礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2007年10月28日
 
「信仰のために戦う」
宗教改革記念日に因み
 
竿代 照夫牧師
 
ユダの手紙 3節,17-25節
 
 
[中心聖句]
 
  3   聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう・・・
(ユダの手紙3節)

 
聖書テキスト
 
 
3 愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。
17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。」19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
22 疑いを抱く人々をあわれみ、23 火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。
24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。
 
はじめに
 
 
1.先週は、教団創立記念日に因み、インマヌエルの創立と歴史を振り返りつつ、「神が私達と共におられる」(インマヌエル)という臨在信仰について、ヨセフの生涯からお話しました。

2.今日は、宗教改革記念日(厳密には10月31日ですが)に因み、私達がプロテスタントであるという立場について確認したいと思います。
 
A.宗教改革を概観する
 
 
私達が大きな教会歴史の流れの中で、プロテスタントに属し、その中でもメソジスト・ホーリネスの立場にある、ということについては、図表を参照ください(図表@)。そのプロテスタントの始まりが、宗教改革です。

図表@
 
1.改革を必要としていた教会(16世紀のローマ・カトリック教会状況)
 
 
16世紀の西ヨーロッパは、一様にローマ・カトリック教会の下にありました。ローマ・カトリック教会の体制確立は、それより千年も前なのですが、その経過には触れません。いずれにしても、ある一つの体制が千年も続くと、いろいろな矛盾やほころびが出てきます。この頃、人々の憂いとなった幾つかの要素があります。大きく分けて三つです。

1)教皇権の絶頂と失墜(政治への介入のしっぺ返し、絵図@)

・カノッサの屈辱(11世紀末): ヨーロッパは、沢山の王国、貴族領に分かれていましたが、そのすべてに亘って教会の頭として君臨した教皇(日本では「法王」と言いますが、歴史では「教皇」の方が一般的)は、絶対権力を振るい、王たちを跪かせるほどでした。象徴的な事件は、「カノッサの屈辱」と呼ばれるものです。11世紀終わりごろ、ドイツの領主ハインリッヒが教皇に逆らったために教皇グレゴリウス7世から破門宣言を受けます。それを解除してもらうために、ハインリッヒは妻と赤子を連れてカノッサ城まで行き、教皇に面会を求めるのですが、会って貰えず、冬の寒さの中、三日も続けて門外に立ち、やっと赦してもらえたという事件です。

・「教皇の『バビロン』捕囚」(14-15世紀): この辺から、教皇が政治に介入するようになり、逆に政治の争いに巻き込まれて、教皇が二人誕生する事態まで起きました。一人はアヴィニヨン、もう一人はローマという具合です。それぞれ政治勢力を背景に戦い、二人が互いに破門し合い、調停の結果二人とも辞めさせられて、第三の男が教皇に選ばれたのですが、元の二人も譲らずに「三人の教皇」が立って争う、何とも教会として恥ずかしい事件が起きました。これは、14世紀終わりから15世紀にかけての事件で、教皇権の失墜を物語るものでした。

2)教会指導者の著しい道徳的腐敗:

教会のトップが政治の争いに現を抜かしていましたから、それに続く指導者達の腐敗も相当なものでした。性的不道徳、金銭にまつわる汚職、不在聖職、無知、怠慢など、普通の道徳観を持ったものが顔をしかめねばならないことが横行していました。

3)教理的な歪み:

聖書を持っていて理解できるのは、聖職者だけでしたから、信徒によるチェック機能が働かず、聖書に基づかない教えが平気で説かれていました。例えば、マリヤの神格化、煉獄の教え、行いによる救いなどなど、善男善女が容易にマインドコントロールしやすい教えが、福音と離れて語られていました。

 
2.宗教改革の胎動
 
 
宗教改革を目指したのは、マルティン・ルターが初めてではありません。ルターに先立つ改革者の主な人を挙げますと、

1)イギリスのジョン・ウィクリフ(14世紀、絵図A):

オックスフォード大学教授であったウィクリフは、教会指導者の道徳基盤を正す提案をします。教会の頭はキリストであり、教会の権威は聖書に基づくと主張し、皆が聖書を読めるように、聖書の英語訳を作ります。それを平信徒伝道者の一団を町々村々に遣わして読み聞かせます。彼は非常な迫害を受けますが、死刑は免れます。ちなみに、今、世界中の少数民族に聖書を翻訳している団体が、彼の名前を取って、ウィクリフ聖書翻訳協会と名づけられています。

2)ボヘミアのヤン・フス(14-15世紀、絵図B):

プラハ大学の学長。ウィクリフの思想に影響されて、ボヘミアのローマ・カトリック教会を改革しようとしましたが、教会会議に呼び出され、異端の宣言を受けて、火あぶりの刑によって殺されます。「汝の魂を悪魔に委ねる」との宣告によって火あぶりにされましたが、フスは、静かに使徒信条を唱えつつ息絶えたと言われています。

3)フィレンツェのサヴォナローラ(15世紀、絵図C):

ドミニコ会の修道士であったサヴォナローラは、道徳的に退廃しきっているフィレンツェの町と教会を改革しようとし、また、教皇の邪悪な生活を非難する説教をしましたが、絞首刑にあって命を捨てました。この他にも多くの人々が、命をかけて改革のために戦いました。
 
3.マルティン・ルターの改革(絵図D)
 
 

1)信仰による救いを見出すまで

・誕生(1483年、アイスレーベンで、鉱山経営者の息子として): マルティン・ルターは、1483年、ドイツのアイスレーベンという小さな町に、鉱山経営者の息子として生まれます。

・母からの厳しい躾: 胡桃を一つ盗んだとき、母から血が出るまで鞭打たれたというほどの厳しい躾で育ちます。

・雷の経験(修道士になる誓い): エルフルト大学で哲学を学び、法律に進もうとする夏休みの帰途、雷に遭い、助かれば修道士になると誓ったことから、修道士になります。聖職となって最初のミサを行うとき、彼は神への畏れのために震えながら辛うじてそれを執行し終えたという程、神への畏れの強い魂でした。

・ウィッテンベルク大学で聖書講義: ウィッテンベルク大学で神学を教えるようになった暫く後に、ローマを訪問しますが、ローマ教会の腐敗振りに痛く失望して帰ってきます。彼の悩みは続きます。どんなに修業しても、自分の罪の重さに打ちひしがれ、「うつ」状態に追い込まれます。

・その準備の中で「信仰義認」を確信: その時、聖書の講座を持つように先輩から依頼され、詩篇、ローマ書などを講義します。その準備の中で、「キリストを信じる信仰のみが人を神の前に義とするものだ」という真理の中に平安を見出します。「聖書のみ」「信仰のみ」というプロテスタントの大原則を、彼はのた打ち回るような心の葛藤の末に見出すのです。

2)ローマ・カトリック教会への抗議

・1517年、テッツェルの免罪符販売に憤慨(絵図E): 1517年、ローマの聖ペテロ大聖堂の再建の資金集めのために、免罪符の販売人テッツェルが、ウィッテンベルクの近くにやってきました。テッツェルは、「免罪符は、あらゆる罪にたいする完全な赦しを与える」と宣伝しました。

・10月31日、ウィッテンベルク城教会の扉に95か条の抗議文: 自分の牧会する信徒が、こんな間違った教えに惑わされてはいけないという気持ちから、10月31日、ウィッテンベルク城教会の扉に95か条の抗議文を貼り出しました。ルターのこの主張は、ローマ・カトリック教会内で大問題を引き起こします。

・教会側からの圧力に抵抗: 教会側は理論的にまた、物理的圧力を加えてルターを沈黙させようとしますが、ルターは一歩も引かず、その主張をエスカレートさせます。その根拠は神の言葉である聖書でした。

・1521年、ヴォルムスの国会で宣言(絵図F): 1521年、ヴォルムスの国会に召喚され、自説の取り消しを求められます。ルターの弟子は、彼がヴォルムスに行かないように説得するのですが、ルターは言います、「ヴォルムス中の瓦がみんな悪魔に変わったとしても、それでも私は行く。」と。国会では、案の定、自説の取り消しを求められました。そうしなければ、フスと同じ火あぶりになるという脅しもなされました。ルターは最後に、「私は、聖書と理性によって、明らかに自説が間違いであるということが証明されない限り、自分の説を取り消すことはできません。ここに私は立っています。神よ、私を助け給え。」と弁論を締めくくりました。

3)プロテスタント教会の成立と発展

・ドイツの領主達の助けでルター支持が広がる: ローマ支配に反対するドイツの領主達の助けもあって、ルターは命を保ち、彼に賛成する人々がヨーロッパ中に広がっていきました。これがプロテスタント教会の始まりです。

・プロテスタント諸教会がそれぞれの国で形成: 統一組織の教会ではなく、国々の状況によって形も特徴も異なりますが、基本とするところは一つです。

・プロテスタントの基本原則: それは三つの基本原則として示されます。
@聖書のみ:教皇の権威や教会の伝統よりも、聖書を最高の権威と認める
A信仰のみ:人の救いは、行いによらず、キリストを信じる信仰のみによる
B万人祭司:信仰者は、聖職者などの仲介なしに直接神に近づくことができる
 
B.信仰のために共に戦う(ユダ書に学ぶ)
 
 
3 愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。
 
1.伝えられた信仰
 
 
・使徒達を通して伝えられた福音で、変更不可: 「信仰」とは、この場合、信じている状態のことよりも、信じている内容のことです。福音の真理とも言えましょう。それも、3節には、「ひとたび伝えられた信仰」という風に、「ひとたび」(ハパクス=一度で完全に)に力が入っています。あの信仰、この立場というあやふやなものでなく、「この信仰」(ザ フェイス)という風に、はっきりとした形で伝えられたものです。パウロは、Tコリント15:3-5で、「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」という風に、福音は、明確な形で使徒から次の指導者へと受け継がれてきたことを示しています。

・その内容は、キリストの死、葬り、復活: その内容は、キリストの身代わりの死、葬り、復活という事実です。この事実の中に、私達の罪からの救いが籠められています。そして、これは付け加えたり、減らしたりしてはいけないキリスト教の大切な中核です。
 
2.信仰を歪める要素
 
 
クリスチャンたちを、この信仰から逸脱させ、自分の味方を増やそうという悪い動機をもった人々が、そっと潜り込んできました。潜り込むというのが恐ろしいところです。その内容は、4節に纏められています。

・福音の根幹を歪める要素:
不敬虔(神を敬う思いが、生活や礼拝の態度に欠けていること)
放縦(恵みによる救いの概念が行き過ぎて、自己抑制が効かなくなる状態)
キリストの否定(教会の信者の装いで来るわけですから、あからさまにキリストを否定はしませんが、支配者としてのキリストを否定しているのです。つまり、自分が主人公であり、キリストは便利な助け手程度にしか考えないのです)
5節以下には、肉欲、利益追求、不平不満などの特徴が沢山並べられていますが、今日詳しく述べることはいたしません。

・問題の本質: そして、ユダは、その問題の中核をしっかり見抜いています。「この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」(19節)と。何時の時代でも変わりません。教会における問題の根は、自己中心の罪であります。
 
3.戦いの実践
 
 
「戦う」(エパゴニゼスタイ)ということばは、亀田兄弟のように激しく戦うという意味です。しかし、ウェスレーは、私達の戦いは謙遜に、柔和に、愛をもってのものでなければならない、と言います。戦いの二つの側面を見ます。

・自分自身を清く保つ: 20-21節でユダは、@自分自身を霊的な建て上げること(基礎的な信仰に留まらず、そこからの建て上げを目指すこと)、A聖霊による祈り(祈る弱さを持った私達が、聖霊の助けと導きで、より深い祈りの生活を実践すること)、B愛の中に自分を保つこと(神の愛と憐れみを感謝し、それに応えつつ歩むこと)、Cキリストへの待ち望みの4点を挙げています。

・問題の人を助け出す: 問題の中にいる人を、いたずらに断罪するのではなく、それぞれの状況に応じた助けをなすべきことを勧めています。憐れみを持って助け、罪はいといつつも、過ちにいる人々は憐れみを持って助け出す努力をすべきなのです。@揺れ動いている人を説得し、A罪と誘惑に陥っている人を火の中からつかみ出して救い(ゼカリヤ3:1の棒杭のように)、B悩んでいる人に同情を持って接することが大切です。勿論、罪そのものには妥協してはいけませんが、その罪に陥った兄弟を祈りによって回復させる努力が大切です。
 
終わりに:神の可能力を信じ、賛美しよう。
 
 
神は、私達を堅く立たせ、清く傷のないものとして整える力をお持ちの方です。その神を信頼し、賛美を捧げましょう。
 
お祈りを致します。