礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2006年7月2日
 
「共に励ましを受けたい」
ローマ書連講(3)
 
竿代 照夫牧師
 
ローマ人への手紙1章8-15節
 
 
[中心聖句]
 
 11  私があなたがたに会いたいと切に望むのは、・・・
 12  あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
(ローマ1章11-12節)

 
はじめに
 
 
1.先週は、パウロの自己紹介の部分から、「福音」という言葉の持つ喜ばしい響き、内容を学びました。

2.今週は8節以降で、「パウロのローマ行きの願望」について述べられている所です。
 
A.ローマの信徒に関する感謝(8節)
 
 
8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
 
1.喜ばれる信徒(8節a)
 
 
パウロは、手紙の執筆を感謝から始めます。当たり前と言えば当たり前です。でもパウロの感謝は、人間誰でもがするような形式的なものではなくて、真実な心からの感謝でした。「あなたがたすべてのために」(例外はなく)「イエス・キリストによって」(キリストの功の故に)「神に」(感謝の真の対象であられる神に)感謝をささげています。私達も、誰か他のクリスチャンに思い出されるたびに、その人が溢れるような感謝を捧げる、といった存在となりたいものですね。ああ、あの人か、と暗い思いにさせるような存在とはなりたくないものです。
 
2.全世界の評判となる信仰(8節b)
 
 
パウロの感謝の理由はただ一つでした。ローマ人クリスチャンの評判が伝えられるところはどこでも、「ああ、あの人々の信仰は立派だね。」「あの人々の信仰に見習いたいものだね。」と全世界の人々に言い伝えられていたのです。これは大げさな表現でしょうか。そうではありません。ローマは、いうまでもなく帝国の首都であり、多くの人々が出入りする場所でもありましたから、ローマで起きることは、すぐさま(当時のローマ帝国)世界の隅々まで伝わったのです。正に「すべての道はローマに通ず」でありまして、ローマ帝国の支配のもと、この時期、交通・通信のインフラは著しく発達していました。ですから、パウロのこの言葉はけっして大げさではなかったのです。似たような意味で、日本の中心である、この東京で私達が営んでいる営み、信仰の戦いというものは、(好むと好まざるとに拘わらず)波及効果がとても大きいことは自覚せねばなりません。勿論、人に見せるために教会があるのではないのですが、そういう結果を生むと言うことは避け難い事実です。
 
B.ローマ訪問の願い(9〜12節)
 
 
9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
 
1.切なる願い(9、10節)
 
 
「私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」(9節、10節)

9節10節で使われている言葉は、とても強いものです。

「ローマ人クリスチャンのことを思わないときはない」(=いつでも念頭にある)、「祈りのたびに」(=ローマ、ローマと口をついて名前が出てくる)、「何とかして」(=今度こそは)、と切望している様が、この文章から伺えます。

何でパウロは、このように、ローマに恋焦がれていたのでしょうか。その理由が続く諸節に記されていますが、要は、ローマは帝国の首都だったからと言えましょう。

ローマを押さえることは世界を押さえること、そういったスケールの大きい宣教戦略がパウロの奉仕の特徴でした。インマヌエルが、1946年に船橋で開拓戦を行い、教会が確立されるか、されないかの内に、蔦田先生が首都を目指すと宣言して、周りに人も住んでおらず、基礎会員も皆無であった丸の内に徒手空拳進出されたのと相通じるものがあるように思われます。
 
2.理由の@:御霊の賜物を分けたい(11節)
 
 
「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。」(11節)

パウロがここで御霊の賜物と言っているのは、預言とか、癒しとか、指導する力とかを含む奉仕のための能力を含んではいますが、それに限られず、それよりも、御霊が与えて下さるすべての恵み(聖霊による光、慰め、平安、知識など)を指すものでありましょう。生まれたばかりのローマ人クリスチャン、「使徒」と呼ばれる人々からきちんとした指導を未だ受けていないローマ人クリスチャンには、このような「御霊の賜物」は不足していたことでしょう。というのは、御霊の賜物は、多くの場合、使徒の按手によって与えられたからです(使徒8:17、19:6、第二テモテ1:6)。

パウロが訪問して御霊の賜物を分かち与えることによって、ローマのクリスチャンは、霊的にも実際的にも、しっかりと確立されるはずでした。この手紙を書いている時から約3年前、第三次伝道旅行の始めに、エペソを訪れたとき、12人のクリスチャンにぶつかりました。この人々は、ヨハネのバプテスマを受けただけで、聖霊のあることすら知りませんでした。パウロの勧めにより、「聖霊を受ける」という経験をしました(使徒19:1〜7)。このエペソのクリスチャン達とローマのクリスチャン達と同列に置くことは出来ませんが、恐らくパウロは、イメージ的にはその時の経験を、ローマのクリスチャンに重ね合わせて考えていたと思います。

11節の後半について、新改訳は「あなた方を強くしたい」と訳していて、パウロがローマ人クリスチャンを強化したいというようなニュアンスですが、ここでは動詞の「ステーリゾー」(確立する)の受身形が使われておりまして、ローマ人クリスチャンが恵みの経験にしっかりと確立されるように、との願いを示しています。パウロが前面に出て、ローマ人クリスチャンに一本筋を入れてやる、というニュアンスではありません。
 
3.理由のA:互いの信仰で励まし合いたい(12節)
 
 
「というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」(12節)

パウロは、「御霊の賜物を分け与えたい」と書いたあとで、それをもっと相互的な言葉に言い換えました。「というよりも」とは、11節の「御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて」と言う、いわば指導者的な言葉を中和させるために挿入されたのではないかと推測されます。確かにパウロは、教師として若いクリスチャンを教える立場にありましたし、その立場を忘れることはありませんでした。しかし、同じ信仰者として、私はいつでも「教える人」、信徒はいつでも「教えられる人々」という二元論には立ちませんでした。誰でもが、他の人の信仰から学ぶことができる、励ましを与えたり受けたりすることが出来る、それこそが本当のクリスチャンの交わりなのだ、という水平的な考えを持っていたことは、私達に大きな示唆を与えます。

パウロが、「あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」と語っている語り口は、私達に大きな挑戦を与えます。そこに@パウロの謙りを見ます。私の信仰は完成されたものではなく、不十分な要素があるという謙りです。もし、長く信仰生活を送る結果として、私は何もかも知っている、私の信仰は神に喜ばれる素晴らしいものだ、と思ってしまったら、その瞬間に私達の成長は止まり、信仰から堕ちてしまう危険があります。

Aさらに、そこにパウロの尊敬の精神を見ます。ローマのクリスチャンは、まだ駆け出しで、知識も不十分で、信仰も確立されていないかもしれない、しかし、そこに多くの学ぶべき要素があるという尊敬の心が大切ですね。この尊敬がクリスチャンの交わりの基礎です。

Bもう一つ言いますと、互いに励ますためには、私達は徹底的に正直でなければならないと言うことです。きれいごとだけ並べて、心が乱れているのに平安と言ったり、敗北が続いているのに勝利と繕ったり、弱っているのに強い振りをしていては、本当の交わりとなりません。パウロは、心をさらけ出すような本音の付き合いを通して、互いの信仰によって励ましあいたい、と言っているのです。

小グループ活動について私達の教会の26名が本郷台教会見学をしたのは、昨年の7月2日でした。実はその数年前から温められ、私達の教会に相応しい形を模索しながらテストがなされてきた「牧会小グループ」が、来月から正式に始まります。私は大変大きな期待をもってその準備を見守っています。小グループの交わりの原則は、誰かがリーダーになって、他のメンバーを導くという思想ではなくて、互いが互いの信仰に触発され、「ああ、私の信仰には、こんな面で欠けたところがあったのだ、そこを補っていただこう」とか、「あの方のあの証の背後にある信仰はすばらしい、私もそれにあやかりたいものだ」という相互作用が信仰の成長に役立つというものです。そのためには、互いが本当に裃や鎧を脱いで、正直にならなければなりません。「現代に語るウェスレー神学」を学んでいる聖別会でも引用したところを再び引用します。「キリストの体である教会の中で、自由に互いに必要をわかちあうことができる時、人生の中で幸せを感じます。自由に互いを思いやる雰囲気は、交わり(koinonia)に新しい表現を与えました。キリストの完全の教理は、このような分かち合いに対して神学的な道を開きました。私達は動機に基づいて受け入れられているのですから、行いが失敗していたとしても、それを分かち合うことを恐れる必要はありません。・・・もし私達がキリスト者の完全の教えを正しく理解すれば、あるがままの弱い姿をもっとおくすることなく告白することが出来るはずです。正直に告白すると、神のいやしの恵みが溢れ出るのです」(p.104)
 
C.ローマ訪問の願い・再述(13〜15節)
 
 
13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
 
1.ローマ訪問の計画と挫折(13節)
 
 
パウロは実際、ローマ行きを自分の伝道計画の中に組み入れようと試みました。しかし、実際上の理由からその計画が実現しませんでした。一つには、第三次伝道旅行の要であったエペソの教会の基礎を築くのに、パウロとしては珍しいほどの時間を掛けねばならなかったこと、第二は、エペソ滞在中に、コリント教会にいろいろトラブルが起きて、そのケアに時間と勢力を裂かねばならなかったこと、そして第三に、パウロが計画したエルサレム教会救済の募金運動が成功して、このまま足を伸ばしてローマに行くよりも、一旦募金額を届けにエルサレムに戻る必要に迫られていたこと、などです。その後でパウロはすぐローマに行きたかったのですが、その計画は大きく変更させられました。実際何が起きたかと言いますと、彼はパレスチナで投獄され、2年後には囚人としてローマに護送されるのです。神のご計画とは不思議なものです。まさに「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(箴言19:21)のです。
 
2.理由のB:福音を伝える(14、15節)
 
 
パウロは、自分はすべての人々に借金があると言っています。面白い表現ですね。福音を伝えるという負債です。言い換えれば、福音を伝えるのは、人々への借金返しなのです。私達は福音を伝えるとき、何かその人に余分なことをしている、迷惑を掛けている、という気分を持ってしまいませんか。パウロは反対です。福音を伝えないことが申し訳ないことだ、伝えることでその人への負債を返せるのだと考えたのです。

ここでちょっと気になるのは、「ローマにいるあなた方に福音を伝える」という表現です。この手紙の受け取り手はクリスチャンの筈です。クリスチャンに福音を伝える必要があるのでしょうか。二つの答えがあり得ます。クリスチャンではあるが、十分な福音が伝わっていないので、福音のすべての要素を伝えたい、という答えが一つです。もう一つは、ローマにいるノンクリスチャンの大衆に福音を伝えたいという答えです。私は両方が含まれていると思います。
 
終わりに
 
 
今日は、「あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」と言う言葉をもって、終わりたいと思います。先に述べましたように、パウロの謙りの精神、他の魂を尊敬する精神、心を開く正直の精神を実践したいものです。
 
お祈りを致します。