12節は「そういうわけで」から始まります。このそういうわけとは、これまで述べてきた罪と救いに関する真理の全てを語ったものです。すなわち、人は皆罪人であり、自分で自分を救うことが出来ないこと、神はその限りない愛の故に,御子キリストを世に降し、罪の全てを贖ってくださったこと、人間は誰でもただキリストの贖いを信じる信仰によってのみ救われること、更に、その救いとは、私達をキリストに似た品性に作り変える大きな動力を持っていることを全部ひっくるめた言い方です。パウロは,この宇宙大の戦いを,大将の有り方が決定する、といっているのです。 |
戦いというものは、多くの場合、敵の大将をどうやって討ち取るかが鍵です。数の上からは圧倒的に不利であった尾張の織田信長は、桶狭間で奇襲をもって今川義元の首を取り、天下の帰趨を決定したことは、あまりにも有名な実例です。 |
罪と死は、一人の人、人祖アダムによって人類に入り込んでしまいました。「入り」という言葉を使っていますが、これは、罪も死もアダムには異質なものであったことを示します。今は、罪を犯すことが人間性の中に組み込まれているような感がしますが、本来そうではなかった、ということを心に留めねばなりません。 |
この文節でパウロが言おうとしていることを捕らえるために、論旨を箇条書きにしてみました。 |
1)アダムにおける罪の始まり:アダムは、罪を犯したために死ぬべきものとなった。 |
2)罪と死が子孫に継承:アダムの子孫も、罪の性質を受け継ぎ、罪を犯すものとなった。 |
3)律法は罪意識を鮮明にする: 罪とは、律法によって意識されるものであるが、アダムからモーセにいたる(律法賦与以前の)期間の前に生きていた人々にも心の中には律法が与えられており、それに反する行為を行った罪人であることには変わりない。 |
4)罪は死を齎した:アダムからモーセにいたる人々も、その罪の故に死ぬべきものであった。 |
さて、ここでアダムの堕落の物語を復習しましょう。創世記3章をお開きください。 |
1節a:さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。<この蛇自体が呪われた動物ということではなく、蛇を通してサタンが働きかけてきたと新約聖書は解説しています(黙示録12:9)。> |
1節b:蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」<ここにサタンの狡猾さが伺えます。神はこのような命令をしておられないのに、恰もケチ根性から禁断の木を定めたように、悪意への誘いを行っています。今日でも、XX教会の○○先生がそんなことを言ったのですか、という風に、悪意の注射をする人がいます。そして、こういう噂話は免疫の出来ていない魂には、実に効果的な注射なのです。> |
2-3節:女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」<ここでも神の命令に関する歪曲があります。神は触れてはいけないとは言っておられません。死ぬかもしれないともおっしゃっておられません。必ず死ぬとおっしゃったのです。> |
4-5節:そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」<神のように賢くなれる、これはなんという大きな誘惑でしょうか。これこそ罪の本質、自己中心主義、自己拡大主義そのものです。> |
6節以下は読みませんが、神と人との亀裂は決定的なものとなります。そして、その結果人は「死ぬべきもの」となったのです。飛びまして、 |
19節:あなたは、顔に汗を流して糧を得ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」<これで死が人類に入り込みました。> |
創世記 5:3「アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。」<アダムの形に子供が生まれたと記されている箇所です。罪の性質もその子供達に伝達されてきました。> |