礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2006年4月9日
 
「ヨセフは、墓に納めた」
マルコの福音書連講(85)
 
竿代 照夫牧師
 
マルコの福音書15章37-47節
 
 
[中心聖句]
 
 43  アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
(マルコの福音書15章43節)

 
はじめに
 
 
前回は、イエスの十字架上の言葉の一つ「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」に目を留め、父なる神に見捨てられるまでの苦しみを受けなさった救い主について学びました。

今日は、主イエスが息を引き取られ、十字架から降ろされ、葬られる記事です。まことに厳粛な、行き詰る瞬間です。多くの画家がこの出来事を絵にしました。それはピエタ(悲しみ)という共通の呼び名で知られています。葬りの時に大きな役割を果たしたのが、アリマタヤのヨセフと呼ばれる人物です。そのヨセフに焦点を当てながら、埋葬の物語を進めます。
 
A.イエス、息を引き取られる(37〜39節)
 
37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。38 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
 
1.贖いの勝利宣言
 
 
イエスは、「大声を挙げて」息を引き取られました。マルコはその内容を記していませんが、ヨハネ19:30には、「『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」とありますし、ルカ23:46には、「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」と記されているからです。これらの宣言は、十字架の目的である贖いが完成したという勝利の雄たけびでありました。
 
2.贖いの完成の象徴
 
 
イエスの十字架が単なる殉教の死ではなくて積極的な意味で贖いを成し遂げたということの象徴的な出来事が起きました。もちろん、このゴルゴタに居た人々がすぐにそれを知ったというわけではないでしょうが、そこから半キロほど離れた神殿で不思議なことが起きました。

神殿の一番奥の聖所と更にその奥の至聖所とを隔てるカーテンが午後の三時に真っ二つに裂けたのです。祭司がこれを見つけたのはしばらく後からだったと思いますが、このリポートは人々を震撼させました。というのは、至聖所には一年に一度、贖いの日と呼ばれる10月初旬の一日だけ、大祭司が贖いの雄牛と山羊の血を携えて、贖いの箱に注ぎかけるという大切な、そして近づきがたい場所だったからです。つまり、神殿のカーテンは、神と人とを隔てる障壁の象徴でした。そのカーテンが、イエスの十字架の死とともに裂けたということは、罪に対する神の聖なる怒りがキリストの贖いの故に溶けて、いまや神と人とが和解したことの象徴だったのです。

今日私たちが、何の恐れもなく、聖なる神に近づいて礼拝をささげることが出来るのは、一重に、主の十字架の贖いによっているのです。感謝しましょう。
 
3.百人隊長の信仰告白
 
 
十字架を眺めていた人々がみな、大きな感動を受けたことがルカによって記されていますが、その内でも顕著な反応が、十字架刑の執行役人であった百人隊長の信仰告白です。「この方はまことに神の子であった。」どうして、異邦人であるローマの兵隊の隊長がこんな信仰告白が出来たのでしょうか。恐らく、人々が嘲るように、「神の子」と言い合っているのを耳にして、彼らと同じように初めは馬鹿にしていたことでしょうが、十字架の一部始終を見て、「神の子」というのは嘘ではない、本当だと悟ったと思われます。いずれにせよ、日常的に業務として行っている死刑執行の役人が、このような感動を得たということは、贖いの勝利を物語っています。
 
B.ヨセフの人物と行動(43〜45節)
 
43 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。44 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。45 そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
 
1.死後の処置
 
 
午後三時に息を引き取られた後、死体の処理は早急に行わなければなりませんでした。それにはいくつかの理由がありました。第一、死体を木の上に曝したまま夜を過ごすことは忌まわしいことだったからです。第二、その日は金曜日、つまり安息日の前の日で、安息日は午後の六時から始まるわけで、安息日に死体を処理することは忌まわしいことでした。さらに、この安息日は通常のものではなく、過ぎ越しの祭りの最中の、最も大切な安息日でしたから、尚更、急いで処理しなければなりませんでした。そして、もし、ヨセフの申し出がなかったとすれば、兵士たちが死体を急いで取り降ろし、急いで共同墓地に投げ捨ててしまうという可能性が大きかったのです。その意味でも、ヨセフの申し出は時機を得た、本当にヘルプフルな申し出だったのです。
 
2.ヨセフという人物
 
 
2年ほど前に井川先生が、ヨセフの人物論を取り上げて下さいましたのを覚えておられるでしょうか。その方には復習となります。そのときにいらっしゃらなかった方と、忘れなさった方には新鮮な学びとなるでしょう。いずれにせよ、ヨセフという人物について、簡潔に紹介します。

1)出身はアリマタヤ村であった:彼は他の多くのヨセフと区別するために、アリマタヤのという言い方がいつでもされています。アリガタヤではなくアリマタヤというのは、エルサレムの北西30キロ位に在る小さな村です(地図を参照)。部族的にはユダの部族です。

2)有力な議員であった:当時のユダヤ国会(サンヒドリン議院)は、70名ほどから成り立っていました。構成員は祭司階級、有力な地主階級、名門の貴族階級、律法学者たちでした。その一人になるというだけでも、大いに名誉あることでしたが、その中でも有力で(euschemon)あったということは、相当な政治的実力者であったことが伺われます。しかも、非常に尊敬されていた人でした。

3)金持ちであった:香料や亜麻布を平気で買い、しかも自分とその家族のための墓をきちんと整えたと記されていますから、お金には困らない裕福な人であったと思われます。

4)「隠れキリシタン」であった:サンヒドリンには、同じようなキリストの弟子・ニコデモがいました。恐らくニコデモとヨセフには相通じるものがあったのでしょう。あるいは、ニコデモの影響を受けたからでしょうか、イエスの評判を聞き、その説教にも触れ、この人こそ、待ち望んでいるメシアであるという確信を得たと思われます。特に、ヨセフが「メシアの王国の到来を待ち望んでいた」というところが重要です。それも、一般の人々と同じように、漠然とメシアの到来を待ち望んでいただけではなく、イエスの人柄と行いの中に、メシアたることをしっかりと見極め、信じ、従い、弟子となったところはすばらしいことです。マタイ27:57「アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。」と記されています。ただ、圧倒的に保守的なユダヤ人が支配している議会で自分の立場を表明することの危険も感じていましたから、公に私はイエスを信じていますと表明は出来ず、「隠れキリシタン」を通していました。ヨハネ19:38には、「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ」と記しています。現在の日本にも、立場上クリスチャンとは言えないが、ひそかに信じている、というような方々が多くあります。死亡広告を見ると、「00教会にて」などと記されており、あの方はクリスチャンだったのか、と分かるというようなケースもあります。そのような方々について私は、一概に肯定も否定も批判もしません。それぞれの立場、思いというものが在りましょうから・・・。心をご存知の神の前にどう歩むかだけが大切です。ひとつ言えることは、「隠れキリシタン」であっても、命を掛けてキリストを証しなければならないときがある、そして、そのような機会がヨセフに訪れたということです。そしてヨセフは、まず消極的ながら、証の第一歩を踏み出します。それは、木曜日の真夜中から始まった一連のイエス裁判に賛成票を投じなかった、という行動です。ルカ23:51 「この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。」と記されています。反対意見を堂々と述べる勇気はなかったことでしょうが、賛成票は投じないで、保留を通しました。それでも、良心に逆らって賛成票を投じるよりは骨があります。
 
3.命がけの行動
 
 
1)イエスの死に感動:ひそかに信仰をもち、ひそかにイエスを尊敬していた、そして、それ以上のことは出来ないとおもっていたヨセフを、大胆な行動に突き動かしたのは、イエスの壮絶な死に様でした。何の悪もなさらないのに弁明ひとつせず、しかも、最も恥ずかしい、最もむごたらしい十字架の死をも敢えて正面から受けて、最後には勝利の宣言をもって息を引き取られたイエス、この命がけの愛を見たときに、彼の優柔不断は終わりました。そうだ、私は誰から何を言われても構わない、最悪の場合には、議員の立場も奪われるかもしれない、命だって保障されないかもしれない、それでも今がイエスを告白すべきときだ、と腹の底から突き上げるような衝動を感じて、決死の行動に打って出るのです。処刑された者を引き取るとはイエスに向けられた敵意、憎悪、あざけりを我が身に引き受けることなのです。

今日のこの会衆の中にも、私はイエスを主と告白して、クリスチャンになりたい、洗礼も受けたいが、色々な思惑があってそこまでは踏み切れない、とか、もうクリスチャンなのだが、会社では色々な思惑があって、自分は信仰者ですとは言いづらいと思っている方はありませんか。十字架の主を見上げましょう。辱めをものともせずに、私たちを愛して命を捨ててくださったキリストの愛を値積りましょう。私たちの行動はおのずと決まってくるはずです。

2)大胆な申し出:ヨセフは恐らくピラトに直接陳情したものと思われます。これは実に勇気ある行動でした。危険を伴うことでもありました。でも考えてください。ヨセフが行動を起こさなかったとすれば、誰がこのようなことが可能だったことでしょう。ペテロが勇気を奮ってピラトに面会を求めたとしても、間違いなく玄関払いだったことでしょう。他の誰でもない、ヨセフが居たからこそ、イエスに相応しい丁重な葬りが可能となったのです。神は、私たちを必要なとき、必要な場所に置いていてくださいます。エステルのように、彼女が王妃の位を得たのは、ユダヤ人が全滅するかもしれない未曾有の危機を救うためでした。神があなたを、今の立場に置いておられるのは、その立場を通して出なければ出来ない何らかの奉仕を期待しておられるからです。その期待に背くことがないようにしたいと思います。ヨセフに戻ります。彼は、死体の下げ渡しを願い出ました。
 
4.ピラトの許可
 
 
ピラトは、通常よりも早すぎる罪人の死に驚き、確認を求めます。ヨハネ福音書には、イエスの右と左の強盗には、脛を折ることで死亡を確認した、しかし、イエスは事切れていたことが確かだったので、脛は折らずに、わき腹だけを突き刺した、と記されています。ヨハネ19:31〜34をみましょう。

「その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。32 それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。33 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」
 
C.イエスの埋葬(40〜41、46〜47節)
 
40 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。41 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。42 すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので・・・ 46 そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。47 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。
 
1.ヨセフの助け手
 
 
1)女弟子たち:イエスの死後3時間以内に、すべてのことが悲しみの内にも手際よく行われました。それを助けたのは、イエスの女弟子たちでした。彼女たちは、たぶん身の安全のために、この出来事を遠くから眺めていましたが、今や、ヨセフの大胆な行動に勇気を得て、甲斐々々しく葬りの手伝いを致しました。ルカ23:55 ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。56 そして、戻って来て、香料と香油を用意した。」男の弟子たちは遠く見ていただけで何の役にも立ちませんでしたが・・・。

2)ニコデモ:ヨハネ福音書を見ると、ニコデモも、旗色を鮮明にして30キロもの香料を携えて応援に来たことが記されています。麗しいことです。一人の勇気ある証が、もう一人の勇気をかきたてた実例ですね。ヨハネ19:39〜40を読みます。「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。40 そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。」
 
2.埋葬の場所
 
 
この埋葬の場所がどこであったか、聖書は単に、刑場の近くのガーデンであったとだけ記しています。ヨハネ19:41「イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」多くの聖書学者は、今の聖墳墓教会がそれであったと言います。もうひとつの意見は、その北側を指すもので、一般に「ゴードンのカルバリ」として知られているところです。その小高い丘の形が髑髏に似ていること、その近くのガーデンが、まことにイエス様が葬られたのに相応しいたたずまいなので、私としては、そっちであって欲しいと思いますが、専門家ではありませんので、深く議論する積もりもありません。ともかく、主イエスは、ここで肉体の憩いを与えられ、復活の朝を待ちなさいます。正味一日半が経過するわけです。
 
3.埋葬後は?
 
 
ペテロは、主が黄泉に降って、死者に良き訪れを伝えなさったと記しています(第一ペテロ4:19)が、今日はこの問題にも深く触れることが致しますまい。ともかく、静かに安息日が訪れ、弟子たちも、ヨセフも、ニコデモも、そしてイエスの反対者たちも、それぞれの戦いを終えて静かな時間を過ごすことになります。復活の出来事とその喜びについては、(ちょうど折り良く)来週がイースターに当たりますので、期待をしながら、今日の学びを閉じることと致します。
 
終わりに
 
1.主イエスの贖いの恵みを受け入れよう
 
 
完成したとおっしゃる主の贖いの恵みを、自分のものとして素直に、しっかりと受止めましょう。罪に負けている分野がありませんか。仕方がないと諦めていませんか。そこに贖いをあてがいましょう。勝利を宣言しましょう。
 
2.ヨセフの勇気に倣って、私たちも証をしよう
 
 
今日の学びを通して、突然大胆な証人に変身する方があれば幸いですが、そんなに難しいことではなく、日常生活の当たり前の会話の中で、しかし、勇気を持って一歩積極的にキリストを証することは出来ることでしょう。
 
主は助けてくださいます。お祈りを致します。