プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2006年5月7日

クリスチャンと健康 

渡辺 寛伝道師

箴言 3章1-10節

中心聖句

Proverbs 3:1-10 

わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。

そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。

恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。

神と人との前に好意と聡明を得よ。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。

そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

(箴言 3章1-10節)


A.はじめに

5月に入りました。5月第1日曜日午後のひととき、ゴールデン・ウィーク最後の日、ようやく日差しも暖かくなり、今まで縮こまっていた体もだいぶ伸びて、体を動かしやすい季節となって参りました。すでにこの連休を利用してスポーツにレジャーに汗を流された方もあるでしょう。

今回は「クリスチャンと健康」というテーマで聖書のことばに心を向けます。

B.一般的に「健康」とは

「健康」は、特にクリスチャンに関わらず多くの人の関心を集めている事柄です。健康に関する様々な情報、グッズなどがあふれています。

健康食品・健康器具・健康ダイエット・健康薬品・ジムやヨガなどなど・・・ブームになりやすい分野でもあります。

実を申しますと、私も3年程前から右手にブレスレットをしています。いわゆる磁気により腰などの痛みを和らげるというものです。着けるきっかけは、4−5年程前に「ぎっくり腰」になったことがきっかけで、それ以来腰痛がひどくなったからです。

一応の効果があるので続けてつけています。その他にも、サプリメントを服用したり、学生の頃は、筋肉のトレーニングの為に健康器具を試したこともあります。このように、皆さんも、何かしら健康には気を使い、心がけたりしておられるのではないでしょうか。

一般的に「健康」とは、

*体や心がすこやかで、悪いところのない・こと(さま)。

*(医学では)単に病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態にあることをいう。

とあります。

しかし、時として「健康維持」は、過剰なダイエットをしたり、偏った食生活、間違った運動など、この「肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態」を壊すバランスを欠いた感があり、どこか偏っている気が致します。

私たちの考える「健康」とは、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があるように、いつも肉体の鍛錬にまず意識が向くのではないでしょうか。

実はこの言葉は、元の言葉の意味とはだいぶ違って用いられています。まず「・・・宿る。」と断定的には言っていません。

この言葉の元は、古代ローマの詩人ユウェナリスによって言われた言葉で、彼は若者が体を鍛えるだけで勉強をしないことを嘆いて、

「健全な肉体には健全な精神も!」と言ったそうです。

もう少し直訳すると、

「心身ともに健康であることを祈るべきである!」が本当の意味だそうです。

クリスチャンにとっての健康も、「肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態」といえます。それは、神様によって与えられるものです。そして、私たちこそ「心身ともに健康であること」を父なる神様に願い、祈り求めるべきです。

<肉体的健康>

当然私たちは自分の肉体の健康管理をおろそかにすることはできません。私たちの体は神様の宮として聖く保つことが求められています。 神様が創造された私たちは、この生まれもった体を無意味に傷つけたり、不摂生の故に病んだりしてはいけないのです。コリント人への手紙第二6章16節にありますように、

神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。

の通りであります。

<精神的健康>

心の健康。これは、ある種の試練や、修行のような形で得られるのではありません。まさしく人間の怜悧によるのではなく、神様の知恵、教えに服従することによって得られるのです。

<社会的健康>

世の中の関わりに於いて、いかにクリスチャンとしての証詞を立てて行くことができるかということです。この世の中と調子を合わせるのではなく、マタイの福音書5章13-14節、

あなたがたは、地の塩です。

あなたがたは、世界の光です。

のように、私たちはいつも世界の光、地の塩として歩まなければなりません。

肉体的健康も、社会的健康もこの精神的健康が大きな鍵となるのです。

C.では、聖書から見た「健康」は?

今日お読みした箴言の3章1-10節は、

「心の書」「健康の書」といえます。

1節から10節は、2節1組になっていて、5つに分けることができ、神様に対してどのように従うことが、心の富む者となり、健全な心となるのかが書かれています。

3:8 それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

この箴言による健康の秘訣は、まず、

3:7 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

つまり、

3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

ということ、

100%主に信頼をすることです。そして、

3:1 わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。

3:3 恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。

すなわち、

100%主の教えに絶えず聞き従うことです。

そうすれば、私たちには神様からの平安と長寿が、主を心から讃美する証詞が、進むべき確かな道が与えられすべてが満たされるのです。

さあ、私たちは絶えずクリスチャンとしての健康を維持し続けましょう。

絶えず肉体(神の宮として)の管理を怠らず、心豊かにいつでも神様により頼み、その知恵と教えに服従しつつ、社会において世界の光、地の塩となって証詞(あかし)を立てて参りましょう。

今週も愛兄姉お一人お一人の上に主の祝福が豊かにありますようお祈り致します。


Message by Hiroshi Watanabe,regular preacher of Nakameguro IGM Church

Compiled by K.Otsuka/May 7,2006