礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2007年9月30日
 
「恵まれた信徒伝道者」
ローマ書連講(49)
 
竿代 照夫牧師
 
ローマ人への手紙16章1-9節
 
 
[中心聖句]
 
  3   キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
  4   この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。
(ローマ16章3,4節)

 
聖書テキスト
 
 
1 ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。
3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。5a またその家の教会によろしく伝えてください。
5b 私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。 6 あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。
7 私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。
8 主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。
9 キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。
 
はじめに
 
 
1.前回は、パウロのローマ訪問に懸ける熱い思いを学びました。「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。」(15:29)というパウロの確信は、謙った意味で私達も共有できるのだというメッセージで締めくくりました。私達は、この一週間、この確信をもって生き続けたことでしょうか。そうであったことを信じます。

2.さて、今日から、ローマ書最後の16章に入ります。この章には「〇〇さんによろしく」という言葉がずらっと並んでいて、読み方によっては無味乾燥に移ります。でも、聖書は、無駄な部分がありません。鯨は、頭から尻尾まで余すところなく料理することが出来るそうです。鯨と聖書と比べて申し訳ありませんが、聖書もそうです。隅から隅まで、余すところなく神の恵みのメッセージを汲み取ることが出来るのです。なぜなら、何気ない挨拶も含めて、聖書はすべて神の感動によって、私達への教訓のために記されたからです。
 
A.フィベの推薦(1-2節)
 
1 ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。
 
1.フィベの紹介
 
 
この人はケンクレア教会の女執事でした。ケンクレアというのは、コリントから15kmほど東の港町で、コリント教会の姉妹教会がありました。女執事とは、教会内の病者や貧者を助けたり、新しいメンバーを教育したり、という牧会的な仕事もしていました。どんな形であるか分かりませんが、多くの人を助けた人で、パウロ自身も彼女の世話になったようです。この「助ける」とは法律的用語ですので、弁護士的な立場で多くの人々の世話をしたのでしょう。また、信仰を持った旅人を良くもてなしたのでしょう。私達も、誰かのために助けを提供する者でありたいと思います。
 
2.助けの依頼
 
 
この部分は、この手紙の運び屋として指定されたフィベの推薦状です。何かの用事でローマに出かけることになったフィベさんに、パウロはこの大事な手紙を託すことにしました。でも、ローマの信徒の中には、手紙を運んできたフィベとは誰か?と言って疑問を投げかける人がいないとも限りません。パウロはそれを予測して、フィべを「聖徒に相応しい仕方で」歓迎するように、つまり、同信の友として温かく迎えるように、さらに、彼女がローマにいる間、宿や食事などの点で助けてあげるように、或いは彼女のビジネスの助けをするようにとお願いしています。パウロの細やかな心遣いを感じます。
 
B.たくさんの「よろしく」(3-16節、今日は9節まで)
 
 
・祈りの人パウロ
パウロは、この手紙の最後にローマ信徒の中で、彼が3回の伝道旅行を通じて知り合い、今はローマに移住している24人の名前を挙げて挨拶を送っています。驚くべきことです。まだ訪問もしていない教会の中で、これだけの人々を知っているだけでも驚きですし、その人々に短くても正確な評価を加えていることはもっと驚きです。これはパウロが祈りの人であり、これらの人々についての情報をメモのようにして持ちながら祈っていたからではないかと思われます。

・7組についての寸評
今日は3-9節に限定して一瞥し、その後で特筆すべき一つのカップルについて注目したいと思います。

1)プリスカとアクラ:このカップルについては後でお話しします。

2)エパネト:パウロが愛を注いだ人であり、アジヤでの最初の信仰者です。アジヤとは、この時代の言い方では、エペソを中心とする地方(現在のトルコ半島の西側)のことでしたから、エペソ教会の第一号受洗者で、暫くしてから、首都ローマに移住したと思われます。

3)マリヤ:ローマ教会信徒のために「非常に労苦した」女性です。どんな労苦か分かりませんが、神様だけがご存知でしょう。

4)アンドロニコとユニアス:ユダヤ人で、パウロと一緒に投獄された経験がある兄弟達です。何時の頃かは分かりません。ピリピでしょうか、エペソでしょうか、それ以外でしょうか。いずれにせよ、パウロと一緒に投獄されたとは、何と名誉なことでしょうか。彼らは、パウロより前にクリスチャンとなったということですから、ペンテコステ(30年)より2、3年も経たないうちに救われた人々です。使徒行伝には記録がありませんが、エルサレム教会では知られた方々だったのでしょう。

5)アムプリアト:主にあってパウロが愛した兄弟

6)ウルバノ:キリストにあってパウロたちの同労者、(名前の意味は都会育ち)

7)スタキス:パウロが愛している兄弟

・無名に近いクリスチャンの大切さ
プリスカとアクラ以外は、このローマ書以外に全く記述がありません。いわば無名に近い人々です。それが何故、「霊感された」神の言葉に残っているのでしょう。この16章を読むことに何らかの意味があるのでしょうか。あります。それは、私達無名に近いクリスチャンたちも、真実に忠実に主を愛し、主の働き人と共労しますときに、主はそれを覚えていてくださるというメッセージです。もし、私達の墓石が刻まれるとき、私達の生き様を表わす様な一言を選びなさいといわれたら何が相応しいでしょうか。「キリストの僕」「キリストの僕の同労者」「主のために非常に労苦した僕」とか、何でも良いですが、大事業ではなくても小さな仕事に忠実であったというコメントを頂くことができたら、もう充分ではないでしょうか。
 
C.プリスカとアクラ(3-5節)
 
3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。5a またその家の教会によろしく伝えてください。
 
1.婦唱夫随のプリ・クラ
 
 
プリスカとアクラは、聖書で六回言及されています。プリスカ(プリスキラは愛称)が妻で、アクラが夫です。略してプリ・クラとしておきましょう。彼らはいつも夫妻として言及されていることから、この夫妻は大変仲が良かったらしいことが伺えます。また、妻の名前が先に出される事が多く、「婦唱夫随」のカップルのようでした。私は、アクラの立場からこれを見ていると、本当に教えられます。
 
2.パウロとの出会い(コリントで)
 
 
プリ・クラは、現在のトルコ半島・北東のポント州で生まれたユダヤ人でしたが、何かの都合でローマに行き、テント作りの商売をしていました。しかし、クラウデオというローマ皇帝がユダヤ人排斥命令を出したため、取るものも取り合えず、ローマを出てコリントの町に引っ越してきました(49年、地図参照)。

丁度そこで、第二次伝道旅行で開拓伝道を行おうとしていたパウロに出会います。パウロの仕事もテント作りをしてきたので、パウロは仕事仲間に加えてくれとお願いしたのです。そして彼は彼らと共に日曜から金曜までテントを作り、それで生計を立てていました。安息日にはユダヤ人会堂に行って、パウロが説教しました。

天幕作りをしながら伝道をする、これは「テントメーカー」ということばの元になっているものです。現代の「テントメーカー」とは、伝道とは別の仕事で生活を支え、その傍ら福音宣教を行う人のことであり、現在非常に注目されている働きの一つです。その国の規則で「宣教師」として活動をすることなど出来ないところで、専門的な仕事を身につけてビザを取って入国し、その仕事をする傍ら、福音の証をする人々のことです。

コリントの開拓伝道で、パウロはユダヤ人の迫害に遭って命の危険に曝されます。この時プリ・クラが彼を庇って助けたものと思われます。

「使徒18:1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。」
 
3.エペソへの同行と、アポロへの奉仕
 
 
パウロは、コリントにおける教会の基礎作りを終えて、パレスチナへの帰途に着きます(51年頃)。その途中立ち寄ったエペソでプリ・クラを残し、パレスチナへ向かいます。そのプリ・クラは、エペソにやって来た新米の伝道者アポロの説教に耳を傾けながら、その足らない点を非常な知恵を用いながら指摘し、伝道者を助けます。有能ではあったが、致命的な弱点をもっていたアポロに対して、彼のプライドを傷つけないよう注意にしながら、より高い(聖霊に満たされるという)霊的経験に導いたのです。その霊的洞察力、知恵、謙遜のスピリットを教えられます。

「使徒18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。・・・ 19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた・・・ 24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。・・・ 25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」

プリ・クラは、エペソでは家庭を開放し、集会を開きました。それは55年に書かれたTコリント16:19の挨拶部分にも明らかです。「アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。」
 
4.ローマへ戻る
 
 
さて、56年に書かれたこのローマ書15章では、コリントにいたパウロがローマにいたプリ・クラに挨拶を送っています。内容は後に譲るとして、プリ・クラはローマ帝国のあちこちの町を移住しながら伝道していたようです。ローマでも、家庭集会を開いていました。
 
5.エペソにもう一度戻った
 
 
パウロの最後の手紙は、67年ごろローマの獄中からエペソにいたテモテ宛に書かれました。そこにもプリ・クラが登場します。「Uテモテ4:19 プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。」

このように、パウロの第二伝道旅行(51年頃)からその殉教(67年)まで、長い間、パウロと陰のように日向のようにその活動を支えてきたのがプリ・クラでした。彼等の職業柄、自由に移動して、パウロの働きを間接的に助けたようです。行くところどこででも証しをしました。良き職業人としての活躍、伝道者への助け、国際的視野はパウロの伝道に大きな貢献を致しました。
 
6.ローマ16:3-5のコメント
 
 
今日のテキストである3-5節に戻ります。ここでプリ・クラについて大切な4つのポイントを拾います。

・「パウロの同労者」:
テントメーカーとして生活を共にしただけではなく、福音を広めるために働きました。彼らは表立って伝道者・牧師・宣教師というタイトルは持ちませんでした。しかし、宣教師であるパウロと同じ心をもって伝道をした「信徒伝道者」でした。私は、中目黒教会で感謝していることは、牧師・伝道師として召されている私達と同じ心をもって「同労者」として労しておられる兄弟姉妹に囲まれているということです。会員の皆さんにプリ・クラになっていただきたいのです。

・命がけの奉仕:
彼らは「自分のいのちの危険を冒して(=文字通りには、自分の首を<斧の下に>置いてまでして)」パウロのいのちを守りました。これは、エペソで迫害に遭って命の危険に曝されたパウロを助けるために、プリ・クラが自分達の体を張って守ったことが、その背景であると思われます。他人を救うために自分の首を差し出す、というのは実に勇気ある行動です。私達は、誰かのために身を挺するという捨て身の愛をもっているでしょうか。

・異邦人のすべての教会に感謝される:
パウロは、プリ・クラは「異邦人のすべての教会に感謝される」存在であると誉めています。ワールド・トラベラーとして、教会という教会に顔を出し、その信徒達を励ました、素晴らしい信徒伝道者だったことが分かります。国内・国外を含め、私達の多くは正にワールド・トラベラーになっています。それは会社のためでありましょうが、会社の仕事の傍ら、その地のキリスト者たちと交わり、その地にいる求道者に福音を伝える奉仕を全うしたいものです。この21世紀、プリクラのような世界を股にかけた信徒方の証の分野は非常に大きな物であると思います。

・家庭を教会として開放:
プリ・クラだけではなく、この16章には「家にある教会」を持っているナルキソ(11節)が言及されているし、コロサイ4:15にはヌンパが言及されています。この他にも数多くあります。これは、ある町のどこかにクリスチャンみんなが集まる会堂があって、それに加えて家庭集会が営まれていたというのではありません。教会の営みは、ある程度のサイズの家庭が自分の家を開放して集会を行っていた営みの総計として行われていたのです。私の育ちました家では、母の長年の祈りの結晶として、私が10才のころ子供のための教会学校を開き、同じ頃月一度近所の大人のための家庭集会を営むようになりました。子供心にも、大勢の子供たちが汚れた足で入ってきて我が物顔に家庭に入り込むという辛さを経験しました。まして、父親は、教会学校の時には大きな体を小さくしていました。忍耐を学んだと思います。それでも、家庭を開放したことによって、多くの魂が主に導かれ、何よりも開放した家庭に祝福が跳ね返ってくるという恵みを見ました。
 
終わりに
 
 
私達も現代のプリ・クラになりましょう。
 
お祈りを致します。