メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年4月6日
 
「あなたの若い日に」
桜祭りコンサート
 
竿代 照夫牧師
 
伝道者の書12章1-8節
 
 
[中心聖句]
 
  1   あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。
(伝道者の書12章1節)

 
聖書テキスト
 
 
1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。
3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。8 空の空。伝道者は言う。すべては空。
 
1.名残の桜
 
 
桜祭りゴスペルコンサートによくお出でくださいました。私は毎日目黒川の桜はもう満開を過ぎて、今は「名残の桜」と言うのでそうです。桜は日本人向きの花とよく言われます。パッと咲いてパッと散る、そこに潔さというか、儚さというか、もののあわれというか、そんな日本人気質とピッタリあっているわけです。

私は18年アフリカにいました。そこで桜に対応するのはジャカランダです。ケニアのナクル市街に入ると右も左もジャカランダ並木が数キロ続きます。10月ごろが最盛期で、町中が紫に包まれます。私は故郷の桜を思い出しながら感慨に浸るのが常でした。ただ、桜との違いは、のんびりと咲いてのんびりと散ることです。2、3ヶ月に亘って咲いたり散ったりとメリハリがないものですから、日本のような緊張感はありません。桜は、人生の喜びと同時に儚さを私達に教えてくれます。
 
2.命の短さ
 
 
聖書もまた、人生を花の命になぞらえて「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。」と語っています。私達の人生そのものが桜のようなもので、パッと咲いてパッと散る儚いものなのです。

今日、読みました伝道者の書では、空しい、空しい、空の空という言葉が沢山繰り返されている不思議な本です。何となく「色即是空」という般若心経と似たような思想ですが、実は大きな違いがあります。伝道者が空と言っているのは、神を計算に入れない人生を歩んだとすればそれは空しいという現実を強調した言葉なのです。若い日はすぐに終わって、何の希望もない老人となり、寂しく人生を終えることになる、その前に人生の意義を齎す創造者を捕らえなさいと語っているのです。

朱熹(しゅき)という12世紀の南宋の人が作った漢詩にも「少年老い易く学なりがたし、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず、池糖(ちとう=池のほとりの)春草の夢、階前(かいぜん=庭先)の梧葉(ごよう=桐の葉)已に秋声」とあります。今という日を大切にしないと大きな後悔が残るということを歌っているのです。
 
3.あなたの若い日に創造者を!
 
 
聖書は、この空しい人生にあってあなたを創造した方を覚えなさい、畏れて歩みなさい、そうすれば、あなたは空しさから解放されますよ、といっています。「覚えなさい」と言っても、そんな存在は見たことも、感じたことも、信じたこともない、分からない存在をどうして覚えたらよいのか、と反論されるかもしれません。

神はないという前提で世界を見ますと、神は見えません。しかし、別な角度で世界を見、歴史を見、人の心の内面を見つめると、神が見えてくるのです。例を示しましょう。私が持っているプレートには何かの文字が刻まれています。しかしなんだか分かりません。それは文字は黒く刻まれたものだと言う先入観があるからです。<絵図参照>

すこし距離を置いて、目を細めて明るい面だけを見つめると、黒以外の部分が急に浮かんできて、文字が見えてくるはずです。この儚い人生と世界にあって、変わらないで世界・宇宙を支配し、知恵を持って運営しておられる神を認めましょう。「目を細めて明るいところをみると」神が分かってきます。

アフリカ人は、その殆どが有神論者です。しかも唯一の創造者を信じています。その理由について、アフリカの神学者のムビティと言う人は、その信仰は、自然をあるがままに観察した結果だと言います。あるテレビ局の取材で、女優のYさんという方をアフリカの自然公園にご案内しました。途中でサファリカーの屋根がパッと開いて自動車に立ったまま四方を見渡した彼女いわく、「神様って、本当にいるんだ――」。神なんかいない、と思っている人、一度アフリカのサファリにお出でください。人生観が変わりますよ。
 
4.創造者を畏れ、愛し、従う
 
 
さて、この創造者は、私達を尊いご計画をもって造り、愛し、導いていてくださいます。この方を認めるだけではなく、愛し、敬い、従うことによって、儚い人生ではありますが、永遠に続く希望と力と喜びに生きることが出来ます。

昨年の丁度今頃、私達の教会員で越山さんという方が87年の生涯を閉じて天に帰りました。早稲田高等学院、早稲田大学を出た方ですが、18歳の時、キリストを信じました。22歳の時に近衛歩兵第一連隊に入隊、翌年スマトラに配属されました。そのころキリスト教は敵性宗教と言われ、多くの教会が閉鎖させられ、牧師も検挙されました。越山さんの恩師であった小原十三司牧師もその1人でしたが、越山さんは取調室の小原牧師を尋ね、無言の励まし合いをしたそうです。それがその後の戦地での信仰の継続の力となりました。

終戦後日本に戻り、日本酸素KKで生涯を過ごした方ですが、職場にあっても神を畏れて生き、多くの部下に慕われました。この教会においても、分け隔てなく、気さくに誰とでも近づき、心を向け、心を開くすばらしい力をもっておられました。越山さんは、正に若い日に創造者を認め、それから70年間、神を愛し、人を愛し、人に愛される充実した人生を送りました。彼は一年前に亡くなりましたが、永遠に生きる存在として、天国で喜びの時を過ごしておられます。

あなたも、あなたの若い日に、この方を認めて生き始めようではありませんか。
 
お祈りを致します。