礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2007年10月14日
 
「教会の一致と平和」
ローマ書連講(51)終講
 
竿代 照夫牧師
 
ローマ人への手紙16章17−27節
 
 
[中心聖句]
 
  19   あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。
(ローマ16章19節)

 
聖書テキスト
 
 
17 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。19 あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。20 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
21 私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。22 この手紙を筆記した私、テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。23 私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。
25-26 私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、27 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。
 
はじめに
 
 
1.昨年の6月から開始しましたローマ書連講は、51回の今日をもって終了します。福音の骨格とも言うべきローマ書を、主にある愛兄姉と共に学ぶことが出来た幸いを噛み締めております。準備する私自身が先ず恵まれましたし、愛兄姉もそれぞれ恵みと光を得られたことと信じます。

2.さて、次の聖日は創立記念日であり、それに前後して幾つかの特別講壇を考えておりますが、一段落しましてから、これも旧約の大著でありますイザヤ書に取り組みたいと思います。膨大な書でありますので、逐一の講解というよりも、各部分から代表的なメッセージを拾う、飛び石的な学びになろうと思います。期待をもってお祈りください。

3.さて前回は、3-16節までのローマ教会内の24人の個人に当てた「よろしく」の挨拶から、ローマ教会の特徴、特にその教会の持っている暖かい雰囲気について学びました。今日は、いよいよ、手紙の締めくくり部分です。
 
A.教会の一致と平和のために(17-20節)
 
 
17 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。19 あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。20 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
 
1.分裂と躓きを起す人々
 
 
・彼らの問題
悲しいことですが、教会という最も神聖な場所にも、「分裂とつまずきを引き起こす人たち」の存在を避けて通れません。パウロは具体的にどんな教えのことを念頭に置いていたでしょうか。この文章からだけでは知る由もありませんが、分裂と躓きに定冠詞がそれぞれついていることから、「あの分裂事件」、「あの問題での躓き」と特定の問題を指していて、読む人は分かるようなものであったことが想像されます。

@(特定の)分裂の動き:
分裂というのは、自分と同じ考えを持った人々の党派を作って、文字通り教会を二つあるいは三つ、それ以上に分裂させる人のことです。この手紙の執筆場所であるコリントにある教会でも、自分の勢力を拡大しようとする分派闘争が盛んに行われていましたので、ローマでも似たような課題があったことは想像に難くありません。

A(特定の)躓きを起す動き:
躓きとは、単純な信仰を持って歩んでいる人の前に石ころを置いてその信仰を揺さぶる人のことです。コリント教会でも、また、ローマ教会でも、信仰による自由を履き違えて他人を躓かせる無思慮な行動もありました。そうした動きが、この勧告の背景にあったと思われます。

・彼らの狡猾さ:なめらかな、へつらいのことば
こんな人々ですから、きっとアクマチックな形相をし、アクマチックな言葉で信徒を揺さぶるかと思いきや、左にあらず、「なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだます」のです。単純素朴なクリスチャンは、簡単にこのような人々に引っかかってしまいます。恐ろしいですね。

・彼らの本質:自己中心主義
パウロは、この人々の本質を見抜きます。それは「主キリストに仕えないで、自分の欲(文字通りには、「腹」)に仕えている」のです。ピリピ3:19を見ると、神を恐れない人人の描写が、同じ言葉でなされています。「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」恐らくその人々は、キリストに仕えているつもりですけれども、その心の奥底には、自分のやりたいことをやり、やりたい方法でやり、自分の都合や楽しみを第一に考える自己中心主義が潜んでいるのです。それに気づかずに、行っている場合が多いのです。それが「悲しい」理由です。

その自己中心が根っこにドンと座っていますから、パウロなどの使徒たちから伝えられた教えに背くのです。段々ずれていったというよりも、かなり確信犯的に教えを変えていったのです。
 
2.その人々を警戒すべきこと
 
 
パウロは、そのような人々に対処する方法を三つ掲げます。

・警戒すること:
賢く彼らの言動の危険性を弁別して、聖書の角度から是は是、非は非と見分け、それを公にすることが大切です。Tテサロニケ5:21では、「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」とも勧められています。今の時代、いろいろな考え方が渦巻いています。クリスチャンとして、正しい弁別力を与えられたいものです。

・彼らから遠ざかる事:
近寄らないという姿勢も大切ですが、こういう人々にぶつかっ手しまう場合には、さっさと「さよなら」を言いなさいという勧めです。皆さんの交わりの中で、「噂話」「(本人不在の状況で語られる)悪口」が入ってきたら、何か用事を見つけて「さよなら」する知恵も必要です。

・(更に基本的姿勢として)善にはさとく、悪にはうとくあれ
善にはさとく、悪にはうとくあるようにと勧めます。この「うとい」(ギリシャ語でアケライウース=無害な、無知な)とは、イエスがマタイ10:16「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」と語られたときに「すなお」と仰った言葉と同じです。一般的傾向として、私達は悪いことには賢く、善をなすことには知恵が回らないものです。「円天」という電子マネーを作って、いくら使ってもなくならないなどと言って何万人の人々を騙した男が問題になりましたが、つくづく,世の人は悪事に賢いなあと感心させられました。どうか私達は、その反対で、悪事にはうとく、善いことには賢いものでありたいと思います。

今でも、教会の分裂と躓きを齎すものとならないように自ら警戒すること、そのような動きを感じたら直接その人に行くか、指導者を通して行くかは別として、小さな芽の内に食い止める事、積極的には祈りと互いの従順によって、教会の一致と平和を増進すること、を心がけましょう。
 
3.祈り
 
 
最後にパウロは「平和の神」に祈ります。私達の仕える神は、戦争の神ではなく、平和の神です。その神は平和的で何もなさらない方ではなく、サタンの力をその足で踏みにじる力の神です。これは、エバが罪を犯した後、救い主が与えられるという予言の成就と考えられます。創世記 3:15を見てください。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」神はエバの子孫であるキリストを通して、蛇の形で現れたサタンの頭を踏み砕かれます。
 
B.パウロの友達からの挨拶(21-23節)
 
 
21 私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。22 この手紙を筆記した私、テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。23 私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。
 
パウロは、コリントで彼と一緒にいる友達の挨拶を送ります。
1.テモテ:
第一次伝道旅行で救われ、第二次伝道旅行でパウロの弟子となって以来、パウロに対して一番忠実に仕えてきた人物です。彼の人物論も興味深い学びですが、今回は省略します。いずれにせよ、彼にも「同労者」という素晴らしい勲章的なタイトルがつけられています。

2.ルキオ

3.ヤソン:
ヤソンは、パウロが第二次伝道旅行でテサロニケ教会を開拓したときに、家を提供した人物です。彼は、ユダヤ人がパウロを迫害したときに体を張って彼を守り、彼の身代わりに拘置所に入ったのです。使徒17:5-9を引用します。「ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。 6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。『世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。』 8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。 9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。」

4.ソシパテロ:
ソシパテロは、使徒20:4で、この手紙の執筆直後エルサレムに向かったパウロと同行した「ベレヤ人ソパテロ」と同人物と思われます。

5.テルテオ:
この手紙を筆記したテルテオも、挨拶を送ります。彼は、素人的な書き役ではなく、しっかりした文章を作ることができる職業的な書き訳であったと思われます。その筆記者が黒子に徹していないで、突然個人的な挨拶を送ります。勿論パウロの許しの下で書いたと思われます。パウロの他の手紙では見られません。裏方であったカメラマンが、カメラの前に躍り出て手を振っているようなものです。何とも微笑ましい部分です。

6.ガイオ:
このガイオはパウロに宿を提供した人で、コリント教会での第一号受洗者でした(Tコリント1:14)。

7.エラスト:
エラストはコリント市の出納長です。因みに、1世紀頃コリントの道路に使われた大理石に「エラスト」という名前が刻まれていて、今でも残っているそうです。

8.クワルト

この8人の仲間を見ると、パウロは、生死を共にする仲間に囲まれていて幸せだったと思います。私達の中目黒教会が、このような同労者意識で結ばれた教会でありたいと思います。
 
C. 頌栄(25-27節)
 
 
25-26 私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、27 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。
 
パウロは、この手紙を締めくくるに当って、大きな力を持ち、知恵に満ちた神に頌栄を捧げます。その表現が実に豊かであることに印象付けられます。文章として読むと、よく分からなくなるほどですので、図式にします。
 
1.神のご性質とは、
 
 
1)唯一
2)知恵に富む
3)信徒を堅立させ得る

「堅立」の手段は
a)福音の宣教
b)奥義の啓示

「奥義」とは
@長い間隠されていた
A今、現わされた

「現わされた」手段は
イ)預言者たちの書(聖書)
ロ)福音宣教

この頌栄部分は、ローマ書全体の纏めと考えられます。救いは行いによらず信仰によること、救いはユダヤ人に限らず、全世界の民に及ぶこと、そのために福音宣教が必要なことが、一つの文章の祈りに纏められています。
 
2.私達への励まし
 
 
神のご性質の中で私達に対する励ましを2点いただきたいと思います。

1)神は力あるお方です
ローマ14:4―僕を立たせうるお方
ローマ4:21―約束されたことを成就することが出来る神
Uコリント9:8―あらゆる恵みを溢れるばかりに与えることが出来る神
エペソ3:20―思うところを超えて豊かに施すことの出来る神
ヘブル7:25―完全に救うことのできる神
ユダ24―大きな喜びを持って栄光の御前に立たせうる神

2)神は知恵のあるお方です
私達の理解の程度に応じ、段階的に素晴らしい真理を示してくださいます。ローマ書そのものが、私達に薄皮を剥くように、一つ一つの真理を示してくださいました。神は、一遍にすべてのことを教えようとなさらず、人間の理解能力に応じて、ゆっくりと真理を示しなさいます。
 
3.神に栄光を
 
 
この素晴らしい神に対して、パウロと一緒に、ローマの信徒と一緒に、私達の賛美を力いっぱい捧げましょう。
 
おわりに
 
 
今回をもってローマ書講解を終わります。私達を導いてくださった主、心と眼を開いてくださった主に、心から賛美を捧げましょう。
 
お祈りを致します。