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聖書テキスト |
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7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。 9 つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。 10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。 |
11A 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。 11B 栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。 |
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はじめに |
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第59次教会総会の朝を迎えました。総会に向けて、 |
○1月14日には、指導者の条件 |
○1月21日には、教会の一体性 |
について、み言葉から語りました。 |
今日はその続きとして、一体性の中で違った賜物を用いて仕え合う、という大切な真理を学びます。 |
今日のテキストは「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(ペテロの手紙第一4:10)です。 | これは、7節の冒頭にも記されているように、終わりの時代を意識しながら行っているペテロの勧告の一部です。ここから三つのキーワードに従ってお話します。 |
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A.私達はみな賜物が与えられている |
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10「それぞれが賜物を受けているのですから・・・」 _ |
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1.賜物という言葉 |
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賜物は、ギリシャ語のカリスマcharismaと言う言葉の翻訳です。カリスマというと、カリスマ美容師とか、カリスマ指導者とか、特別に秀でた能力をもった人のような言い方が流行っていますが、もともとは聖書から来た言葉です。 |
さて、カリスマは、カリスcharis(恵み)と言う言葉から派生した名詞で「恵みとして与えられたもの」という意味です。10節の中で、「神のさまざまな恵み(カリス)の」という言葉がありますが、この場合の恵みは、賜物とほぼ同じ意味です。何かの価値があってとか、何かの報酬としてというのではなく、何の価値もなく、何かの努力の報いとしてでもなく、ただで与えられたものです。 |
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2.聖書における意味 |
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新約聖書では、このカリスマは@救いそのものとしても使われています。例えばローマ6:23です。罪の報酬は死であるが、神のカリスマ(賜物)は、永遠の命である、という文例です。もう一つの使い方は、A奉仕のための力としての賜物です。パウロがこの意味で多く使っていますし、ペテロもこの4:10ではその意味で使っています。定義としては、「御霊によってクリスチャン一人一人に恵みとして賜わった奉仕の為の力」と言い表すことができましょう。 |
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3.賜物の目的(絵図@参照) |
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「奉仕のため」と言いましたが、もっと具体的には、キリストの体である教会を立て上げるためです。自分の偉さを見せびらかしたり、自分の願望を満たすためのものでは決してありません。丁度家を建てるのに、ハンマーや鋸や鉋などの違った道具が必要なように、私達の違った力が相協力して教会が立て上がって行くのです。 |
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4.賜物の内容 |
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賜物の内容は千差万別です。第一コリント12章、エペソ4章、ローマ12章を綜合しますと、少なくとも18の賜物が見出されます。これを働きの分野に応じて分類すると下のような表になるでしょう。 |
1)聖言を伝えて群れを導く |
@使徒のつとめ=教会の基礎を据える |
A預言=神の言葉の説教 |
B伝道=福音を伝えて、人々を救いに導く |
C勧め=信徒的な立場で聖言を取り次ぐ |
2)群れに対する助言や教え |
D知恵=知恵を生活に適用する |
E知識=神に関する知識を教える |
F牧会=群れに対するケア |
G教育=群れを教え、導く |
3)群れの管理的な務め |
H指導=教会の行政にあたる |
I奉仕=教会のこまごました奉仕 |
4)与える務め |
J分け与え=信徒同士の助け合い |
K慈善=教会の外の人々への助け |
5)特別な助け |
L信仰=目に見える結果を齎す信仰 |
Mいやし=病人を治す力 |
N奇蹟の力=超自然的な出来事を齎す力 |
6)霊的な識別の力 |
O霊の識別力=聖霊の働きにか否かを見分ける |
P異言=習ったことのない言葉で神の恵みを語る |
Q異言の解釈=異言を説明する力 |
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この他にもたくさんありうるでしょう。これらが、もって生まれた性格や能力とかに無関係ではないと思いますが、「神から与えられたもの」であることには変わりありません。それらの究極的目的は、「すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるため」(11節)です。 |
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B.賜物の管理者となる(絵図A参照) |
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10「神のさまざまな恵みの良い管理者として・・・」 _ |
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1.管理者 |
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ここで、「管理者」と言われているのは、ギリシャ語のオイコノモス(oikonomos)です。これは、オイコス=家とメノー=留まるからできた合成語で、家を司る物、家の面倒を見るもの、多くの僕たちを統率するもの、という意味です。ヨーロッパなどでは由緒のある大きな家の仕切りをする執事(ストュアード)のことを指すようになりました。日本には、このような執事を必要とするは余りありませんが、日本では、番頭さんとか支配人というイメージでしょうか。 |
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2.聖書での使用 |
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主イエスの譬えの中に、管理者という言葉はたくさん出てきます。主人が帰ってくるときに、家の事柄をきちんと整えておく良い管理者の譬えがその典型です。家の財産は主人のもので、それを暫く預かったものとして大切に管理し、増やし、最後にはご主人に返すという執事のあり方が、神からすべてのものを預かったものとして大切に扱い、活用し、そしてお返しする信仰者の姿に重なるのです。このイメージから、クリスチャンの生き方の基本として、ストュワードシップという言葉が生まれました。良い言葉ですね。 |
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3.賜物の管理者 |
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自分に与えられた賜物が、神様から託されたものだという自覚を持って、それを私物化せず、誇らず、卑下もせず、隠しもせず、謙りと大胆さと責任感をもって神のために使い、良い結果が与えられたときには、神にすべての栄光をお返しすることです。 |
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C.仕え合う(絵図B参照) |
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10「その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」 _ |
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1.仕えるという言葉 |
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「仕える」(ディアコネオーdiakoneoo)ととは、テーブルなどで仕えるという言葉です。一番ピッタリしたイメージは、レストランなどで給仕をする姿です。セルフ・サービスの食堂では、食事を運ぶのも、水のお代わりも、食器の片付けも、みんなお客さんがやります。それはそれでよいのですが、少しランクが上のレストランですと、お客さんは何もしません。ウエイター、またはウエイトレスがしっかりお客さんを見ていて、例えば水が少なくなったら、サッとお代わりを入れてくれます。これが仕えるものの姿です。 |
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2.仕え合うこと |
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ペテロは、神から与えられた様々な恵みを、他人を活かすために用いなさい。他の人の必要を注意深く見て、ウエイターのようにサッと助けを出しなさい、と言っています。互いにどんな賜物を持っているかを競争したり、比べあうことが目的ではありません。また、自分が崇められたり、満足するためでもありません。ただただ、お互いを活かすため、キリストの体である教会を活かすために私達は賜物を活用します。 |
もう少し具体的に言いますと、預言や説教の賜物は、互いを活かすためになされます。管理的な賜物は、教会の人々を支配するためでなく、その潜在能力を活かすために活用されます。与える賜物は、他人の喜びのために用いられます。癒す賜物は、互いの信徒の癒しのために用いられます。信仰の賜物は、信仰の力によって何を切り開いたかを見せびらかすためではなく、信仰の力によって他の人を助けるために用いられます。 |
このように、私達が他の人のために存在しているのだと言うことを自覚し、実行しますと、教会は活かされていきます。そして神の栄光が現れます。 |
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終わりに:三つの質問をもって終わります。 |
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1.あなたの賜物は何ですか? |
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私に賜物が一つもないという人はいません。祈りつつ、それを見つけだしことが第一歩です。他の人に評価していただくことも役に立つかも知れません。 |
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2.その賜物は十分に活かされていますか? |
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私達はその賜物の管理者、つまり良く使うか死蔵するかの責任を委ねられています。賜物は自分のものではなく、主の栄光の為にだけ使うものであり、自分の都合や利得の為に使うものでもありません。また、主が与えなさったのに、自分の都合を並べ立てて死蔵してしまうのは、過った謙遜です。ペテロは、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい、と語っているのです。賜物は一度に全部与えられるのではなく、使う度に強められ、必要に応じて増し加えられます。それを信じ、より頼みつつ仕えましょう。 |
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3.それは、互いを活かすために使われていますか? |
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互いにと言う言葉を忘れないようにしたいと思います。私は神に仕えるが、人には仕えない、ということはあり得ません。目に見える人間に仕える事が出来なくて、どうして目に見えない神に仕えることが出来ましょう。今日の総会の時に、委員会の所属申し込みがなされますが、この教会にとっては委員会が私達の賜物を活かす形の一つです。ぜひどこかの委員会にはまって、皆さんの賜物を発揮してください。 |
ボンヘッファーの「奉仕」についての説教から引用して終わります。「いずれの共同体の生活の中にも、助けを必要とする小さな事は沢山あるものである。誰でも、そのような小さな奉仕をすることを余り喜ばない。極めて小さな、外面的な援助を実行することによって生じる時間的な損失を心配する人は、多くの場合、自分の仕事を余りにも重大に考えているのである。われわれは、神によってわれわれの仕事を中断させられる用意がなければならない。」 |
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