プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2006年8月20日

試練を乗り越えるD
「命の危険を逃れる」

山口 民雄伝道師

サムエル記第一 21章10-13節

中心聖句

1Samuel 21:10-13 

ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。

するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」

ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。

それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。

(サムエル記第一 21章10-13節)


A.はじめに

こんにちは。私にとって初めてのプレイズ・ワーシップでのメッセージです。よろしくお願いいたします。

さて、先週の礼拝メッセージでとりあげられましたルカの福音書の中の放蕩息子のたとえ話、そしてそのルカの福音書1章38節のおことばが もとになった"Let It Be"をはじめ、27曲がヒットチャート1位となったビートルズの曲を、受験勉強をしながら聞いていました。

このルカの福音書1章38節に登場するこの処女マリアからお生まれなさった私たちの救い主、イエス様は、ダビデの子とも呼ばれています。このダビデのことを通して学んでいますが、今日はサムエル記第一21章10-13節からメッセージをとりつがせていただきます。

B.ダビデの歩み

プレイズ・ワーシップでダビデのことを学ぶのは今回で五回目ですが、先の林間聖会のバイブルリーディングの時に河村従彦先生がサムエル記のよきチャートを作ってくださいましたので、林間聖会にご出席できなかった方々に恵みのおすそ分けをさせていただきます。サムエル記の学びのご参考になさって下さい。

今日の箇所は、その中から「ダビデの逃亡生活」にあたります。これまでのダビデの姿は、『アートバイブル』からの絵画で見てみますと、

「サウルにハープを奏するダビデ」

「若きダビデ」

「ゴリアテの首を持つ少年」

「ダビデの凱旋」

「ダビデとヨナタン」

とあります。名画の中に色々と想像をかきたてられます。

C.逃げるダビデ

華々しい活躍をしたダビデはサウル王にうとまれ、命を狙われる立場になってしまい、やむなく逃亡生活をすることになってしまったのです。イスラエルの荒野をあちこちと逃げ回ってついに敵国のペリシテのガテの王アキシュのところへ逃げ込んできたのです。サムエル記第一21章10節からお読みします。

ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。

するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」

ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。

それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。

21章の前半にはノブでのことが書かれており、ダビデが聖別されたパンを食べる記事があります。イエス様がマタイの福音書12章3-4節やルカの福音書6章3-4節においてパリサイ人や律法学者等へ言及されています。

また、祭司アヒメレクがドエグの密告によってサウル王の腹いせに惨殺されるという悲しい記事が出てきます。やむなくダビデは敵国のペリシテのアキシュの所へ逃れてきたのです。正に窮余の一策です。

ライオンも獲物が懐に入って来た時はこれを殺さないといいます。神様はましてご自分のふところに逃れてきた者を全面的に守ってくださいます。

D.救いを求めるダビデ

悪魔の攻撃は強力で巧妙で苛烈を極めます。なにしろ、イエス様に通じる血筋をなんとか断とうと必死なのです。ダビデは気違いの振る舞いをしてなんとかその魔の手から逃れようとしたのです。人間的にはこの時、ダビデは「うつ状態」ではなかったかと言う聖書学者もいます。その心情をダビデは詩篇34篇に披瀝しています。

この詩篇34篇では、

救い出して

救われた

などの神に救いを求めることばが五回出てきます。特に四節には、

恐怖から救い出してくださった。

と祈っています。ダビデも恐れがあり、悩みも多かったのです。

サウルの攻撃は執拗で強硬でした。ダビデもこれに対して正面きって戦うことができたかも知れません。事実2度もサウルを殺すチャンスがありました。でもダビデはそれをしませんでした。徹底的に避けて逃げたのです。

ブルース・ウィルキンソンが書いた『ヤベツの祈り』の中にも、悪魔の誘惑から逃げなさいと勧めている文章があります。

話が外れて申し訳ありませんが、この『ヤベツの祈り』、私が北京のBJFの友人に紹介したところ、本の通りに祈りを実行し、結果として大きな恵みをいただき、ご主人とお嬢さんが救われました。

私もディボーションガイドで大きな恵みをいただいております。今でもこの聖句−歴代誌第一4章10節−を聖書にはさんで祈りを実行しています。

また、この聖句はプレイズ・ワーシップで歌われている同じ題名の歌でご存知ではないでしょうか。作曲がインマヌエルのある地方教会の方です。

E.身を避けるダビデ

話を今日の聖書の箇所に戻します。

命を求めて呑むべきものを尋ね求めて悪魔はめぐっています。どこへ逃げましょう。ダビデは主に身を避けました。22節に、

主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。

とあります。

新約の私達はイエス様の十字架に身を避ければいいのです。22節のみことばは、イエス様の十字架に成就されて、あまつさえ永遠の命を私達に与えられたのです。

一目散に逃げましょう。十字架のもとに。インマヌエル賛美歌37番『十字架の下ぞ』を見てください。

十字架の下ぞ いと安けき  神の義と愛の会えるところ

嵐吹く時の 巌(いわお)の陰  荒れ野の中なる 我が隠れ家

お祈りいたしましょう。


Message by Tamio Yamaguchi,preacher of Nakameguro IGM Church

Compiled and edited by K.Otsuka/August 20,2006