プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2006年4月16日

「復活の朝の女たち」

竿代 皓子牧師

マルコの福音書 16章9節

中心聖句

Mark 16:9 

さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自身を現された。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。

(マルコの福音書 16章9節)


A.はじめに

イースターは、主イエスが十字架の死を克服しよみがえった日です。

この主の復活された週の初めの日を記念して「主の日」と呼び、礼拝が日曜日にもたれるようになりました。それまではユダヤ人は安息日の土曜日に礼拝を守っていました。

約2000年前のこの朝も春の花々が美しかったことでしょう。正確には紀元30年の4月で、その三日前は、あの恐ろしい十字架刑によって主は処刑され、見るも無残な死を経験されました。しかし、復活によって大逆転された勝利の日がイースターです。

語源は、古代ゲルマン民族の春の女神EasteあるいはEsteraに由来するといわれています。また、325年の第1回ニカイヤ会議で、復活祭は春分の後の最初の満月の直後の日曜日と定められました。これはユダヤ太陰暦と今私たちが使っている太陽暦を調和させた結果だそうです。毎年イースターは日付が違うのはこういう理由からです。

今回は、主の復活とその忠実な従者であった女たちに焦点を絞って学ぼうと思います。

B.復活の朝の出来事

1)天使たちによる復活の事実−−女たちへの宣告

週の初めの日の早朝(主が復活された日、主の日)、日が上ったとき先ず一番に、墓に着いたのはマグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメであったとで述べられており、また、ヨハンナとほかの女たちもいっしょにいたと述べられています。彼らは主の御体に油を塗ろうと思っていたのです(注:マルコの福音書16:1、ルカの福音書24:10)。

ユダヤの墓の入り口は大きな丸い石によって塞がれており、とても二、三人の女たちによって動かすことは不可能でありました。しかし、彼女たちが墓に着いたときにはすでに、石が動かされておりました。これも人為的なものでなかったことの証拠とされています。マタイの福音書28章2節では、

大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りてきて、石をわきへころがして、その上にすわったからである。

と書かれています。ローマ兵によって封印され、警護されていた墓ですから、弟子たちが盗み出したとのユダヤ人たちの言い訳は決して成り立たないのです。

興味深いことにマグダラのマリヤはすでに有名ですが、ヤコブの母マリヤはクロパの妻マリヤ(注:ヨハネの福音書19:25、ルカの福音書24:18)、ヨセの母マリヤ(マルコの福音書15:47)、ほかのマリヤ(マタイの福音書28:1)と呼ばれた人物です。クロパはイエスの父ヨセフと兄弟との記述があり、このマリヤとイエスの母マリヤは義姉妹と言うことになります。又、サロメは使徒ヤコブとヨハネの母で、イエスの母マリヤとは姉妹関係にあるということです(注:新聖書辞典)。

このとき弟子たちはユダヤ人を恐れて、隠れていたことを考えると、彼女らの勇気ある行動、主への愛の奉仕と言う具体的な「行動」に私たちは注目すべきでしょう。

2)天使の宣告の内容

墓の石を動かしたであろうと思われる天使たちが女たちに直接に告げます。そのときの女たちの驚きは大きかったことは想像に難くありません。天使は、

マルコ16:6 「驚いてはいけません。あなた方は、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。御覧なさい。ここがあの方の納められた所です。

マルコ16:7  ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」

と言います。

主の甦りと空の墓の提示、そして復活された主に会うためにガリラヤに行くようにとの三つの内容が言われました。甦りと空の墓がはっきりと宣言されているうえ、甦られた主との再会が述べられています。何と明瞭で完璧な内容でしょうか。

3)その後の女たちの行動

彼女たちは、墓を出て逃げ去ったとあります。その理由はすっかりふるえあがって、気も転倒していたと説明されています。当然のことでしょう。

マルコ16:8b ・・・そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

と、マルコの福音書では続きますが、自分がその立場に立ってみると同じ反応が出るだろうと思い、同情できます。しかし、マルコの福音書最後の別の追加文や他の福音書と照らし合わせると、冷静になって弟子たちに告げたことが分かります。マタイはもっと積極的に、

マタイ28:8 恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。

と書いています。

しかし、ここでも弟子たちは、

マルコ16:11 ところが、かれらは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。

とあります。弟子たちは主に彼らの不信仰とかたくなな心を責められましたが、復活の主にお会いして信じたのです。

C. 復活後の主に初めに直接会う特権にあずかった二人の女性

1)マグダラのマリヤ

マルコの福音書16章9節を掲げてお話を始めましたが、もっと詳しくはヨハネの福音書20章1-18節に書いてあります。彼女にとって特徴的なことは、

「まず」

という言葉でしょう。マグダラのマリヤの嘆きは大きかったのです。

ヨハネ20:11 しかし、外の墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、体をかがめて墓の中をのぞき込んだ。

とあります。泣きながら墓の中をのぞき込む姿は、悲しみの極みを表す言葉です。絶望です。主はもっとも悲しむ人に、その御臨在を現してくださるのです。

彼女は主イエスに七つの霊を追い出していただいた女です。主にあって人生が大きく変えられたのです。悪の生活から光と喜びの生活への変化を経験して、主への感恩に満たされていたことでしょう。 彼女はその財を持って主に仕え、主にいつも付きしたがって仕えていたことは間違いありません。

ですから、十字架の下にいましたし、埋葬の場所をも確かめていました。そして朝早く香料を持って墓に出かけていったのも彼女です(注:マタイの福音書27:56、マルコの福音書15:47、マルコの福音書16:1)。天使によって主の復活を告げられたのも彼女です。そして遂に彼女は、まず復活の主にお目にかかる特権に与ったのです。なんという喜びだったでしょう。

ヨハネ20:17 ・・・「わたしにすがりついていてはいけません。」・・・

マタイ28:9b・・・彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。

との記述から、喜びの深さが伝わってきます。

2)ヤコブの母マリヤ(クロパの妻マリヤ)、ヨセの母マリヤ(と呼ばれた人物)

<注:ヨハネの福音書19:25,ルカの福音書24:18、マルコの福音書15:47、マタイの福音書28:1>

この人物はマグダラのマリヤほど目立ってはいません。しかし、聖書をよく読んで行くと、大変重要なところに姿をあらわしている女性であることがわかります。わかりにくいのは彼女が多くの名前で呼ばれて出てくるからです。

しかしこれらの四つの名前は同一人物なのです。先に述べましたように伝承によると母マリヤの夫ヨセフの兄弟クレオパ(クロパ)の妻ですから、母マリヤとは義姉妹になる人です。彼女はいつもマグダラのマリヤと一緒に、十字架に居り、埋葬の場所を確かめ、朝早くに香料を持って墓に行ったのです。そして、マタイの福音書28章9節に、

・・彼女たちは近寄って御足を抱いて・・・

とあります。イエスを拝んだ時も一緒でした。マタイの福音書によると一番初めにマグダラのマリヤと一緒に復活の主にお目にかかったのです。

 

もう一つ興味深いことに「エマオの途上」でお目にかかった二人のうちの一人がクレオパの妻であったろうといわれています。チェーン式聖書がお手元にありましたら、脚注(155ページ)をご覧いただければおわかりになると思います。

D.おわりに

1)主の復活という最も大切なときに、女性たちが果たした役割の大きさを知りました。

ルカの福音書7:47 だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。

の主の御言葉が響いてくるようです。弱く造られた器ですが、主によって「女性」は高く引き上げられました。その一つとして証明されたのがこの復活のときではなかったでしょうか。

2)もう一つ言えるのは、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤの友情です。

信仰を一つにする友の交わりの何とも麗しい姿が、二人の行動を通して浮き上がってこないでしょうか。

心からイースターをともにお祝いいたしましょう。お祈りいたします。


Message by Hiroko Saoshiro,pastor of Nakameguro IGM Church

Compiled and edited by K.Otsuka/April 16,2006