キャンドルサービスメッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。
2005年12月23日
キャンドルサービスメッセージ 『みどりご』というプレゼント
竿代 照夫牧師
イザヤ書 9章6-7節
Isaiah 9:6
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 (イザヤ書 9章6節) |
1.クリスマスおめでとうございます。ところで、12月26日は何の日でしょうか?
実は「ボクシング・デー」と言われています。
グローブをはめるボクシングではなく、クリスマスに頂いたプレゼントを開けないでクリスマスツリーの根元に置いておいて、翌日、つまり26日に開けるのです。
クリスマスにはプレゼントがつきものですが、「何だろう」と思って包み紙を開けていく、あの楽しみは格別です。
今朝のラジオ番組で、「忘れられないプレゼント」という特集がありました。私にとって忘れられないクリスマスプレゼントは、ベティー・シリングさんから頂いたフルーツケーキです。
シリングさんは、ケニアの病院でボランティアとした奉仕された医者であるご主人と一緒にごく短い間滞在され、知り合いになりました。
翌年、今度は西アフリカにボランティアとして行かれ、筋肉が下半身から動かなくなり、その麻痺が上半身に移行していくという難病で亡くなりました。
そのニュースを聞いてから半年後、そのベティさんからクリスマスプレゼントが届いたのです。中身はフルーツケーキでした。
航空便でクリスマスに間に合うように投函されたのですが、何かの間違いで船便で6ヶ月もかかって届いたというわけです。
私達は、これは天国からのプレゼントではないかと思って、少し発酵しているようなケーキを有り難く頂いたことを思い出します。
さて、今日は、私達に与えられたプレゼントについてお話しします。プレゼントの包み紙を解いて、中を開いてみたいと思います。
2.イザヤ書9章6節の前半に、
イザヤ9:6a ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
とあります。
「私達に」という言葉が二回繰り返されています。「私達のために」とは、私達の幸福をもたらすためにと、いうことです。
「私達に」とは、私達に当ててのギフトだ、ということをあらわします。わかりやすく言いますと、一人の赤ちゃんが、私達に「どうぞ、差し上げます」と与えられた、というのです。赤ちゃんなど貰ってもどうやって育てたらいいのか迷惑だ、等とお考えかもしれません。心配しないでください。
3.6節の次の言葉を読みます。
イザヤ9:6b 主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
この方は普通の赤ちゃんではなく、平和の王様なのです。この王様は「みどりご」として与えられました。
この予言を行った預言者イザヤは、紀元前8世紀の半ばから7世紀の初めまで、戦争から戦争という厳しい国際政治の渦中に生きていました。
そんな戦争の絶えない時代に平和を望んでいました。その平和主義の象徴が、みどりご と言いましょうか、少年と言いましょうか、少年によっておさめられる国の予言です。
例を言いますと、豹や狼やライオンが小さな子供に導かれて平和に暮らしている、という表現が11章に出てきます。
4.イザヤのこの予言が成就したのがクリスマスです。
予言されたメシアは、普通の人間として、普通の女の人から、普通の形で生 まれる何の変哲もない赤ちゃんとして登場するというのです。
赤ちゃんというのは、まさに何の助けもない、ひ弱で頼りない存在です。メシアがこんなに頼りない、普通っぽい登場で良いのでしょうか。
それこそが、神の知恵、もっと言えば神のユーモアです。
このキリストが長じて「神の国」を説き始めるのですが、その神の国は何かという質問に答えて、「幼子のような心を持った者達の国である」と定義されま した。
それに加えて、「あなた方は、誰が一番偉いかというつまらない権力闘争に明け 暮れているが、子供を見てごらん、何の野心もなく神に仕えているではないか。何の疑いもなく神に信頼しているではないか。あなた方大人は、その大人の心をすてて、子供にならいなさい」とまで言っておられます。
5.プレゼントの話に戻ります。
今日のプレゼントは、平和の王様として世に来られたキリストご自身です。
でも、それでは抽象的でわからないという人のために言い換えますと、キリストがそうであったように、それを望んでおられるように、幼子のような単純な神への信頼の心が今日のプレゼントです。
この騙したり騙されたり、蹴落としたり、蹴落とされたり、誘拐したり、自分を守ってみたり、というギスギスした時代でありますが、そうであればあるほど、平和の王様としてこられたキリストの心、幼子のような心をありがとうといって頂こうではありませんか。お祈りいたします。
Message by Isaac T.Saoshiro,senior pastor of Nakameguro IGM Church
Compiled by K.Otsuka/December 25,2005