プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。
2006年7月23日
試練を乗り越えるB
「嫉妬心と向き合う」竿代 照夫牧師
サムエル記第一 18章6-16節
1Samuel 18:6-16
ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。 その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。 サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。 サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。 それでサウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは民の先に立って行動していた。 ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。 ダビデが大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。 (サムエル記第一 18章6-16節) |
A.はじめに
今日は、「嫉妬心と向き合う」というテーマです。題材となっているのは、ダビデの生涯です。
ダビデの場合は、最も深刻な形で嫉妬を受け、それを通過しましたが、私達の生涯でも、互いの違いがあり、それを意識する感覚がある限り、多かれ少なかれ嫉妬という課題を避けては通れません。
B.嫉妬とは?
「嫉妬」とは、自分よりも優れたものに対する羨みの気持ち、それが嵩じて起きる憎しみ、殺意をみんな含んだ言葉です。特に、自分と同じ分野で、少し優れた者への嫉妬心が問題となります。自分と異なる分野ですと競争心の対象になりません。
例えば、私がオペラ歌手を見て嫉妬することはありえません。最初から、その分野は私の分野ではない、と決めているからです。
さらに、同じ分野でも実力が段違いですと嫉妬心は湧きません。草野球の選手が、イチローに嫉妬してもはじまらないからです。でも、同じメジャー級の選手同士でしたら、これは大変です。
C.嫉妬を煽る「応援団」
さて、ダビデのケースに入っていきます。先週取り上げられたゴリアテとの戦いにおける大勝利の後の物語です。まず、18章6節で
「女たちがイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。」
とあります。そして、
・・・くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」
と7節で歌っています。私がこの凱旋行列の指導者であったとしますと、絶対にこの女たちの反応を抑えたと思います。私は、嫉妬に狂ったサウル王も悪いが、それを煽るような女たちの行動も愚かであったと思います。 いずれにせよ、7-8節にありますように、
サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」
その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
のであります。私達の不用意な発言で、互いの嫉妬を煽るような結果になることは、できるだけ避けねばならないと、この女たちの言葉を読むたびに思います。
D.嫉妬に狂った王様
嫉妬心を抱いたサウルの側から、この物語をみてみます。
皆さんが、今まで勝ち得ていた人気を別な人にさらわれて、「xxは千人を倒し、〇〇は万人を倒す」と言われて嬉しいでしょうか。当然嬉しくありませんね。
ここで考えましょう。きよめられた人は、一切嫉妬心から解放されるでしょうか。難しい質問です。
私はこう考えます、醜い嫉妬心はもっていなくても、嫉妬に導く誘惑はいつでもあるでしょう。それは、教会の仕事の中にでもあります。
例ですが、A教会で○人洗礼を受けた、B教会では僅かであった、という現実に直面して、何にも感じない人は、人間ではないでしょう。
ただ、その先が問題です。サウルのケースに戻りますと、女たちの差別的なほめ言葉を聞いて、嫌な気持ちになるまでは許せるでしょう。しかし、なぜそうなったかへの反省があれば、その嫌な気持ちが、嫉妬心、猜疑心、憎しみ、殺意にまで成長しなかったのではないでしょうか。
サウルは、預言者サムエルの明白な命令に背いて、神に捨てられてしまったのです。その罪を悔い改め、へりくだって神のもとに戻れば、回復の可能性がありました。
しかし、彼はその道を選ばず、ただひたすら、ダビデの台頭を恐れ、うらやみ、危惧し、そしてあらゆる方法をもってダビデを亡き者にしようと狂乱するのです。恐ろしいのは男の嫉妬です。
嫉妬とは、「やきもち」とも呼ばれます。やきもちも、こんがりと狐色くらいでしたら、かわい気があります。でも,黒く焼け焦げたやきもちは、どうにも醜いものです。
E.嫉妬に耐えたダビデ
その嫉妬の対象となったダビデに注目しましょう。
ダビデに不注意な点があったでしょうか。どう見ても、生意気な発言で兄たちの嫉妬を買ったヨセフのような言動はダビデには見られません。彼は一方的な被害者といえるでしょう。
ダビデの態度を見ましょう。彼は嫉妬に狂う王様を憎んだり、恨んだり、亡き者にしようと画策したりせずに、ただひたすら逃げ回ります。王様の気まぐれを慰めるためにハープを弾いていたその最中に投槍が飛んできました。すんでの所で命を奪われるという位サウルの嫉妬にはただならぬものがありました。
しかしダビデは、ひらりとそれをかわし、さっと逃げてしまいます。それから始まる数年間の「ダビデいじめ」、「ダビデ探索大作戦」にもかかわらず、彼はこの態度を貫きます。サウル王様を一打ちにして殺してしまうチャンスもありましたが、敢えて自分の手は下さず、神にすべてを委ねました。そうかと言って、易々とサウルの下に降ってその命を委ねるほど愚かではありませんでした。復讐心を抱かずに、知恵の限りを用いて逃げ回ります。
私は、なぜダビデはこのような行動に出られたのかと考えたとき、幾つかの理由を見出しました。その理由をダビデが作った詩篇の中から探ってみます。
@まず、苦難を見給う神を知っていたことです。詩篇31編7節をご紹介します。
あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。
サウルの嫉妬を受けて、苦難の只中にいるダビデは、苦難の中に居るからこそ、共に居給う神を捉えました。
Aつぎに、昇進・左遷も皆含めて、彼の人生を握っておられるのは神ご自身であるという確固とした信仰を持っていたことです。同じ詩篇の132編17-18節からです。
そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。
わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。
さらに、アサフの歌ではありますが、もう一つ引用します。詩篇75編6-7節からです。
高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。
それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。
彼は命の危険を何度も通過しましたが、王様となるべく油を注がれた主が、必ず命を保ち、彼を引き上げてくださると信じていました。
B三番目に、神が、すべてのことを明らかにし、正しい裁きをなさる方であるという信頼をもっていたことです。詩篇37編5-8節からご紹介します。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。・・・悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
嫉妬に狂った王様を、自分で裁こうとはせず、正しく裁き給う主に全く委ねました。私達にも、いろいろ意地悪をする人間が周りに居るかもしれませんが、裁きをなし給う主に委ねましょう。
F.おわりに
人間社会のスパイスでもあり、しかし、多くの場合は毒でもある嫉妬の問題について振り返って終わります。
@まず、他人の嫉妬を煽るような不用意な言動を避けようということです。
こんな発言や行動をしたならば、この人は嫉妬を感じてしまうのではないか、と考える想像力を持ちましょう。嫉妬を煽る言動を避けましょう。
A次に、嫉妬への誘惑を感じたら、芽のうちに摘み取ろうということです。
神はあらゆる人を違うように造られたのです。他人と比較して優越感を持ったり、劣等感を持つようなケチな考えを捨てましょう。違うのが当然、オンリーワンの美しさを感謝しましょう。
Bそして、嫉妬されても、主に委ねようということです。
私達が恵まれて信仰生活を歩むならば、嫉妬されることは不可避です。でも、嫉妬している人を恨まず、裁かず、すべてをご存知の神に委ねて、平らかな心をもって進みましょう。お祈りいたします。
Message by Isaac.T.Saoshiro,senior pastor of Nakameguro IGM Church
Compiled and edited by K.Otsuka/July 23,2006