1) 上記のキリストに会って約一年後、ヨハネは主イエスに
招かれ、仕事と父を捨てて、キリストに従う生涯に入ります。その時兄のヤコブも一緒
でした。(マタイの福音書4章21-22節)
2) 12使徒の一人に選ばれます。(マルコの福音書3章17節)
3) 兄ヤコブとともにボアネルゲ(雷の子)と主に呼ばれました。この性格の激しさ
は、イエスを受け入れなかったサマリヤ人に対して「主よ、私たちが天から火を呼び下
して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」と言い、主に戒められたこと(ルカの福音書9
:54-55節)や、イエスの栄光の座の隣につけて欲しいと願った(マルコの福音書
10章37節)ことに現れています。
4) イエスの地上の宣教生涯における3度の重要な場面でヨハネ、ヤコブ、ペテロの
3人だけが同行を許されています(ヤイロの娘の癒し、変貌山、ゲッセマネでの祈りの
時。)
5) 最後の晩餐の用意をするために遣わされました。(ルカの福音書22章8−13
節)
6) 最後の晩餐で主イエスの右隣に座りました。(ヨハネの福音書13章23−25
節)直訳すると「御胸のそばで、(食事のために)からだを横にしていた」ということ
で、「イエスが愛された弟子」の面目躍如です(ちなみにイエスを裏切ったユダは左側
の最上席にいました)。
7) 十字架上のイエスから母マリヤを託されました。(ヨハネの福音書19章26−
27節)
8) イエスが復活された朝にペテロと一緒に墓に駆けつけました。(ヨハネの福音書2
0章3-20節)
9) 復活されたキリストがテベリヤ湖(ガリラヤ湖)に現れたときにそこにいました
。(ヨハネの福音書21章20節)
10) 初代教会において迫害されつつも大胆に宣教し、エルサレム教会の指導者であ
り、「柱」として重んじられていた(ガラテヤ人への手紙2章9節)ことがわかります
。
11) 彼は晩年パトモス島に流され、黙示録を著しました。(ヨハネの黙示録1章1
節)
12) ヨハネは非常に高齢までエペソに留まっていたと言う伝承があり、「エペソで
眠りについた」と初代教会のエペソの監督ポリュクラテスによってもいわれている(ヨ
ハネの福音書21章20−23節)との記述が残っています。
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