プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2006年2月19日

「クリスチャンと政治」

竿代 照夫牧師

テモテへの手紙 2章1-2節

中心聖句

1 Timothy 2:1,2  

すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

(テモテへの手紙 2章1-2節)


A.はじめに 天国籍を持ちつつ世にあるクリスチャン

今回は、第一礼拝でも取りあげないテーマです。いつもと 違いレクチャー形式になりますが、聖書のことばに注目してください。

クリスチャンは、この世に属するよりもっと強い天国への所属意識をもって生活しています。

 ピリピ人への手紙3:20 私たちの国籍は天にあります。

とありますが、この世とは、キリストを十字架につけた世であり、いつかは過ぎ去ってしまうものだからです。

しかし、同時に、私達はこの世に存在し、まさにこの曲がった世にあって、世の光として輝くために生きています。同じピリピ人への手紙に、

ピリピ2:15 あなたがたが・・・曲がった邪悪な世代の中にあって・・・

ピリピ2:16a ・・・彼らの間で世の光として輝くためです。

とあるとおりです。

B.聖書の見る国家

クリスチャンと政治ということを考える前に、新約聖書は国家というものをどう見ているかを見たいと思います。

1.基本的には:すべての権威、支配はキリストの下にある

コロサイ人への手紙1:16 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子(キリスト)によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

とあるように、実際にそのように見えないと思う人も多くいますが、すべての権威を最終的に支配しておられるのは、主キリストです。国家の指導者がそれを自覚しているかどうかは別として、国家の機能の根源はキリストにあるというのが私達の信仰です。

2.現実には:サタンに動かされている要素が大きい

エペソ人への手紙2:2 空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

サタンは、「不従順の子ら」の中で、特に政治支配者の中で活発に働いています。典型的な例は、アドルフ・ヒトラーのような支配者によって支配されたナチス国家のようなものでしょう。

3.それでも:社会の秩序の維持に役立っている

ローマ人への手紙13:1 存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

ローマ13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。・・・彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。

パウロがこの手紙を書いたとき、ティベリウスという誠の神を恐れない、しかも悪事の数々を行った皇帝がローマ帝国を治めていたことを覚えて下さい。

パウロは、「彼は悪人だから従わなくても良い、国家に反抗せよ」とは言わず、「従いなさい」と勧めています。

この王様は、誠の神に従う良いことはしていないかもしれない、しかし、世の秩序を保つという大切な役割を行っているのだ、と積極的に評価しています。この態度は私達も学ぶべきです。

4.最終的には:この世の国は滅ぼされて、神の国が可見的な形で訪れる

コリント人への手紙第一15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

キリストの最終的な支配、神の国の可見的な到来こそが、クリスチャンの希望であり、祈りです。

C.クリスチャンと国家

政治とは、この社会、特に国家レベルでの支配・被支配関係を巡って行われる戦いのことでありますが、この戦いのただ中にあって、クリスチャンはどのような態度を取るべきでしょうか。

1.支配者のために祈る

テモテへの手紙第一2:1 すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

テモテへの手紙第一2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

私達は、日本の総理大臣を始め、閣僚、官僚のために祈るべきです。

批判することが得意であるマスコミの影響で、私達もまた政治評論家になってしまう危険があります。健全な批判は必要ですが、ともかく祈ることが先決です。

多くの政治指導者は、ノン・クリスチャンです。私達の祈りは効果があるのでしょうか。あります。主は私達の祈りに応えて、彼らの心を動かし給うお方です。

2.権威に従う

ローマ人への手紙13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。

ローマ13:2 ・・・権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。

ローマ13:5 ・・・ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。

ローマ13:6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。

ここは先ほど引用しました。さらに、同じ状況にあったペテロも同じ事を勧めています。

ペテロへの手紙第一2:13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、

ペテロへの手紙第一2:14 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

ペテロへの手紙第一2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

クリスチャンは、支配者がどんなに悪であっても、唯々諾々と従うべき、という印象をすら与える勧めです。実際そう思えるほど、法を守り、税金をごまかさずに納め、先頭に立って良き市民としての生活をすべきであります。

3.抵抗権はある

使徒の働き4:19 ・・・「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。

上の権威に従うというのは基本的な原則ですが、例外はあります。上の権威が、明らかに私達の信仰の良心に逆らうことを命じた場合、私達は「人に従うよりも、神に従う」道を選ぶべきです。これを抵抗権といいます。

長い教会の歴史を見ると、多くのクリスチャン達が信仰の良心の故に、国家の命令に不服従の道を選びました。この日本においても、キリシタン禁制の時代に、信仰を貫いた多くの人々がおりました。また、第二次大戦の時に軍国的な政府に抵抗を貫いたクリスチャンが、多数ではなかったのですが、証を全うしました。これからまた、そういう時代が来ないとも限りません。私達は、良心の故に不服従という原則があるということをしっかり覚えたいと思います。

4.よき政治のための発言と加担

マタイの福音書5:13a あなたがたは、地の塩です。

マタイの福音書5:14a あなたがたは、世界の光です。

マタイの福音書5:16 ・・・あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

新約聖書が書かれた時代は、ローマ帝国という巨大な権力が存在し、専制政治が行われていました。

しかし今は違います。主権在民が憲法で保証され、究極的な権威は国民である私達の手にあるのです。昔のように「お上」が私達の外に存在しているのではなく、私達がお上の一人なのです。 その意味で、私達がこの世を住み良い社会を作るべき責任を与えられているのです。その意味で、選挙権を欠かさずに行使すること、導かれるならば選挙に立候補すること、ボランティアなどの地域活動に加担すること、国家が誤った方向に進みそうなときに明確な反対の意志を明らかにすることなど、積極的な参加・発言が必要でしょう。

ただ、教会の中には、色々な点で意見を異にする人々がいますし、それが教会なのですから、よほど生命的な、しかも事柄が明瞭なものを除いて、教会が統一行動を取るとか単一政党を支持するとか、政党を作るという行為は「政教分離」の原則からも避けるべきと私は考えます。

D.おわりに

私達は、日本の救いのために、政治の改善のために、もっともっと真剣に祈らなければならないと思います。今日からそれを実践しましょう。お祈りいたします。


Message by Isaac T.Saoshiro,senior pastor of Nakameguro IGM Church

Compiled by K.Otsuka/February 19,2006