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イエス様がよみがえられてから2、3週間たったある日のことです。弟子たちはエルサレムからガリラヤに帰って、これからどうやって生きていこうか、あーでもない、こーでもない、といろいろ話し合っていました。夜おそくなってからペテロがこう言いました、「こんなところでくすぶっていないで、魚でも取りに行こうや。」 ヤコブがすかさず言いました、「うん、行こう。」トマスもナタナエルもヨハネも、そしてそのほかのふたりの弟子(たぶんアンデレとピリポと思いますが)が口々に「行こう」「僕も」「僕も」という具合に、賛成者が7人になってしまいました。 |
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ギーコ、ギーコ、ギーコと舟をこいで、ガリラヤ湖の真ん中辺まで来ました。ペテロさんにとって網を下ろすのは3年ぶりです。それでも、若いときから鍛えられた勘は鈍っていないつもりです。「オーイ、みんな用意はいいか。行くぞーっ。」網をそろそろっとおろしました。しばらくして、もう何かかかっただろう、とおもうころ、一、二の三で引き上げました。期待に満ちた14の眼、でも何もひっかかりません。どうしたんだろうね、場所がわるかったかも、何ていいながらもう一回トライしました。今度もだめ。一体どうしたんだろう。3年も魚とりを休んでしまったから、いい場所を忘れてしまったのかな、ペテロは少しあせりました。思い切って場所を変えよう、なんていいながら舟をこいで、別な場所に行きました。さあ、こんどこそ、一、二の三。あがってきたのは草とかゴミばかり。また場所を変えてトライ、でも失敗。もうやめよう、と言い出すお弟子もいましたが、ペテロはあきらめません。夜通し何度も何度も何度も網をおろしましたが、小さな鮒一匹もかかってきません。 |
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くたびれきった弟子たちの背中が少し明るくなってきました。もう朝が近づいてきたのです。「やっぱり、今晩はだめだったねー。」「あきらめて、帰ろうか。」舟を岸に近づけると、朝日を浴びて一人の男の人が岸に立っているのが見えました。その男の人が何か叫んでいます、「こどもたちー。えものはどう?」弟子の一人が答えました、「さっぱりだめでサー。昨日は夜通し網を下ろしたんですがね、鮒一匹とれませんでした。がっかりです。」その男の人は言いました、「みんなの舟の右側に網を下ろして御覧なさい。」(だめだ、だめだ、と諦めないで、トライアゲイン、人生の再挑戦をさせていただきましょう。人生はやり直せます。今までの生涯がどんなに失敗続きであったとしてもです)。 |
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「網ってものは舟の左に下ろすのがジョーシキなのにね。あの人何にも知らないんだ。」「まあ、だまされたと思ってやってみようよ。ダメモトって言葉もあるじゃないか。」「よし、やってみるか。」「やや。」「どうしたんだ。」「網に手ごたえがあるぞ。しっかりひきあげろ。」「ウワー、こりゃ大変だ。魚がいっぱいで、網が避けそうだぞ。ゆっくり、気をつけて網を引っ張れよ。」「分かった。一、二の三っ」と。 |
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「まてよ。あの人は、あの人は、・・・イエス様だ。」「そうだ。あれはイエス様だ。間違いない。」「えっ、イエス様だって。ヨーシ、わしは先にいくぞー。」「でも、ペテロ、あんた裸のまんまでイエス様のところに出られるのかい?」「おー、しまった。じゃあ上着を着て飛び込むぞ。」 |
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ペテロは上着を引っ被ると、バシャンと飛び込みました。舟から岸までは大体100メートル、オリンピックの自由形記録が50秒位ですが、ペテロは上着を着たまま泳いでいますから、もうちょっと時間がかかりました。「イエス様―、ずっとそこにいてくださいねー。」なんて叫びながら必死に泳ぎ切りました。 |
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岸に上がったペテロが見たのは、イエス様が炭火を起こしていてくださり、そして、何と、その周りに焼き魚とトーストの朝ごはんが用意されていたことでした。暖かい炭火で濡れた上着を乾かしている内に、仲間の舟がギーコ、ギーコと戻ってきました。ペテロさんは先に行ってしまうし、魚は沢山で重いし、他の六人はちょっと文句の一つも言いたい所でしたが、イエス様の輝くお姿を見たとたん、文句も消えてしまいました。その上、素敵な朝ごはんまで準備されていたのですから、感激です。イエス様がおっしゃいました、「今取れた魚を少し持ってきなさい。それも焼いてあげるから。」イエス様は朝ごはんを準備なさるとき、計算が狂ったのでしょうか。いいえ。そうではなくて、弟子たちに、不思議な方法で取れたお魚のおいしさを味わってもらいたかったからだろうと思います。 |
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イエス様のお祈りで朝ごはんが始まりました。あの5千人の人々にパンを分けてあげなさったときと同じような、愛と信仰のこもったお祈りです。弟子たちはもう、そのお祈りを聞くだけで懐かしさに胸がいっぱいになりました。朝ごはんは静かな中で進みました。だれも何にも言わないで、黙々と、もぐもぐとパンと魚を食べました。もちろん、「あなたはイエス様ですね。」なんて、分かりきった質問をするお弟子はいません。「今日はいい天気ですね。」なんて詰まらないことも言いません。なにか口を開いたら、この素敵な気持ちがなくなってしまいそうな、そんな気持ちを味わいながら、パンと魚も味わいました。それから、私たちがイエス様に従うとき、網も舟もみんな捨ててイエス様についてきたのに、もう一度昔の生活に戻ってしまった、イエス様ごめんなさい、という気持ちもまじっていました。だから、みんな黙っていたのです。イエス様も黙っておられました。「弟子たち、捨ててしまった舟や網をもう一度持ち出して、昔の生活に戻ろうとするのかね。そんな根性だから魚一匹取れないんだよ。」って叱ってくれたほうがさっぱりしたかもしれません。でも黙っておられるイエス様の姿に、叱られるときよりもよっぽど辛い気持ちになってしまいました。 |
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ご飯が終わりました。片付けも終わりました。その時、下を向いていたペテロにイエス様は静かにお話を始めなさいました、「ヨナの子シモン、聞きたいことがあります。」「はい、イエス様、何でしょう。」いつもはペテロというあだ名で呼ばれていたペテロは、久しぶりで本当の名前で呼ばれたものですから、神妙な顔をしてイエス様の目を見ました。「あなたは、何よりも、誰よりも、私を愛していますか?」「もちろんです、イエス様。」とは言ったものの、ペテロは少し自信がありません。なぜって、この出来事の何週間か前に、ペテロは「私はナザレのイエスなんか知らない。」って三度もはっきりと言ってしまったからです。「何よりも、誰よりも、あなたを愛しています。」というのは、ちょっと遠慮して、「私があなたを大好きなのは、イエス様、あなたがご存知です。」なんて、少しあいまいな答えをしました。 |
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「そうか、ペテロ。もし私を愛しているなら、私の羊を飼いなさい。」とイエス様はおっしゃいました。「羊って何だろう。」と一瞬ペテロは考えました。イエス様は羊なんか持っておられないし、ああそうか、イエス様に従っている人々のことを「羊」っておっしゃったんだな、と鈍いペテロも納得しました。それでお話はおわりかな、と思ったペテロに、イエス様はもう一回、そしてもう一回、合計三度もおんなじ質問をなさいました。ペテロは悲しくて泣きそうになりました。私がイエス様大好き人間ってことを信じてもらえないのかな、とさえ思いました。三回もイエス様を知らないと言ってしまった自分の裏切りのことがとても悲しかったのです。 |
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三度目の質問と答えの後で、イエス様は別なことをおっしゃいました。「ペテロ。お前は、自分の行きたくもないところに行って、やりたくもないようなことをやることができますか?」「ああそうか、わしはイエス様大好き人間だったけれど、もっと大事なことは、イエス様のために、いやなことでも喜んでやり、行きたくもないところでも喜んで行くような人間になることなんだな。」って。自分の好きなことをやりながら、イエス様大好き人間にはなれない、イエス様がだめだとおっしゃったら、自分のやりたいこともやめる、イエス様がしなさいとおっしゃったら自分がやりたくないことでもやる、これがイエス様の求めておられる「愛」なんだ、ということが分かりました。この時からペテロは、今までとは違った心でイエス様に従う人間になりました。 |
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イエス様は、今日、私達にも聞いておられます。「○○さん。あなたは、私を愛していますか?」皆さんは、この質問になんて答えますか?お祈りの中で答えましょう。 |
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