プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2006年3月5日

「クリスチャンと職業」

井川 正一郎牧師

エペソ人への手紙 4章1節

中心聖句

Epheshians 4:1 

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

(エペソ人への手紙 4章1節)


A.はじめに

10年前くらいであったでしょうか、『デューダ』という名前の転職雑誌がありました。今よりもっとよい職業に、もっとやる気が出て、やりがいのある仕事に移ってみませんかという転職の雑誌でした。

今はフリーターとかニート等の問題がありますが、ともかくも職業、仕事というのは大事なものです。きょうは、クリスチャンと職業というテーマで短く、聖書がどのように職業について述べているのか、エペソ人への手紙4章1節から、短く3つのことを申し上げてメッセージとします。ではご一緒にお読みしましょう。

エペソ4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

B.職業は「召命(しょうめい)」である

職業についての基本的理解ですが、第一に、職業は召命(しょうめい)であるということです。エペソ人への手紙4章1節には、

エペソ4:1 その召し

と記されています。「その」「召し」とあるように、神は人間一人一人に「その召し」といわれる、その人個人の「召命」を与えておられます。

神は一人一人にその地上生涯を過ごすために、なすべき事を与えておられます。

このエペソ人への手紙4章の中に、主イエス様が一人一人に賜物を分け与えられ、一人一人に特徴的な務めがあると記されています。11節に、

エペソ4:11 ・・・ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、

とあります。まさしく、神は現代の我らに対しても、ある人は伝道者への道、ある人は会社員、ある人は公務員、ある人は医者、学校の教師、ある人は主婦にと、夫々の使命、特定の召しを与えておられるのであります。

実は、キリスト教の長い歴史の中で、独自の職業を持つこと自体、よくないことだと考えられた時代がありました。中世がその時代です。

中世においては、世の中での仕事の最高のものは祭司−教会の働き−、それに加えて農業くらいです。

中世半ばすぎ、穏やかな時が訪れますが、その時になって商業、手工業等が流行り出しました。

でも、その職業を独自に持つ人をそれほど重んじなかったのであります。むしろ、低く、卑しいものとさえ思われました。

それを打ち破ったのが、宗教改革者の一人ジョン・カルヴァンであり、それ以後のことであります。職業は神から与えられた素晴らしいもの、堂々と行ってよいものであるとはっきりと示したのです。

その召しに相応しくとあるように、神は一人一人に、独自の・特定の務めを与えておられることを心に留めましょう。エペソ人への手紙2章10節には、

エペソ2:10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えて下さったのです。

とあります。一人一人に相応しい「良い行い」=神の御旨に適う務め・仕事・職業をあらかじめ準備されているのであります。

ですから、すべての務めは神から出ているもの、即ち、尊い召命です。どの職業が上とか下とかの上下や貴賎(きせん)はないものなのです。

C.職業は「献身」である

二番目に申し上げたいことは、職業は献身であるということです。

召命であるからこそ、その職に献身します。伝道者は当然のごとく伝道者として献身します。

しかし、献身は伝道者だけに限ったものではありません。広い意味ですべての務めは、神に対する献身となります。社会人生活も献身、主婦も献身生涯。伝道者になるのも献身、結婚も献身ということになります。私の100パーセントの献身が表わされて行くものです。

随分前に、「伝道者の献身をしないのは罪ですよ」という風潮があったかのように思います。

意味はよく分かりますが、それは罪ではありません。伝道者以外の道を選んだとしても、それは伝道者と同じ程度の献身、100パーセントの献身が表わされるものです。まさに、どの働きも100パーセント献身して、その働きに身を注ぐものです。

D.職業は「神の栄光を顕わすもの」である

では、その召し=その職業の目的は何でしょうか。三つめですが、職業は神の栄光を顕わすことです。

「良い行いを備えておられる」と言いました。良い行いとは、先程も言いましたが、神の御旨に適うもの、相応しいものとの意味です。その召しに相応しくとの相応しいとは、その意味が含まれています。

繰り返します。なぜ、神は一人一人に召命を与えられるのでしょうか。それは「神の栄光を顕わす」ためです。

「神の栄光を顕わす」とは、目の前に起きている事柄・出来事・人物が神のみわざとしか考えられないような状況を言います。その出来事あるいは人物を通して、神がなさったことだと、神に栄えが帰せられることであります。

換言すると、神ご自身、神の性質がそこに現わされていると言ってもよいのであります。いってみれば、職業・仕事とは、この私を通して、神のみわざが進むこと、神の性質が現わされることを目的とするものです。

ですから、誤解を恐れず言いますが、大事なことは仕事そのものではありません。何が出来る、出来たかという以上のものがあります。

それはその仕事を通して、即ち、その仕事への取り組み方、その心・態度を通して「人」が造られること、まわりの人がその働きを見て、神を意識し、神の栄光を仰ぐようになるためのものです。

今の事をもう少し、具体的にお話ししましょう。仕事、職業とは神の栄光を顕わしていくことを目的としますが、具体的には、

1)その仕事によって、自分と家族等の養いをしていく。経済的目的

2)その仕事に対する給料・結実から、神への感謝献納

3)その仕事を誠実・真実・忠実に遂行すること。仕事の方法・手段等、或いは仕事仲間との関係においても同じく、誠実・真実・忠実に。言うまでもなく謙遜さをもって、です。

4)その仕事ぶりを通して、「無言のあかし」をしていく。

5)適切な時に、集会案内、あかしをする。

6)職場にクリスチャンがいる場合、お昼休み等にお祈り会。時には職場での伝道会の開催。

7)仕事を通して、良い意味での働きと生きがいを感じる。充実感を持つ。

8)仕事を通して、家族を含めて周囲の人が喜ぶ姿を見て、働く喜び、意義を感じる。

9)仕事を通して、周囲の人と協力して物事を遂行・完成させていく喜びを持つ。その過程において、また完成において苦楽を共にする喜びです。

10)仕事を通して、人間(自分自身と周囲の人を含めて)の足りなさ・乏しさ(ある時は罪深さも)をも経験することになり、もっと神に近付かなければ、もっと砕かれねばと感じます。神に近付く機会となります。

究極の目的・目標は「私」の人格品性の形成のため、キリストの品性を宿し、キリストを顕わすためのものが仕事、職業です。

E.おわりに

最後に蛇足となるかもしれませんが、3つのことを付け加えて終わります。まず、

1)「原則的にはどんな種類の職業についてもよいのだが、不道徳な、罪の仕事にはつきたくない」ということです。

ただし、もし救われる前にその種の職業についていた場合、教会側からそれをやめるべきであると強圧的に勧告する姿勢は避けたいのであります。その人の光に従って、その人が最終判断する形がよいでしょう。詩篇25編12節に、

詩篇25:12 主を恐れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を教えられる。

とあるとおりです。

2)2番目に、「原則的に聖日を守ることのできる職業を選びたい」ということです。

もとより、医者/看護師/警察官/サービス業等、日曜日にも仕事があり、聖日礼拝出席が困難な職業もあります。どの職業を選ぶかは、基本的にはその人の召命の問題でありますが、特別の召命がなければ、聖日を守ることのできる職業を選びたいものです。

もし、聖日を守ることの困難な職業(職場)を選ぶとき、それ相当の召命・理由が存在することであります。

加えて、聖日礼拝が守れないことをそのままにせず、その出勤前、あるいはその夜、あるいは次の日等という具合に何とか教会に来て聖言にふれ、祈ってもらうスピリットを持ちたいものです。

3)3番目に、高齢となって、今は第二、第三の人生に進んでおられる方々は、「今の生きている姿をありのままに示す」=見本になろうということです。

年齢経験を重ねた信仰者とはこういうものだと、身をさらす信仰生活を過ごし、健康がゆるされるかぎり、目の前にある務めを果たしたいものです。

エペソ人への手紙4章1節、

その召しにふさわしく歩みなさい。

これがきょうのメッセージです。お祈りします。


Message by Shoichiro Ikawa,pastor of Nakameguro IGM Church

Compiled and edited by K.Otsuka/March 5,2006