礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2005年10月16日
 
「女預言者デボラが立ち上がる」
 
井川 正一郎牧師
 
士師記4章1-16節
 
 
[中心聖句]
 
 14  そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」
 
(士師記4章14節)

 
はじめに(士師記について)
 
 
士師記を開きました。士師記について改めて復習の意味でおおまかに話します。

はじめに、時代背景ですが、紀元前1,450から1,300年前後です。その前後の約450年の期間です。ヨシュアの死後、秀でたリーダーが出ない時代でした。カナンの地に入ったイスラエルの民。カナンの地全部を治めることが主の御心であったのですが、実際はそうではなかったのです。カナンの原住民と入り交じった形で、その習慣と偶像との戦いが続きました。霊的に一進一退の時代です。部族お互いに次第に無関心となり、ある時は争いさえするようになりました。自分達だけで固まる姿です。傑出したリーダーが出ず、また周囲の敵を排除しない、そのような霊的状態でした。

背信(反逆)→審判(苦悩)→叫び→士師派遣というサイクルです。苦悩よりも、平和な期間のほうが長いのです。士師時代は約450年ですが、その350年位はイスラエルの民は穏やかに過ごしました。神に従いました。しかし、あとの100年が暗黒なのでした。

士師、さばきつかさですが、大士師は6人(オテニエル、ギデオン、サムソン等)で、多くの記事がある士師です。小士師6人(シャムガル、トラ、ヤイル等)は名前だけの士師です。その特徴は、一時的軍事的リーダー、限られた地域範囲と時間、しばしば、主の霊が注がれた、といえます。

きょうは、4章、士師4番目のデボラ(バラク)に焦点を合わせたいと思っております。

4章1節。前の士師エフデ或いはシャムガルによって与えられた平和な期間、80年が過ぎ去りました。その後、再びイスラエルの民は神に背を向けたのです。主の目の前に悪を行いました。それで、また一つのサイクルが始まったのです。反逆→審判/苦悩です。カナンの王ヤビン。またその将軍シセラの登場。鉄の戦車900両という強力な軍隊を持っていました。それをもってイスラエルを圧迫したのです。20年の間、イスラエルを苦しめました。ようやく、みずからの姿に気付いたイスラエル、主に助けを呼び求めました。主に叫び求めました。4節です。そのころです。女預言者、そして士師デボラの登場となるのでした。

デボラは立ち上がりました。カナンの王の軍隊と戦うべく、立ち上がるのです。北に向いました。ナフタリ族のバラクという人物を呼び寄せ、彼を前線のリーダーとして立て戦うことになるのです。タボル山に登って戦機を伺うデボラとバラク。そこにカナンの軍隊がタボル山めざして、山の下、川の近くに陣を敷いて来ました。このタイミングとばかり、戦機熟したりとのことでデボラ、バラク率いる1万の兵は一気に山をくだり、カナン軍に襲い掛かったのです。

主の御手の働きがあったことがその理由ですが、あとでもお話ししますが、折りしの大雨があったといわれますが、川の側に陣を敷いていたカナン軍はその誇る戦車部隊が増水した川の水に足をとられ、身動きができず、戦いの用をなさなかったのです。一気に勝敗の形勢はついたのです。主にある大勝利がもたらされました。カナンの王の将軍シセラは敗走していく中、ある女性の手によって処断されることが後に出て来るのです。その勝利に対する讃美が5章です。そして、この勝利によって再び40年間、この国に穏やかさが回復されたのです。

きょう、まずこの時期がいかなるものかを学び、その後に勝利のかぎを学びたいと思っております。
 
T.緊急事態の時=霊的でない状況
 
 
これは長く説明する必要はないでしょう。各部族単位での夫々自分勝手の営み、おのおのが正しいと見えることを行うのでした。

まさに、ヨシュアの死後、秀でたリーダーがいないために、各々が自分の判断でその目に正しいと見ゆる所にしたがって事を行う時代でした。

そもそも、ヨシュアの時に約束の地カナンに入国しました。特に、今までとは違う定住生活を送るようになってくると、大きな問題としてその国の人々との交わり、格別にその土地の宗教・偶像神との関わり、荒野の導いて下さったイスラエルの神はこのカナンの地でも永遠に変わらない神。しかし当時は荒野は荒野の神、その土地に入れば、その土地の神、カナンでは農耕の神々に従うべきとの考えがあったのですが、モーセ、或いはヨシュアはカナンの土地であっても変わらないイスラエルの神を心から信頼して生活を送るようにと、勧めるのです。

夫々の土地に分かれて部族が生活しますが、永遠の神、信頼するに足りる神、あらゆる必要を豊かに満たし、導いて下さるイスラエルの神を神として歩むようにです。12部族はその神を中心に一つに「一人のごとく」にまとまるのです。イスラエルの神を中心とした神政政治です。

しかし、これが崩れてきてしまっています。霊的でない状況、それは緊急の事態、緊急の時代なのです。

それは罪の結果です。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まって」います(ヘブル9:27)。人はその罪の結果の故に、すべての者が例外なく肉体的死を通過しなければならないのです。
 
U.その対処、勝利の秘訣は何か
 
 
(1)備えられた人物が立ち上がったこと
 
 
まず何よりも、デボラの存在です。あとで説明しますが、結論を先に言えば、緊急事態の中にあって、女性が表舞台に出て来ざるを得ない状況でした。人がいない時代です。でも、一人の女性が備えられていたのです。

4、5節。デボラは、ラビドテの妻であり、女預言者とも呼ばれていました。いつもなつめやしの木の下にいたとあります。裁き司的なお仕事を既に前からしていたのです。活動の拠点は、エフライムの山地のラマとベテルとの間にあるなつめやしの木の下です。イスラエル人は、もめごとがあると彼女のもとにやってきて、裁きを求めていたのでした。

彼女の夫はラピドテです。この名前の意味は火のもえさしです。今にも消えそうな旦那だったのでしょうか。ある聖書注解書に、こう書いてありました。旧約時代は男性優位の時代。このラピドテという夫がエリザベス女王の夫以上に控えめであったかは定かではありませんが、旧約時代が男性優位時代、或いは古代の中近東の専制国家が男性優位で、女性はそれに劣る存在、或いは奴隷のように人格を無視されていたとの考えは違うと思っています。

言いたいのは、能力等の色々な要素があって、女性が政治の表舞台に出ることもあり得るのです。ただ普通は役割として家を守るのです。そして能力などがあれば、それに加えて外の働きもするのです。これが4節と5節の意味です。妻として(或いは母として)の働きをきちんとしながら、しかも女預言者としての働きもしていたのです。普通はそこで生涯を終えるのです。

しかし、そこに士師として召されるのでした。北方の人々から助けを求められるのです。みつばちという名前の意味の通り、蜜をたたえ、イスラエルの中央部分で奉仕をしていたのですが、それがイスラエル全体にも聞こえていたのでしょう。6節は間接的な表現ではありますが、その意味があるのです。

この士師としての役割は通常は男性であるはずです。最初の士師オテニエルも男性、その後の士師も男性。そしてデボラの後に出て来る士師もすべて男性。しかし、この今の時、カナンの王の圧迫に先頭になって、立ち向かうことのできる人物は女性、デボラでした。女性が表舞台に出ざるを得ない状況、時代なのです。緊急事態を意味するのです。しかし、女性の中に素晴らしい備えの人物がいたのです。それがデボラでした。
 
(2)麗しい一致した協力があった
 
 
附随したことですが、デボラが立ち上がったからこその協力者ではあるのです。でも、デボラ一人だけでなく、バラク、そしてそれに従う1万人の協力者の存在は大きいのです。

大きいといっても、そもそもイスラエルの多くの民、また部族が自分勝手の夫々の目に正しいと見えることを行っていた時です。この時代の人口がどれだけあったか定かではありませんが、少なくとも数百万の人々はいたでしょう。でも、その中で神に従う者は多くはなかったのです。リーダーを探そうとも、探せない時代になってしまっているのです。でも、その中でも、人はいたのです。お話ししたデボラ、そしてこれからお話しするバラクそして、それに従う1万人。

その協力者。まずバラク。バラクがデボラから呼び出されました。バラクもそれなりの人物と評価されていました。ヘブル書では信仰列伝の中にリストされています。しかし、何と言いましょうか、いわゆる先頭に立ってのリーダーではないのです。デボラがいてのバラクです。彼は片腕、協力者の立場の者。そして、彼に1万人が参加しました。

神は独りの女性を備えておられたのです。たった一人だけでなく、バラクそして1万人。1万人というといかにも多い人数のように思うが、そうではありません。数百万の1万。戦いに耐える者だけを数えても、やはり1万人というのは少ない比率です。この戦いに参加した部族は4章ではゼブルンとナフタリ族と10節にあります。
 
(3)神の導きによる適切/適時な判断と実行/自発的奉仕
 
 
デボラ、バラクに率いられた北方イスラエル軍はタボル山に集結しました。ガリラヤ湖の南端からちょうど西に約20キロ程の所にある、お椀型、ドーム型の山。標高588メートルです。この山にバラクはじめ北の部族の連合軍は集まったのです。この山からはイズレエルの大平原を一望できる。戦略上大事な位置を占める山です。とにもかくにも、デボラを先頭に、実践部隊のリーダー、バラクと1万人の協力者がいたのです。

なぜ、カナン軍はこの山のふもと、特に増水、氾濫がよくある川、キション川のそばに陣を敷いたのでしょうか。雨期にさしかかっています。しばしば氾濫増水することもある、その場所にです。神がそのようにしむけたからだといえば、そうなのですが、この場所は山も重要ではあるのでしょうが、それ以上にこの川のそばはちょうど、イズレエル大平原の中にありますが、この平原にはイスラエルの南と北を結ぶ重要な道路が走っています。

ここを寸断する形でカナン軍が位置すれば、イスラエルの南の部族軍団が応援にかけつけることが困難になるとの作戦もあったのではないでしょうか。或いはそれ以上にこの鉄壁です。強力な戦車軍団にバラクたちが攻め込んでくるはずがないとの心があったのかもしれません。これが油断、命取りとなるのです。

雨期にさしかかって、大雨となり、氾濫増水した川の水に悩まされていたカナンの大軍を見て、デボラはここがその時と判断、決断、実行に移ったのです。「さあ、やりなさい」

イスラエル軍は大雨に乗じて、山を一気に降りて奇襲をかけました。夜襲です。主の時でありました。敗走させました。追い出す、混乱させる、散らす、或いは全く破壊するとの意味合いです。川に押し流されていくカナン軍。主がカナン軍を混乱に陥れ、一気に勝敗は決したのでした。

神の導きのもとに、適切な状況判断、適切適時の決断・実行が勝利に導いたのです。さあ、やりなさい。女性のツルの一声がカナンの戦車隊に恐れをなしているかのように見えたバラクの軍隊を立ち上がらせたのです。どれほどの戦力や戦略があったとしても、戦う決断と立ち上がることなくしては、勝利を得られないのです。民は喜び勇んで進み出ました。自発的喜びの奉仕です。その実行は喜び勇み、自発的奉仕であったのです。
 
しめくくり
 
 
メッセージは何でしょうか。

1)神は弱き者(女性)を用い給うのです。起こし給うのです。
2)神の可能を見る信仰です。
3)そして何よりも、この緊急の時代を乗り越えるためには麗しい一致です。自発的喜びの奉仕があることです。

さあ、やりなさいとの声が聞こえて来ます。お祈り致します。