礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2006年12月10日
 
「待ち望む心」
待降節講壇(2)
 
竿代 照夫牧師
 
ルカ2章25-32節
 
 
[中心聖句]
 
 8  エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。
(ルカ2章25節)

 
聖書テキスト(ルカ2章25-32節)
 
 
25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。
28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
30 私の目があなたの御救いを見たからです。
31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
 
はじめに
 
私の書斎の正面にカレンダーが掛っています。それは、飛び切り背中の曲がったお爺さんが、マリヤに抱かれた幼子イエスを見つめている絵です。勿論それは、シメオンです。このシメオンは、誕生後40日目にエルサレムの神殿に、聖めの儀式に連れてこられたイエスと両親と居合わせて、神に感謝を捧げた人です。

シメオンは「メシア待望」グループの一人でした。シメオンが待ち望んでいたのは「イスラエルの慰められること」(25節)でした。また、「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と、聖霊のお告げを受けていました(26節)。彼はまた、神の「御救い」を待ち望んでいました(30節)。更に、シメオンの仲間のアンナは、「エルサレムの贖いを待ち望んでいる」数人の祈りのグループ(38節)のリーダーでした。クリスマスは、ある日突然降って湧いたように起きた出来事ではなく、長い間の預言と、人々の待望とによって地ならしされた土壌に与えられた歴史のハイライトであったのです。このメシア待望について、旧約聖書と、それ以後の歴史から概観したいと思います。
 
A.メシア待望の歴史
 
1.メシア(キリスト)とは?
 
 
1)キリストは、ギリシャ語ではクリストスと言い、油注がれたものとの意味です。これはクリオー=油を注ぐ、献納する、という動詞から来ています。また、へブル語ではマシーハー(日本訳ではメシア)と言い、マーシャー(油を注ぐ、誓う)という動詞の派生語です。

2)旧約聖書ではこの言葉は二回しか出てきません。ダニエル9:25,26がそれです。ここでは、終末の時代に神の民を再建する指導者として描かれています。

3)メシアという言葉が使われているのは二回だけですが、油を注ぐという習わしは重要な職に就任する人になされていたので、新しいアイデアではありません。特に以下の三つの職位は油注ぎを受けて就任するものでした。
  a)王(第一サムエル15:1,17)
  b)祭司(出28:41)
  c)預言者(第一列王19:16)
 
2.旧約聖書でのメシア待望
 
 
旧約聖書が、終末に来るべき指導者と期待していたのは、その三職を兼ね備えた「神の子」でした。つまり、王として治め、預言者として真理を語り、祭司として罪のあがないをする人物です。

メシア待望を示す代表的な諸聖句を挙げますと:
1)創世記3:13=蛇の頭を砕くものとして
2)創世記22:17=敵の門を勝ち取るものとして
3)民数記24:17=ヤコブから上る星として
4)申命記18:18=偉大な預言者として
5)第二サムエル7:16=ダビデ王国の継承者として
6)詩篇2:7=神の副王的な「子」として
7)詩篇110:4=永遠の祭司として
8)イザヤ9:6-7=主権者なる嬰児として
9)イザヤ53全体=苦難を通して救いを齎す贖い主として
10)マラキ4:2=義の太陽として

もっともっとありますが、今日はここまでにします。
 
3.旧約聖書以後のパレスチナ
 
 
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1)ペルシャの支配下で:旧約聖書が書き終えられたのは、ネヘミヤ、マラキの頃(BC5世紀後半)でした。その頃は、ペルシャが中東と地中海沿岸を支配していました。イスラエルは、かなりの自由を与えられてはいましたが、経済は苦しく、その苦しさの中で、メシア待望が増幅されていきました。

2)エジプト支配下で:エジプト(プトレマイオス王朝)の支配下では、打ち続く戦争や、厳しい税金の取立てのために、もっと経済的に貧しくなりました。一方、この頃ディアスポラ(離散ユダヤ人)は、各地で会堂を建て、聖書を学んだり普及させるなどの活発な活動を行っていました。その一例が、エジプトのアレクサンドリアにおける聖書のギリシャ語への翻訳(70人訳)です。この聖書は、多くの離散ユダヤ人だけではなく、異邦人にも広く用いられました。

3)シリア支配下で:エジプトとの戦いに勝ってパレスチナを支配したのは、シリア(セレウコス王朝)でした。彼らの下で、イスラエルは苦しみました。中でもアンティオキアス・エピファネスは、異常性格の持ち主で、エルサレムの神殿の隣に体育館を作ったりして、ギリシャ文化の持込を図りました。そして反抗するユダヤ人を懲らしめるために、神殿をゼウスの神殿と変えようと思い、そこに豚を捧げるなどの乱行を行いました。律法を読むこと、所有することを禁じ、安息日も割礼も禁止しました。このような迫害に対して立ち上がったのが、老祭司マッタテヤとその五人の子供達でした。特にその一人、ユダ・マカベウス(ハンマーの男)が勇敢に戦い、短い期間ではありましたが独立を勝ち取ります。しかし、ユダの弟で後継指導者となったシモンとその家庭の内紛によって国は弱体化します。

4)ローマ支配下のパレスチナ:そのころ、地中海世界を次々に侵略して力を増してきたローマ軍によって最終的に国は滅ぼされ、その植民地となります。そのローマの力を得てパレスチナの支配を任されたのがヘロデ家です。その家の乱行、謀略、圧制は大変なものでした。
 
4.増大してきたメシア待望
 
 
この様に苦しさが増してくるイスラエルにおいて、メシア待望は強いものとなってきました。ユダ・マカベウス始め何人もの独立運動家がメシアではないかと考えられたが、そうではないということがわかりました。それでもメシア待望は衰えるどころか益々燃え上がりました。この頃のメシア待望の特質は、極めて政治的救済者との色彩が強く、「異邦人を支配する、義なる支配者としてイスラエルに君臨するもの」でした。
 
B.シメオンのメシア待望
 
 
シメオンがメシアを切実に待ち望んでいたことは、先にもお話ししましたが、一般の「政治的なメシア待望」とは異なり、純粋な心でメシアを待っていました。そのことが、今日のテキストからも明らかです。そのポイントを拾ってみますと:
 
 1)聖書的メシア観
 
 
シメオンは、聖書が示しているような、贖いを成し遂げるお方としてのメシアを待望していました。彼のメシア像は、イスラエルだけを助ける狭いものではなく、「万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(31,32節)と世界的な救い主と捉えていました。これは、イザヤ42:6をそらんじていたことを物語ります。さらに、シメオンは、このメシアが人々の反抗を受けること、その反抗のために母マリヤの心が刺し貫かれること(34,35節)を預言します。これはイザヤ53章の「主の僕」を読みこなしていた証拠です。苦しみを通して贖いを成し遂げるメシアを捉えていた人は、彼と同時代の人々には殆どいませんでした。
 
 2)切迫感と期待
 
 
シメオンは、このメシアが彼の目の黒いうちに与えられるという確信と、切迫感をもって祈り続けました。祈りのうちに、この確信が与えられ、その確信に基づいて祈り、待ち続けました。長い待ち望みの中で、ああ、もうダメなのかと諦める誘惑もあっただろうと思います。しかし、何の徴も見えず、何の動きも見えないような時にも、忍耐をもって祈り続けました。そして、その目が主の救いを見、ああ、もうこれで私は人生を終えても悔いはない、という喜びのクライマックスに導かれたのです。マラキは、「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、神殿に来る」(マラキ3:1)と預言していますが、この突然は、前もっての準備、摂理の動き、そして、切なる祈りが全部積み上げられての突然です。丁度ガスが充満しているところに火花が散ると、そこが爆発するようなものです。
 
 3)連帯感
 
 
<シメオンは孤独ではなかったようです。昼も夜も断食と祈りをもってメシアを待ち望んでいた老婦人アンナとも知り合いであったことが、次の文節からも伺えます。アンナも孤独ではなく、メシア待望祈祷会のリーダーでした。36−38節をお読みしましょう。「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、84歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」さらに遡って、1:10を見ますと、祭司ザカリヤが日々の生贄を捧げる間、「大ぜいの民がみな、外で祈っていた。」と記されています。これらがシメオンたちと同じグループかどうかは分かりませんが、キリスト来臨の前に、色々なところで祈りが積み上げられ、積み上げられ、それが遂に答えられて、クリスマスとなったのです。私は水曜日の祈り会が楽しみです。世界大の課題から、私達の家庭的な課題まで、心を合わせ、声を合わせて祈り続けています。祈りが答えられたという喜びの報告を聞くときには大きな感謝を捧げます。何の動きもない様に見える問題もありますが、必ずやガラガラと音を立てて動き始めることを信じて祈り続けています。皆さんも、祈りのグループに加わってください。
 
C.私達が待ち望むもの
 
 
キリストは既にお出でくださり、救いを成し遂げてくださいました。それでも私達にとって待ち望むことはあります。
 
1.主の救いを個人的に待ち望むル
 
 
メシアは既に来られて、救いを成し遂げ、活きて働いておられます。その救い主を信仰をもって待ち望む人々に、救いが個人的に与えられます。私達は救い主を必要としているでしょうか。イエス!!!その事を正直に認め、求めましょう。キリストを王として礼拝しましょう。預言者として彼に聞きましょう。祭司として信頼しましょう。
 
2.主のみ業を期待する
 
 
家族の救いのために祈っている人は多いことでしょう。教会のリバイバルのために私達は真剣に祈り続けています。国の救いのために、世界の平和のために、私達は祈り続けています。これは何時、どのように答えられるのでしょうか。分かりません。しかし、主を待ち望む心をもって、「御国の来る」ことを祈り続けましょう。
 
3.再臨の主を待ち望む
 
 
クリスマスは、キリスト再臨を待ち望む心を新たにする機会でもあります。シメオンがメシアをひたすら待ち望んだように、私達も再臨の主をひたすら待ち望んでいます。そのときこそ、汚れたこの世を大掃除してくださり、永遠の平和と至福が世を追おうでありましょう。聖書は、アーメン、主イエスよ、来たり給え、と再臨待望で締めくくられています。私達の望みは主の再臨です。待ち望みましょう。
 
ご一緒にお祈りを致しましょう。