プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。
2006年11月12日
試練を乗り越えるL
「主も、またあなたの罪を見過ごしてくださった」渡辺 寛伝道師
サムエル記第二 12章13節
中心聖句2Samuel 12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。 (サムエル記第二 12章13節) |
A.はじめに
今回の中心聖句はサムエル記第二12章13節ですが、12章1-14節がお話しする範囲となります。
サムエル記第二12:1-14は、預言者ナタンがダビデ王のもとへ行く所から始まっています。
ダビデ王がバテ・シェバを王宮に入れ一年近く経ったころ、主は預言者ナタンを通してダビデ王の行いがいかに神様の前に、神様の御心に適わなかったかを示すためであり、悔い改めの機会を与えるためでした。
その前の11章の終わりには、27 節の
「・・・しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。」
とありますが、何があったのかお話しします。
B.「あなた(ダビデ)がその男です」
ダビデ王は、ある日、王宮の屋上から水浴びをしているバテ・シェバという美しい一人の女性に目がとまりました。
バテ・シェバは、ウリヤというイスラエル軍の兵士の妻でした。そうと知りつつも、ダビデ王は、このバテシェバを王宮に招き入れ、彼女の夫ウリヤを戦いの最も激しい場所に送り、戦場で殺してしまいました。
モーセの十戒にもあるように、姦淫と殺人を犯したダビデ王は、人の前では、その行いを隠し通しましたが、神様の前では何一つ隠し通すことはできず、神様の怒りを買ったのでした。
神様の使いとして預言者ナタンはダビデ王の行為がいかに卑劣、かつ卑怯な行いかをまず「貧しい人の羊を奪った金持ち」のたとえを巧みに使い示しました。そのたとえは次のようなものです。
ある町にお金持ちの裕福な(非常に多くの羊と牛を飼っていた)人と、貧しい(自分で買った雌の子羊しか持っていない)人がいました。貧しい人は、その子羊をとても大切に育てていました。
ある日、お金持ちの人の所に旅人が訪れました。お金持ちの人は、旅人をもてなす事にしましたが、自分の羊や牛から取って調理するのを惜しんで、貧しい人の大切にしていた、子羊を取り上げて、それを調理して出しました。
このお金持ちの人のあまりの身勝手さ、高慢さに怒りを隠せないダビデ王でした。
すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。
その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」
5-6節をお読みしましたが、ダビデ王は人ごとのように、このような行為は死に値すると言いました。
そのダビデ王に向かって預言者ナタンは、
「あなたがその男です」
と言いました。
たとえ話のお金持ちの人に憤りを露にしていたダビデ王に向かって、「あなたがその男です」と行った瞬間、
ダビデ王は、どう思ったか・・・。
ダビデ王は何を言おうとしたか・・・。
ダビデ王の態度は・・・。
もし私たちが「あなたがその男です」と、指摘されたらどうするでしょう・・・?
C.主に対して罪を犯した私(ダビデ)
新約聖書の福音書で、使徒ペテロは、イエス様に最後までついて行くと言いながらも、イエス様が捕らえられ、裁判のため引き渡された時、身を隠すようにそっと後についていきました。
中庭である女中に「あなたも、あのイエスと一緒にいた」と、指摘された時、慌てたペテロは「そんな人は知らない」と、最後までついていきますと言ったイエス様のことを否定して、呪いました。
真実を突きつけられた時、私たちはどう答えるでしょうか。
最近のニュースを見ていても、突然話が二転三転したり、お茶を濁すような言い方でごまかしたりしているのをよく見かけますが、私たち自身は、このような時どういう態度に出るでしょうか。
私は、一度大きな失敗をしました。
結婚式のおめでたい席で、祝電を披露する時に、思いっきり「祝電」を「弔電」と言ってしまいました。取り返しのつかないことをしてしまいました。出席者の、また両家の顔を見ることができませんでした。 正直その瞬間、「なんと言ってこの場を切り抜けようか」と考えました。
しかし、促されたことは、
「大変失礼をいたしました」と言ってやり直すこと
でした。
幸い披露宴の後、ご両家も失敗を許してくださり、逆に励まされてしまいました。
しかし、私の心の中では、いまだにあの時のことは忘れられません。たとえ許すと言われても、結婚式のたびに思い出してしまいます。
話を戻しますが、ダビデは、ナタンから
あなたがその男です
といわれた時、口を開き、言った言葉は
私は主に対して罪を犯した。
でした。
下手な言い訳でも、醜い弁解でも、身勝手な言い逃れでもありません。
ダビデは、イスラエルの王様です。彼の一声で誰もが動くのです。彼の一言で皆の口をふさぐことも簡単なのです。
しかし、ダビデ王は、正直に事実を認めました。何一つ隠すことなく、すべての過ちを認めました。そのときの心境がつづられているのが詩篇32篇です。
詩篇32:1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。
3 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
4 それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
D.今回のテーマ:「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。」とは?
さて、今日このダビデ王から学ぶべきことですが、それは、
自分の失敗、汚点と言うべき事柄を包み隠さずに認め、神様に打ち明けること
です。
それには大きな勇気がいります。
今までの信用、築き上げた全てを失うかもしれません。
この先その汚点をすべて背負う人生かもしれません。
ダビデ王も、この罪により、子を失うこと、剣による流血が続くことと、家族の裏切りという試練を通ることとなりました。
私たちは、このような試練にあう時、不安や絶望で押しつぶされそうになります。自分の力ではどうしようもないのです。隠す事は何の解決にもならないのです。
私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
とダビデ王も隠す事が苦しみであったと言っています。
しかし、その過ちを隠さずに認め、悔い改めるとき、
主も、またあなたの罪を見過ごしてくださる 恵みがあるのです。
まず、神様は、いつでもダビデ王に多くのものを与えようとしておられました。7-8節に、
ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。 さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。 とあります。「不十分ならもっと与えよう」とまでおっしゃいました。
さらに、預言者ナタンを通して「罪を赦す備え」をも用意しておられました。
さらに、神様は、
ダビデ王がもう一度奮い立つ時 を待っておられました。ダビデ王が勇気をもって罪の告白をするのを待っておられました。
ダビデ王は、勇敢で偉大なる信仰者です。
熊や獅子が襲って来ても、
巨人ゴリアテとの一騎打ちの時も、
自分を必要に狙うサウル王の前でも、
ダビデ王は地位も名誉も多くの優れた部分を持っているから偉大なのではありません。
ダビデ王が、偉大な信仰者と呼ばれるのは、失敗しても、自分を低くし、へりくだって自分の否を、自分の罪を素直に認めることの出来る人物だからです。
ダビデ王のように、取り返しのつかない、後にも先にも行けない、ただそこに立ちすくむだけの状況になったとしても、事実を素直に認め悔い改める者には、神様は、恵みと憐れみとで、必ず答えて下さるのです。
卑劣な罪に対してダビデ王の下した結論は、
そんなことをした男は死刑だ。 でした。しかし神様は、
神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。 と、おっしゃいました。
神様は、いつでも私たちにこの砕かれた悔いた心を持つように望んでおられます。自分の過ちを素直に認める者を蔑んだりするお方ではなく、逆に憐れみと愛とで包み覆ってくださるのです。
私たちが倒れても、この心を持っているなら、神様は御手を差し伸ばし、私たちを恵みに満たして下さいます。たとえ困難に立ち向かう結果となっても、共に歩み支え励ましてくださいます。
この素晴らしい神様の前に立ち、心から悔い改める者でありたいと思います。
みなさんのそれぞれの生活の中で、試みに遭うことがあるかもしれません。まわりの目を気にしたり、立場を気にしたりする前に、心砕かれて神様の前に素直になりましょう。そして、
「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。」 と、心から喜べる経験を頂きましょう。皆様の上に主の祝福をお祈り致します。
Message by Hiroshi Watanabe,residential preacher of Nakameguro IGM Church
Compiled and edited by K.Otsuka/November 12,2006