礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2007年9月16日
 
「満ち足りた長寿」
愛老聖日に因み
 
竿代 照夫牧師
 
詩篇91篇1-16節
 
 
[中心聖句]
 
  16   わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
(詩篇91篇16節)

 
聖書テキスト
 
 
1 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。 4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。 5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。 7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。 8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
9 それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。 11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。 12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。 13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。
14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。 16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
 
はじめに
 
 
1.愛老聖日に良くおいでくださいました。中目黒教会の名簿では、70歳以上の愛老会員が110名おられます。今日来られたのは約半分で、残りの半分は外出が出来なさらないほどのご高齢または病の方々です。それらの方々を覚えつつ、この礼拝を守りたいと思います。

2.今日は、詩篇の中で、長寿の恵みを歌っている詩篇91:16の御言を中心に、神の恵みについて思い巡らしたいと思います。
 
A.詩篇91篇について
 
1.著者
 
 
著者は不明です。しかし、内容に見て、91篇が、その前の90篇の続きという色合いを濃く持っていることから考えて、モーセの著作であると考えるのが自然と思われます。
 
2.主題
 
 
「神のみ守り」がこの篇を貫いている信仰ですが、これには、荒野での40年間の奇跡的なみまもりが背景にあると考えられます。
 
3.構成と内容
 
 
この詩篇の特徴は、「語り手」(第一人称)が文節ごとに交替しているという面白いスタイルであることです。それによって三つの部分に分かれます。

1)避け所なる神への信仰告白(1-2節)
・語り手は詩人、聞き手は神
・告白:「神は私の避け所・・・」

2)神は災いから救い出し給う(3-8節)
・語り手は詩人、聞き手はイスラエルの民、神は第三人称

・どんな災いから救い出されるか?
 @狩人のわな
 A恐ろしい疫病
 B夜の恐怖
 C昼に飛び来る矢
 D暗やみに歩き回る疫病
 E真昼に荒らす滅び

3)主に信頼するものは、しっかり守られる(9-13節)
・御使いがすべての道で支える
・獅子とコブラとを踏みつける

4)神を愛するものに7重の報いが約束される(14-16節)
・語り手は神、民は第三人称
 @助け出す
 A高く上げる
 B祈りに答える
 C苦しみの時一緒にいる
 D誉れを与える
 E長いいのちで満ち足らせる
 F神の救いを見せる
 
B.長い命の約束
 
 
この詩篇を概観したわけですが、今日の主題聖句「わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」を思い巡らしたいと思います。ここで見出す真理を3つに分けてお話しします。
 
1.長い命は祝福の徴
 
 
・旧約聖書の教え
旧約聖書では、長寿が祝福の徴であり、また、神への服従の報いとして記されています。例を幾つか挙げます。

○出20:12「あなたの父と母を敬え。・・・あなたの齢が長くなるため」
○申命記 30:20「あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。・・・あなたは・・・長く生きて住む。」
○U列王20:6「わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。」
○詩篇21:4「あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました。」
○箴言3:1-2「わが子よ。・・・私の命令を心に留めよ。そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。」

このように、主を愛し、主に従い、主のご命令を守り、特に、父母に従うものに長寿と幸福が約束されています。

・例外も
勿論これは、原則であって、例外はあります。@短くても充実した人生を生きたステパノ(使徒7:60)やA地上で主のご奉仕をする意義深さと、早く世を去ってキリストにお会いしたいと願いに挟まれていたパウロ(ピリピ1:23)などを例外として挙げる事が出来ます。
 
2.満ち足りる長寿
 
 
・日本の平均寿命の長さ
長い命が、単に長さだけのことでしたら、私達日本人は、世界で一番祝福された民族といえるでしょう。「人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」というのは、織田信長が天下統一への第一歩を踏み出した桶狭間の戦いの前夜、謡い舞った“敦盛”の有名な一節です。その後信長は、48歳、本能寺の変で人生の幕を閉じました。それから約450年。今や、日本は世界有数の長寿国となり、平均寿命は男性78.53歳(世界第四位)、女性85.49歳(世界第一位)、男女を平均すると世界一です。

・しかし問題は山積
けれども、皆が幸せかと言いますと、そうでもありません。年金の問題が大きくクローズアップされ、これからしっかり年金が保証されるのか、疑問視されています。少子高齢化で給付の財源が減っていることも合わせて考えると、一人あたりの年金の取り分が減るということを意味します。加えて社会保険庁のルーズさが次々報じられると、この先どうなるのか不安が広がります。

介護の実態も本当に戦いです。少子化によって、労々介護が一般的になっています。コムスンショックに表わされている介護者の不足は、これからもっと深刻になるでしょう。

日本は平均寿命では世界一ですが、自殺率でも(先進諸国の間では)第一位(全体では10位)です(10万人当り24.1人)。年齢から見ても、自殺率のピークは55歳ですが、高齢の自殺率も決して低くはありません。肉体は生きているが、生きているのが辛いと思っている方が多くあるのも事実です。

・中身のある長寿
聖書が約束している長い命とは、長いけれども苦しい人生のことではありません。「長い命」と訳されている言葉は、文字通りには、「日々の長さ」ということです。日々を充実した長さをもって生きることです。それが、「長い命で満ち足らせる」という言葉で表されています。それは、神が共におられる人生、意味のある、目的のある、生き甲斐のある人生のことです。

ケニアにおりましたとき、フラミンゴ羽造花工場で毎朝デボーションが持たれていましたが、その工場長がいつも同じ言葉から祈りを始めていたのを思い出します。「神様、この朝も新しい一日を与えてくださったことを感謝します。今日のこの日は、あなたの贈り物です。・・・」何と素晴らしい人生観かなと感動しつつその祈りに和していたことを思い出します。私達に今日の命が与えられているということは、主のご目的が未だあるという証拠なのです。

日野原重明先生は、「自分に与えられた時間を使って、自分が生きてきた意味を見いだせるようなことができれば、こんな素晴らしいことはありません。」といいながら、それぞれが「ライフワーク」を持つことを勧めています。更に彼は、「こういうライフワークがあるからこそ、私は九〇歳を過ぎてからも、現役でいられるのだと思います。」と言い切っています。

・神の救いを経験する
長寿と共に「わたしの救いを彼に見せよう。」という約束が加えられています。その意味は、「彼に救いとはどんなものかを経験させよう。」ということです。

救いとは神がなさる行為であり、肉体的・霊的双方を含む釈放、という広い意味で語られています。その神の救いを人の側で実感し、経験することを神は嘉し給うのです。私達の残りの人生で、救いの豊かさを経験しながら生きていくのです。

確かに、私達の老後の人生は楽なものではないでしょう。悠々自適という波風のない人生ばかりを期待することも出来ないことでしょう。でも神は、私達に神の救いがどんなにすばらしいものかを経験させてくださるというのです。楽しみですね。
 
3.長寿の祝福を得たヨブ
 
 
ヨブの例を見ましょう。「この後ヨブは140年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。」(ヨブ42:16,17)ヨブは、人生の苦労という苦労を山ほど舐めました。その試練を経て、その苦労が報われ、試練が襲う前の2倍の祝福を頂いて、その後140年生きて、長寿を全うして死にました。物質的な祝福が倍して与えられただけではなく、試練を通して練られた神との親しい交わりの関係が老年の豊かさを齎しました。

今日お集い下さった愛老会のおひとりびとりについても、このような素晴らしい老後が約束されています。愛老会とは程遠いと考えている若い方々にも、同じ祝福が約束されています。
 
終わりに
 
 
14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。 16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
 
このような祝福された長寿と救いの経験をするのは、どんな人々でしょうか。14-16節を見ますと3つの要素を発見します。

1.神を愛するもの(心を尽くし、思いを尽くして主を愛するもの)
2.神のお名前を知っているもの(救いの拠り所として神のお名前を知り、より頼むもの)
3.神に真実に呼ばわるもの(あらゆる必要に関して、主に祈りをもって真剣に呼ばわるもの)

そうした人々が、神の豊かな祝福を頂くのです。
私達も主を愛し、より頼み、呼ばわることによって、お約束のように、豊かな老後を送るものとなりたいものです。
 
お祈りを致します。