プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。
2007年4月8日
イースターに臨む
「君も、あなたも、復活の生き証人」山口 民雄伝道師
中心聖句:ヨハネの福音書 20章21-22節
イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
該当箇所 ヨハネの福音書 20章19-23節その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」 |
A.はじめに
イースターは復活祭あるいは復活節といわれ、キリスト教の節季では大変重要なものです。クリスマスは全世界で祝われていますが、イースターはそんなでもありません。特に日本では関心をもたれません。
でも、イースターはクリスマスより重要です。コリント人への手紙第一 15章14節に
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
とあり、15章17節に
そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
とあるように、
キリスト教存立の根幹にかかわってくること
なのです。
しかも、イースターが春にあるのにも意味があります。
春夏秋冬といって、四季の初めが春であるように、イースターもキリスト教のスタートです。このことを先にお開きしたヨハネの福音書の中から探っていきます。
B.歴史的事実としての復活
まず、
復活は歴史的事実である
ということです。
1)復活の現場検証として、復活の事実があってから二千年経っていますが(正確には1969年)、エルサレムの聖墳墓教会と園の墓の様子から、園の墓のほうが聖書の記述にふさわしい現場のようです。
(編者注:この写真は、ホームページでご覧いただけるよう準備中です。いま暫くお待ちください。)
2)復活を目撃した人たちの証言−マグダラのマリヤ、ペテロをはじめとする使徒たち、エマオの途上にあったクレオパともう一人の弟子に代表される多くの弟子たち、墓の番をしていたローマ軍の番兵−などです。特に、復活の主にお会いした人々の証言は強烈です。時間のあるときに、四つの福音書の復活の記事を読んでみてください。
C.復活によって齎されたもの
つぎに、復活によって齎されたもののことです。
1)まず、
恐れが「平安」に変えられたこと
です。
ヨハネの福音書14章27節で、イエス様は最後の晩餐の席上でお約束なさいました。
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
みなさんのなかで、恐れや思い煩いがありますか?復活の主に祈り求めてください。
インマヌエル賛美歌185番 『心にあるこの安きを』にありますように、何ものにも、揺るがされない心の平安を必ず与えてくださいます。
2)また、
悲しみが「喜び」に変えられたこと
です。弟子たちは主を見て喜んだとあります。喜びは力になります。
主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから
と、別訳ですが、ネヘミヤ記8章10節にあります。成就して弟子たちは、喜びを力として、主の復活後の働きをまっとうしました。ですから、テサロニケ人への手紙第一5章16節に、
いつも喜んでいなさい。
とありますように、喜びましょう。パウロも勧めています。主からの力が与えられます。
D.復活以後の状況
さて、復活以後どうなったかですが、
1)まず、
聖霊が来られました。
平安と喜びが持続するために。主の宣教命令を実行するために。本当に主は懇ろなお方です。約束を守り、御国の建設のため、教会建設のため、一人ひとりの建て上げのため、私たちの内に聖霊を贈ってくださり、ともに働いてくださいます。
2)また、
復活を信じた人はみなその証人になりました。
使徒の働き1章8節、1章22節、2章32節(3章15節)にありますように、主が
わたしの証人となります。
と宣言された通りに、弟子たちは
復活の証人
そのことの証人
となって大胆に福音を語っていきました。そして、わたしたちのところにもその恵みが届けられたのです。
E.おわりに
さあ、わたしたちも証人になりましょう。君も、あなたも、必ずなれます。1%以下のクリスチャンしかいないのですから、救われた喜びを、身体いっぱいにみなぎらせて証ししていきましょう。
お祈りいたします。
Message by Tamio Yamaguchi,residential preacher of Nakameguro IGM Church
Compiled and edited by K.O./April 8,2007