プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2007年1月14日

天国の原理@
「種と土壌」

山口 民雄伝道師

中心聖句:マタイの福音書 13章23節

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。


A.はじめに

あけましておめでとうございます。

今回から新しいシリーズ「天国の原理」というテーマで、イエス様がお話になった「たとえ話」から、このテーマを探っていこうというものです。

そもそも、4つの福音書には、イエス様が話された「たとえ話」が、20回以上、たぶん23回出てきます。

イエス様が福音の真理をお話になる時は、よくたとえを用いてなさいました。天国とか天の御国とかのお話をされる際には、

天の御国とは……のようなものです。

とか

「天国はたとえていえば……のようだ」

と仰って、人々にわかりやすくお話になりました。

それは誠に適切な「たとえ」ですが、私のようなものが「たとえ話」をすると、かえって聞く人を混乱させてしまい、的外れなものになってしまいます。

B.マタイの福音書から

さて、今日はマタイの福音書13章3節から23節までの「種をまく人」のたとえとして有名なお話です。

マルコの福音書4章1-20節にも、ルカの福音書8章4-15節にも出てまいります。福音の奥義を理解するのに大変重要なことですので、このように3福音書に記されたのでしょう。イエス様ご自身が『たとえ話』の説明をしているのにもその特徴があります。

イエス様がお話されたガリラヤ湖と舟、また、人々が立っていたカペナウムの浜ですが、昨年の聖地旅行で非常に印象深い場所でした。

C.種を蒔く人・種の種類

聖書の本文に注目していきます。

3節の種を蒔く人と種を蒔く作業の理解には、ミレーの『種を蒔く人』の絵をみると良いと思います。実物は、山梨県立美術館に常設展示されていますのでご覧になってください。こういう形で種蒔きをするので、4つのパターンができることがわかります。

@道ばたに落ちた種

A岩地に落ちた種

Bいばらの中に落ちた種

C良い地に落ちた種

です。

そして、イエス様は11節から17節まで、なぜ「たとえ」で話す理由を、旧約聖書のイザヤ書6章9節を引証して説明してくださっています。でも、

悟る人は少ない

のです。それは、イエス様の時代から2000年たった今も同じです。

福音の種蒔きは、今も懸命になされています。その種は道ばたに落ちた@のように、キリスト教に無関心な人々によって踏みにじられてしまっています。

岩地に落ちたAのように、自分に都合の良いところだけキリスト教からとって利用し、不都合が起きるともとの木阿弥になってしまって何も残りません。

いばらの中に落ちたBのように、情報化社会でラジオ、テレビ、新聞、雑誌、書籍、インターネット等のメディアが攻勢をかけ、福音から目をふさいでしまっています。まさに惑わしに陥ってしまって、人々が右往左往しています。

23節のように、みことばを聞いて、信じ受け入れた人は必ず結実があるのです。

それは、良い地に落ちた種だからです。種を蒔いてくださったイエス様が、実を結ぶように、畑に水をやり、雑草を抜き、畝を整えて、世話をしてくださるのです。その人の心に天国が形作られているのです。そういう人の集まりが、教会であり、天国なのです。

D.おわりに

私の家に『結実百倍』という額があります。昭和38年(1963年)夏に蔦田二雄(イムマヌエル綜合伝道団初代総理)先生が我が家のために揮毫してくださったものです。

このお言葉が成就したかどうかは、大いに危惧されるところですが、お互いよき地に落ちた種として、結実できるように信仰の前進をいたしましょう。お祈りいたします。


Message by Tamio Yamaguchi,residential preacher of Nakameguro IGM Church

Compiled and edited by K.Otsuka/January 14,2007