礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2006年12月17日
 
「アウグストの勅令」
待降節講壇(3)
 
竿代 照夫牧師
 
ルカ2章1-7節
 
 
[中心聖句]
 
 1  そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
(ルカ2章1節)

 
聖書テキスト(ルカ2章1-7節)
 
 
1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
 
はじめに
 
 
先週は、アドベント第二聖日として、ひたすらにメシアを待望した老シメオンについて、その信仰の純粋さを学びました。いよいよ神の約束の時が来、救い主が誕生されるその興奮の成就を共に祝いました。

さて、今日は、預言の成就の影の立役者、アウグストスについてお話します。先週お話しましたように、クリスマスは、ある日突然降って湧いたように起きた出来事ではなく、長い間の預言と、人々の待望とによって地ならしされた土壌に与えられた歴史のハイライトであったのです。
そして、準備が積まれたと言うだけではなく、当時の歴史的な歯車が大きく動いて預言が成就された、と言う意味でも驚くべきイベントでした。その一例を「皇帝アウグストの勅令」に見ます。
 
A.アウグストの勅令
 
1.アウグストとは?
 
 
アウグストとは、ローマ帝国の初代皇帝のことで、本名をオクタヴィウスといいます(肖像はここをクリック)。有名なユリウス・カエサル(英語読みですと、ジュリアス・シーザー)の妹の孫として63BCに生まれました。カエサルが暗殺されたのが44BCで、オクタヴィウスも危機に曝されましたが、上手に泳ぎ切り、権力への道を辿り、アクティウムの海戦(31BC)でライバルのアントニウスを破って、絶対権力を手に入れます。その後アウグストゥス(宗教的に清められたもの、と言う意味)の称号を得て、ローマ帝国の初代皇帝になります。それまでの内戦状態に終止符を打ち、ローマの威光が隅々に及ぶ「ローマの平和」(パクス・ロマーナ)を確立します。ユダヤ問題に関心を持ち、ヘロデ大王にもかなり肩入れしたと歴史は記しています。ヘロデはカイザル・アウグストに因んで、二つの町をカイザリヤと名付けた程です。
因みに、「皇帝」という言葉は、「カエサル」と原語ではなっています。オクタヴィウスの大叔父ユリウス・カエサルの名前がそのまま、皇帝と言う意味で使われるようになったのです。脱線しますが、ロシアではツァー、ドイツ語ではカイザーですが、語源はみな同じです。
 
2.人口調査の勅令
 
 
さて、ローマの属州の一つであるシリア州の総督で、クレニオという人物がいましたが、彼の責任の下で少なくとも二回の人口調査が行われたようです。その第一回のものがキリスト誕生と結びついています。紀元前5年位と推定されます。

人口調査の目的が人々からの搾取であることを察知した民衆は、当然これに反抗しました。その一例が使徒の働きに記されています。「その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。」(5:37)こうした反抗の例はありますが、このルカ2章の人口調査に限っていえば、かなり徹底的にしかも平和の内に行われたようです。それはローマ帝国の支配が確立し、その属国となったユダヤの王ヘロデがアウグストゥスに協力的であったからと思われます。その徹底振りは、各々がその故郷に帰って登録に応じた事実に表れています。
 
B.勅令とヨセフ一家
 
1.ヨセフ一家の移動
 
 
ヨセフは、その先祖を辿るとダビデに辿り着きます。そのことは、マタイ福音書1章の長い系図で明らかです。今でこそ一介の大工と言う平凡な人生を歩んでいますが、元はといえば、何を隠そう、王様の家系であったのです。現代の日本は、私の先祖はxxで、と威張っても余りびっくりされないような平等社会ですが、それでも、あるスケートの選手が有名な戦国大名の子孫であることで話題になります。イスラエル社会では、まだまだ、先祖が誰であるかは重要な要素でした。

ヨセフは、名前だけは光栄に満ちていましたが、現実には落ちぶれた家庭でした。その先祖がどのようなプロセスでナザレに落ち着いたかは明らかでありませんが、BC6世紀、ヨセフの先祖ゾロバベル(ゼルバベル)が捕囚から帰ってきたイスラエルの民の指導者としてエルサレムで活躍していたことは確かですから、その5百年のどこかで、親族の一部がガリラヤに移住したものと思われます。ガリラヤ地方は、南ユダから見れば「異邦人のガリラヤ」(マタイ4:15)と呼ばれるほど、文化的・社会的・経済的に僻地でありました。その上、ナザレは、ガリラヤ湖からずっと南方の人里離れた谷間の小さな町でした。「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハネ1:46)と言う侮蔑の言葉以外に、ヨセフスやタルムードに一度も名前が出てこない辺鄙な場所です。そこで、ダビデの末裔であることも忘れてひっそりと一生を送る可能性も大きかったのです。

しかし、その片田舎でひっそり生活していたヨセフを、表舞台に引っ張り出すきっかけが、ヨセフとは全く関係もない遥かかなたの大帝国の支配者の勅令であったのです。いずれにせよ、その本籍地で登録を受けねばならぬ、という命令でしたので、はるばる2、3日は掛るであろう、南ユダヤのベツレヘムにと向かいました。これは、ヨセフ一家にとっては全くの災難としか言いようがありませんでした。なぜなら、彼らはガリラヤ地方のナザレに長く住み着き、エルサレムに巡礼する以外は殆ど外を出歩かなかったからです(地図はここをクリック)。
しかもこの時、ヨセフの許婚の妻マリヤは臨月になっていました。現在でも、臨月になりますと飛行機に乗せてくれません。航行中にお産になっては大変だからです。その当時でも、いつお産になるか分からない女性が長期の旅行に出るなどと、常識を外れています。でも皇帝アウグストゥスの命令は絶対でした。
 
2.メシア誕生地の預言
 
 
聖書預言の成就のためにこんなに大げさな舞台回しがなされた(神の側での)理由は唯一つしか考えられません。それは、メシアがベツレヘムで生まれるという預言の成就のためでした。ヨセフとマリヤがナザレに留まって、そこで赤ちゃんの誕生を迎えたのでは、どうしても具合が悪かったのです。

なぜなら、「メシアはベツレヘムで生まれる」と言う、旧約聖書の預言があったからです。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2)これを預言したミカという人は、日本語感覚では何となく女性のような気がしますが、女性ではなくて男性です。紀元前8世紀に生きた人で、別名「貧しき大衆の預言者」と言われています。イザヤと同時代の人物で、北イスラエル王国の滅亡と南ユダ王国の衰退を目のあたりにした時代に、神の審判と希望とを語った人です。 この5章は、当時の世界帝国であったアッシリヤとバビロンによるイスラエル侵略とその中からの回復が預言されています。その回復を齎す人物が「イスラエルの支配者」(2節)「牧者」(4節)であって、メシアを指すものと考えられます。その誕生地として指摘されたのがベツレヘムです。何故ベツレヘムなのでしょうか。

確かにベツレヘムは、大いなる都であるエルサレムから僅か7km南方にある小さな町です。しかし、それは民族の父祖ヤコブの妻ラケルが葬られた場所でした(創世記35:19)。その後、国民の注目ひくスキャンダル事件で有名になりました(士師記17章、19章)が、美しいルツの物語で名誉回復します(ルツ記1:1,2,19、4:11,17)。そして、その曾孫であるダビデがそこで生まれ、王様となるその舞台となりました(ルツ記 4:21,22、サムエル記第一16:1、17:15)。ベツレヘムこそは、メシア誕生が予告された、いわば民族の期待の拠り所でもありました。ヨハネ7:42には「キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」と人々が語った事が記されているほどです。
 
3.ヨセフとマリヤの移動
 
 
そのベツレヘムに向かって、ヨセフとマリヤが移動を行った、しかも、こうしたメシア誕生預言を恐らく意識することなく動いていった、ということの中に、驚くべき神の摂理を感じませんか。アウグストの勅令がなかったなら、マリヤはナザレで子供を生んでしまったはずです。そうすれば、メシアがベツレヘムに生まれるという予言は成就しなかったことでしょう。もっと考えますと、この勅令がなく、マリヤがナザレで出産したとすると、心無い近所の人からあれこれと噂を立てられたかもしれません。マリヤは、こうした非難の可能性から、大義名分の旅行の故に守られたのです。

こう考えて来ますと、為政者の気紛れとも思える決定が神の救いの歴史に影響を及ぼす事実の故に厳粛な思いにさせられます。同じような事がネブカデネザル王の時にも、クロス王の時にも、ヘロデ大王の時にも起きました。人々の意地悪と見える行動で苦しめられている人はいませんか。神は人々の意地悪さえも用いて、ご自分の計画を進めなさいます。マリヤの夫ヨセフの大先輩の(創世記の)ヨセフは、意地悪をして彼をエジプトに売り払った兄達に対して、「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」(創世記50:20)と言いました。これこそ偉大な「摂理信仰」というものです。

皆さんにとってアウグストに当たる人は、会社の上司であるかもしれないし、地域社会や国家の首長であるかもしれません。でもその人々が、気まぐれか、恐るべき悪意か、双方かで、私達にとって明らかに不便で、理不尽な決定を下すとき、私達はそれをかこつのではなく、神の大いなる愛の導きの一部と捉えて、感謝をもって乗り越えたいと思います。神は全てのことを相働かせて、善と変えなさるお方です(ローマ8・28)。
 
終わりに
 
 
この同じ神が、現在の歴史を動かしておられる事実を信じたいものです。

私たちの人生の中に困難や問題、課題が沢山出て来て、いったい神様の約束はどうなってしまったのだろう、と思わざるを得ないような、そんな状況に直面しておられる方があるかも知れません。けれども神は支配者であられます。歴史を動かして、その御業を成就される方であります。このベツレヘムの出来事はそのような意味において励ましを与えてくれるのです。 今週も、大なり小なり様々な困難にぶつかることがあるでしょうが、アウグストの心を動かして勅令を出させなさった摂理の神を信じて、平安をもって日々を過ごしましょう。
 
お祈りを致します。