術者を呼び寄せて作った立派なものです。ヘロデ・アンテパスが父の工事を引き継いでおり、イエスの時代には46年目でしたが、AD70年に破壊されるその前の年まで工事は継続していたそうです。

これを計画したヘロデ大王が大変信心深かったかと思うと、左にあらず、彼程権謀術数の中に生涯を過ごした人は居ない程、世的な人物でした。その彼が神殿建設を思い立ったのは、一重に政治的目的でした。彼自身がイドマヤ人であったので、何とかユダヤ人に受け入れてもらいたいと、ユダヤ人の祭司の娘を嫁にした人です。その延長として、こんな大プロジェクトを考え出したのです。

それまでの神殿は、ゼルバベルの神殿と言われるもので、紀元前6世紀の終わりに、捕囚から帰還したばかりの人々が、その前の神殿の建築材料を再利用して建てた、言わば貧しいものでした。ヘロデが用いた「これらの石」とは、15x7x5mの大きさで、白くて丈夫なものであったとヨセフスは記録しています。白と緑の混じった大理石ですから、ヘロデの神殿の壮麗さは、人々に強烈な印象を与えました。イスラエルにおいて、これに勝る立派な建物は存在しませんでした。ガリラヤの田舎から来た弟子たちがその神殿の壮麗さ、壮大さにひどく感銘し、ユダヤ人にとってその信仰の拠り所である神殿を、我が事のように誇り気に語り合ったのは、言わば当たり前です。

 
 
2.神殿破壊の予言(2節)
 
 
「13.2 すると、イエスは彼に言われた。『この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』」
 
1)破壊の予言:

修学旅行の生徒さながらにはしゃいでいる弟子たちの頭から冷や水をかけるように、主は驚くような予言をなさいます。この神殿の石が一つとして、今の位置には留まらない、つまり、神殿は徹底的に破壊される、と予告されるのです。

2)予言の成就:

この予言は恐るべき形で成就しました。この予言の40年後、ローマ皇帝は、何度も何度も反抗を繰り返すユダヤ人に業を煮やして、将軍ティトス率いる大軍を遣わします。2年間の包囲の末にローマ軍はエルサレムの城内に突入するのですが、その時のローマ皇帝の命令は、幾つかの塔と城壁を残して、全てを破壊せよというものでした。

将軍のティトスから命を受けたルフスがこれを実行するのですが、兵士達は文字通り平地になるまで石を放り出し、中には基礎部分の石まで掘り返す兵士もいました。神殿後は耕作ができる程であったと言われています。

これには裏話があります。兵士達は、ユダヤ人が金持ちで、エルサレムから逃げる時に、大切な財宝を石と石の間に隠して行ったと言う事を嗅ぎ付けて、文字通り石と言う石を全部ひっくり返して宝探しをするのです。実際に、宝物は見つかったといわれています。

3)物質の虚しさ:

弟子たちが感嘆した対象である壮麗な石が、半分焼けこげ、ひっくり返される光景を思い描いて下さい。人間が誇る建築美も、その他のどんな美しさも、みんな過ぎ行くものです。私達の会堂も、まあ、多くの方が誉めて下さって嬉しくなくはありませんが、でもそれは所詮建物なのです。その美しさに必要以上に心を留めると、弟子たちと同じような評価をイエス様から受けてしまいます。物質である建造物に何か永続的な価値を見いだし、それを信仰生活の拠り所とすることほど儚いことはありません。

4)破壊の意味するもの:

イエスは、弟子達に神殿崩壊という恐るべき悲劇に向けて心ぞなえをなさったことでしょう。神殿こそは、パレスチナのユダヤ教の拠り所でしたから、そこが徹底的に破壊される事はユダヤ教とに取っては、全ての望みが崩壊する事を意味していました。また、ユダヤ教というおむつを付けたままのクリスチャンに取っては、ユダヤ教からの脱皮を余儀なくされるという発展の契機ともなりました。イエスの予言は、将来起こるであろう悲劇的な出来事に対して弟子たちの心を備えるものでもありました。

 
3.弟子達の質問(3−4節)
 
 
「3.イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。
4.『お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。』」
 
1)オリーブ山での一休み:

エルサレムの東側の城門を出て、イエスと弟子達はケデロンの谷を下り、間もなく上りに転じて、オリーブ山に向かいます。その間小一時間くらいはあったことでしょうか。弟子達は、神殿に関するイエスの厳しい予言が、喉に刺さった棘のように心に引っかかっていました。オリーブ山についてホッと一息、たぶんそこら辺の岩に腰を降ろして一息入れたところでペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの四人がそっと近寄ってきました。オリーブ山からは神殿の光景が完全に見渡す事ができました。

2)弟子達の質問:

道々この四人は話し合ってきたのでしょう。大変的を射た質問でした。質問は二つ、主イエスが語られた終わりの日は何時来るのか、その前兆は何か、ということでした。マタイはさらに、これが三重の質問であったと記しています。

「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24:3)

つまり、エルサレムの破壊、キリストの来臨、世の終わりは何時来るのかと。

 
B.エルサレム崩壊の前兆
始めに:複合的予言について
 
  5〜13節までの予言は、何の前触れに関してでしょうか。この予言は他の二つの福音書にも記されていますので、比較しながら学ぶことも大切です。この学びの中で説明して行きますが、イエスは終わりの日について二つの大きな出来事を一緒にして語っておられるようです。一つはAD70年に起きたエルサレムの破壊・滅亡、もう一つは主イエスの再臨であります。

弟子たちの質問も複合的であり、イエスの答えも複合的でありました。私達が山地に入って遠くの山々を見渡しますと、近くの山、遠くの山が、一つの線で描かれるのと似ています。こちらから見ると一つの線なのですが、実際に近づいてみると一つの山と次の山の距離が何キロも離れているように、イエスの終わりの日の予言も、この両者が入り交じっていますので、解釈するときには大きな注意が必要です。それを心に留めながら、イエスの語られた事に踏み入りましょう。

5〜10節までには7つの前兆が記されています。前にもお話しましたように、これは70年のエルサレム陥落の前にも起きて、クリスチャンたちがヨルダン川東部に逃げ出す時の役にも立ち、同時に現代クリスチャン達がキリスト再臨に備える役にも立っています。最初に、キリストが予言された第一のターゲットであるエルサレム崩壊とその予兆という角度から、この分節を概観します。

 
1.偽キリスト(5〜6節)
 
 
「5.そこで、イエスは彼らに話し始められた。『人に惑わされないように気をつけなさい。
6.わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、「私こそそれだ。」と言って、多くの人を惑わすでしょう。」
 
「私こそそれ」、とはキリストのことであると、マタイは補足説明しています。(24:5)偽のキリストを名乗るものは、イエス時代にも多くいました。ローマの軛から救うと証する偽キリスト(エジプトの預言者)としては、イエスの十字架の直後シモン・マグス(使徒8:9,10)が現れ、神の子と自称しました。その後も何人もの自称キリストが出て来た事をヨセフスは記録しています。
 
2.戦争(7節)
 
 
「7.また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。」
 
戦争の噂の例として、ローマ皇帝カリグラが、エルサレム神殿に自分の銅像を建てよと命じた事を巡って戦争が噂されました。
 
3.紛争(8節a)
 
 
「8.民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」
 
「民族は民族に」立ち上がった例として、ユダヤ人とシリヤ人がカイザリヤにおいて民族紛争を巻き起こし、ユダヤ人の追放と言う結果を招いた、という事件を挙げることが出来ます。内2万人が殺されたと言われています。同様な事件があちこちに多発しました。「国と国」という事例としては、ガリラヤのユダヤ人とサマリヤ人が、巡礼者殺害と言う事件を巡って戦争に近い状態になりました。
 
4.地震(8節b)
 
 
「方々に地震があり」
 
第一世紀において、地震が多発していたことが記録されています。クラウデオ皇帝の時、クレタ島に大地震が起きましたし、ネロ時代にラオデキヤで大地震があったと記されています。
 
5.飢饉(8節c)
 
 
「ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。」
 
エルサレムの飢饉がアガボの予言通りに起きたことは有名です(使徒11:28)、その時多くのものが餓死しました。イエスは、エルサレムの破壊を出産に例え、その予兆的な出来事を陣痛に例えています。
 
6.迫害(9−13節)
 
 
「9.だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。
10.こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
11.彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
12.また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。
13.また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」
 
文字通り、ペテロも、ヤコブもこのような迫害に遭いました。サウロは厳しい迫害をクリスチャンたちに加え、後に救われてパウロとなりましたが、彼自身もっと厳しい迫害に見舞われました。彼らは議会や裁判所に引きずり出され、不当な、また厳しい裁判を受けました。議会(=72名からなるサンヒドリンという国民議会) に引き渡された例としてはペテロとヨハネを挙げることが出来ましょう(使徒4: 5)

会堂(3名の会堂司で構成される民衆の裁判所)でむち打たれたのはパウロです。総督や王達は、ローマ総督であったフェリクス(使徒24:25)を思い出させます。「使徒の働き」の記述以降のものとして、ネロの血なまぐさい迫害によってパウロ、ペテロ始め多くのクリスチャンが犠牲になった事も思い出されます。クリスチャンであると言う名前の故に多くの者が殺されました。悲しい事ですが、この時何人かのクリスチャンは自己保身のために、他のクリスチャンを裏切った事も記されています。

 
7.福音の伝幡(10節)
 
 
「10.こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」
 
迫害にも拘わらず、(あるいは、その故にこそ=ユダヤ人の拒絶によって異邦人により積極的に)全世界に向けて福音は力強く伝達されて行きました。もちろんこの当時の全世界は、彼等が知っているローマ世界のことではありましたが・・・。これに加えて、スペイン、エチオピア、パルテヤ、インドまで福音は1世紀に伝えられました。実際、ネロ時代のローマでは、クリスチャンの数は数え切れない程であったと言われています。
 
C.再臨の予言
 
 
1.予兆はイエス再臨に向けてのものでもあります。これらの特色は、何時の時代にも当てはまるともと思われます。
 
2.この特色は何時の時代にもあてはまりますが、私はかなりの確度をもって、これらは今の時代を指していると考えます。私は特に下記の5つを見たいと思います。

  • 1)偽キリスト:統一協会の文鮮明始め、多くの偽キリストが表れています。
  • 2)戦争を繰り返しているのは今も昔も変わりませんが、20世紀に入っての戦争の数はそれまで歴史に記された戦争を合わせたよりも多いというコメントがあるくらいです。21世紀に入っても変わりませんし、むしろ増加傾向にあります。冷戦の終焉によって平和が訪れるかと思いきや、民族間の紛争は増加しています。
  • 3)飢饉や地震は私が敢えて言わなくても、メディアでしばしば報道されている通りです。
  • 4)迫害についても、共産国のそれは減りましたが、イスラム圏に於いてのクリスチャンへの迫害は激しさを増しています。JEAの祈祷課題の中でも、インド、パキスタン、インドネシア、アラブ諸国の教会迫害はエスカレートしています。 中国、北朝鮮の地下クリスチャンへの迫害は本当に目を覆うようなものです。
  • 5)福音の伝達も、その反面力強く進んでいます。今、キリストの名前を聞いたことのないという民族グループはごく一部に限られており、その人々に対しても積極的な果敢な宣教が試みられています。
  •  
    終わりに:私達の心構え
     
     
     
    1.目を覚まし、祈ろう

    何時再臨があってもおかしくないような予兆が与えられているのが現代であることを覚え、格別な緊張をもって、期待と望みを持って主のご来臨に備えたいと思います。

     
    2.パニックにはならない

    確かに予兆は存在しますが、それ故に今している仕事が手に着かないというほどパニックになってはいけません。キリスト教の歴史の中で、このパニック現象が繰り返され、その度に非常識な脱線がなされました。ホーリネス教会の分裂もその一つの悲しい事例です。

     
    3.諦めにも陥らない

    終わりの日に向かって、世の中が悪くなると言う予言は、私達の社会への取り組みを弱めてしまう危険もあります。どうせ戦争はなくならないのだから、戦争を止めさせる努力は無意味だ、とか、イスラエルは最後の戦争の主役になるのだから、 その時までは中東に平和は訪れっこない、ならば中東和平の努力など必要ない、という一種の運命論が福音派の中に存在します。これもまたパニックと同じく危険です。

    もちろん人間の努力によってユートピアが出現すると信じるほどナイーブであってもいけませんが、悪しき社会の中にあっても、少しでもそれを良い方向に向けようと言うキリスト者としての努力は続けなければならないと思います。その努力を続けながらではありますが、社会の改良には限界があって、最終的にはキリストの再臨と直接の干渉によって、恒久平和が確立することを待ち望みつつ、伝道に、良き業に励みたいと思います。

     
    4.輝かしい希望に生きる
    夜が暗くなればなるほど、朝は近いのです。今日私達はあらゆる面で行き詰まった社会に生きていますが、再び来られる主が角口に立っておられることを覚え、希望をもって日々の営みを全うしましょう。特に、主に見える日までに多くの友を主に導き、主と共に永遠に生きる者と備えさせていただきましょう。