プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。
2006年3月19日
「クリスチャンと経済生活」
竿代 皓子牧師
マタイの福音書 6章31-33節
Mat 6:31-33
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 だから、神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 (マタイの福音書 6章31-33節) |
A.はじめに
今回のテーマは『クリスチャンと経済生活』です。
経済は人間生活にとって、切り離すことの出来ない大切な分野です。近代社会はお金がなければ、たちまち生活が成り立たなくなります。私たちの生活の全てが、このお金によって賄われています。食物、衣料、住居、光熱費、教育費、娯楽費、交際費と人間生活のあらゆる分野でお金が必要です。
8年前ケニアから帰国して、日本ではお金があれば、何でも買い、何でもできるという事実に驚きました。有り余るきらびやかな物の洪水にも驚きました。また大変便利です。
ケニアでは納豆や餡パンが食べたくても売っていませんから、自分で全部作りました。地元の人たちもなんとなく自給自足という要素が多い生活でしたから。ですから、この近代社会でのお金の威力に驚いたと言うのが正直の印象でした。
お金があればあるほど「万能感」を持つことが出来ます。しかし、それが人を欺く「偽りの万能感」であることも感じました。
そのような意味で、ケニアで生活をしたことは大きな意味があったと思っています。
それでは、聖書はどのような経済生活を教え、勧めているかをみていきます。
B.勤勉に働いて収入を得る
まず第一の大切な奨励は勤勉に働いて収入を得ることということです。パウロは、テサロニケ人への手紙第二3章8-10節で、
Uテサロニケ3:8 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなた方に負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。
Uテサロニケ3:10 ・・・私たちは、あなたがたのところにいたときも、働きたくない者は食べるなと命じました。
と言っています。使徒パウロは自分でも働きながら伝道していたのです。彼は働かないで、ぶらぶらと、しまりの無い生活をしていた人々に対して、厳しい態度を取るように命じています。「勤勉であること」は、安定した経済生活の最も基本的な土台であり、生活態度でありましょう。パウロはまた、テサロニケ人への手紙第一4章11節で、
落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人に対してもりっぱにふるまうことができ、また、乏しいことが無いようにするためです。
とも言っています。健康で働けることは大きな主の恵みであり、感謝しなければならないことであります。
C.働いて得た収入を賢く使い貯蓄する
第二に、働いて得た収入を、無駄遣いせずに賢く使い、また貯蓄することです。ジョン・ウェスレーの説教からご紹介します。
つまらない出費によって富を投げ捨てることは海に捨てるのと同じことである。富を単に肉の欲、眼の欲、所有の誇りを満たすためにいかなるものも費やしてはならない(『富と家庭』p119より)。
クリスチャンとしての富の使い方にしっかりとした原則を持つことは大切なことです。富の使い方は家庭家庭、個人個人の違いはありますが、原則は聖書にしっかりと書いてありますから、それを基にした方針をもって「やりくりすること」が求められています。テモテへの手紙第一やヘブル人への手紙にも、
Tテモテ6:8 衣食があれば、それで満足すべきです。
ヘブル13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。今持っているもので満足しなさい。
とあります。これらの勧めを見ると、私達クリスチャンの経済生活のあり方の輪郭が見えてきます。
D.最終目的=与えられた富をできるだけ多く「献げ、与えること」
では最終目的は何かと言いますと、与えられた富を出来るだけ多く「献げ、与えること」です。
1)まず、神に十分の一献金をもってお返しいたしましょう。
マラキ3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、溢れるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
私の好きな聖句であるマラキ書3章10節です。何と大きなチャレンジを神は私たちにされておられるのでしょう。十分の一をしないのは神からの盗みであるとさえおっしゃっておられます。神のお約束を信じて大いに捧げたいものです。
2)次に、私たちのまわりにいる必要としている人々にお返しいたしましょう。
すべてのものは神から与えられたものです。私達はその管理者にしか過ぎません。神は「与えること」の幸いを多くのみ言葉で教えておられます。主イエス様、パウロ、そしてジョン・ウェスレーはどのように言っているかをご紹介します。
ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を測る量りで、自分も量り返してもらうからです。
コリント人への手紙第二9:7 神は喜んで与える人を愛してくださいます。
エペソ人への手紙4:28 困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
金銭は神の優れた賜物であり、最も高尚な目的に適うものである。神の子らの手にある時、金銭は飢えた者の食物、渇いた者の飲物、裸なる者の衣服となる。金銭によってわれわれはやもめに対して夫の立場を、みなしごに対して父の立場を提供することができる。われわれは圧迫された者に対して防御となり、病める者に対して健康の手段となり、苦痛の中にある人々に対して安らぎとなることができる(『富と家庭』p119より)。
このことは、パウロが困っている兄弟たちに対してささげるように勧めた、先の聖句が実行されたときに実現するのです。
小さな献金が集められ、有効に用いられて多くのことがなされます。神の御国が発展するため、人々の福祉のためにと、多くの良いことが実現されていくのです。
「与えること」は信仰のバロメーターとも言えるでしょう。
E.富についての警告と神に信頼することの勧め
富は有効に用いられるときには大きな力を発揮しますが、一歩間違えると人を破滅に導くものでもあると警告されています。
ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を測る量りで、自分も量り返してもらうからです。
Tテモテ6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な欲とに陥ります。
6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
金銭は大切なものは明白です。しかし、私たちは金銭をコントロールすることを求められているのであって、金銭にコントロールされてはならないのです。上のみ言葉の鍵の言葉は、「愛する」と言う言葉です。愛する−−そのことで心が一杯になってしまうことです。そこには神を、人を愛する余地がなくなってしまうのです。最後に、主イエス様が仰った聖句をご紹介します。
マタイ6:24 だれも、二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。だから、わたしはあなたがたに言います。
マタイ6:30 ・・・きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
マタイ6:32b ・・・天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます(備えられます)。
神を信頼して、神と人とに有効に用いられる富の運用をさせて頂きましょう。お祈りいたします。
Message by Hiroko Saoshiro,pastor of Nakameguro IGM Church
Compiled and edited by K.Otsuka/March 19,2006