プレイズ・ワーシップ メッセージサマリー 

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2008年4月13日

箴言が語る実際的知恵E
「人を癒す言葉」


竿代 皓子牧師

箴言12章15-19節

                 該当聖句

15-19愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。  愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。 真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。  軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。

(箴言12章15-19節)


A.はじめに

もし、言葉がなかったらと考えたことがあるでしょうか?本当に不便ですね。 言葉は自分が考えていることを他者に伝える手段として大切な役割を持っていることは皆さんご存知でしょう。 すべてのことは言葉によって形成されています。つまり自分を知り、他人を知り、色々な物事を知り、またご自分を「言葉」(ロゴス)と名乗られた神を知るための手段なのです。 言葉の使い方一つで人生が大きく変わるほどの大変な力をもっています。 その言葉をどのように自分の口から発するかは、言葉のもつ大きな力を良く理解していないといけないと聖書は教えています。 今日の箴言の箇所は「言葉による他者との関わり」に焦点をあてています。 人間関係の中で言葉によって人を殺すことも、また反対に生かすことも出来ると言っています。 言葉によって人をナイフで殺すと同じようにその人の人格を傷つけ、殺すことが出来るということを、私たちは日常生活でいやというほど経験されていると思います。 人は誰でも他人を傷つける言葉を言って、深く後悔した経験を持たない人はいないと思います。 そこで今回は、この箴言の箇所からどのようにしたら他者を言葉によって傷つけないようになれるか、またどのようにしたら他者を生かし、癒す言葉を言えるようになれるかを学んで生きたいと思います。

B.自分の正しさを過信しないこと

自信過剰への警戒が述べられています。それは15節に 「愚か者は自分の道を正しいと思う。」 と言っています。 ここに自分の考えが他者の考えよりを正しいと考え、必然的に他者の忠告は聞くことが出来ないようになります。 このような心の状態の時に、人は他者を批判し、裁き、厳しい言葉のマグマが心の中にたまり、何かのきっかけで爆発し、非難、中傷、批判の言葉となって噴火してしまうのです。 その出てしまった言葉はもう取り返しがききません。その後は目も当てられない惨憺たる人間関係となって、修正がきかない大変な状況に自分自身が置かれていることになるのです。本当にこのような状況に置かれないように気を付けたいものです。 そのために、時々自分に忠告をしてくれる人がいるかどうか考えると良いと思います。 もし、誰もあなたに忠告をしてくれる人がいないならば、要注意です。 あの人は言っても聞いてくれないというレッテルが大きく張られていることになります。 「しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。」 (15節) と書いてあります。 謙遜な人に友は優しく忠告してくれます。ご夫婦の間でもこのような会話がなくなったら要注意です。反省してみましょう。

C.感情(特に怒り)のコントロールをすること 愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。
との16節は大変興味深いみ言葉です。 人間は感情の動物です。人にとってコントロールが難しいものの一つが感情です。感情を害される時に人は怒りを感じます。社会生活の中でわざと感情を刺激する性質の悪い人がいるのが現状です。 皆が善人ではないのです。色々な動機でもって私たちをイライラさせ怒らせようとするものです。このようなことは日常茶飯事です。 さて、私たちは人から感情を傷つけられたらどの様な反応を出すでしょうか。すぐに怒りを爆発させますか。 いかに正当な理由があったとしてもその時に「怒りをすぐ現してはいけない」こと、そしてそれは愚かであると教えています。 怒りに任せて冷静さを失うと私たちは言わなくても良い事までまくし立ててしまう傾向があるからです。 怒りを伴った言葉は、後で「しまった」と後悔してももう遅いのです。 どんなに言われた事が不当でも、感情に任せて自分の言った言葉によって、自分も相手も傷つけ埋めがたい溝を作ってしまうケースが多いからです。 その時は冷静に沈黙することが出来るように深呼吸して感情の静まりを待つことが出来るように祈ります。「辱めを受けても黙っている」事です。沈黙のメリットは大きいのです。 相手のペースに巻き込まれないことや偽りの訴えに対して黙っていた主イエス様のように、正しい者であることの証明にもなるからです。 これが賢い方法です。相手を刺激してやろうと、悪い動機で刺激する側に立ってはなりません。 私も反応の早い方で、自戒をこめて今回のメッセージに臨んでいます。

D.嘘をつかないで、真実を語ること 17節と19節に真実を語ることについての教えが書かれています。 真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。
真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。
この世で生きていく時「嘘」によってどれほどの人たちが傷付いてきたでしょうか。 嘘は恐ろしい罪です。自分を守るためにいう「嘘」を言い訳といいます。 もっと悪いことは、自分を有利にするために−人を陥れるために嘘をつくことです。このために人を殺すことになる例は枚挙にいとまがありません。嘘は最も邪悪な罪の一つです。 軽い気持ちで言った言葉でも、それが真実でないなら大きな結果につながることをよくよく肝に銘じたいものです。 小説や物語の中に出てくる筋書きでも、なんと多くの嘘によって人々が苦しむかを嘆く話を聞きます。物語ですから本当ではないのですが、「事実は小説よりも奇なり」なのです。 歴史上何人の人が、偽りの証人によって罪に定められ、苦しんだのでしょうか。考えると恐ろしいほどです。嘘の誘惑から逃れることを強く勧めます。嘘の結果はほろびです。その人は瞬く間に飛び去っていくと書かれています。 しかし反対に、イエス様のように真実な人を人々は知っています。その人は人々の愛と尊敬をえて、いつまでも語り継がれていくのです。

E.噂話をしないこと 噂もまた嘘につながっていくことに警戒いたしましょう。噂には「尾びれ背びれ」が付くからです。 自分が言った「かもしれないのよ・・・・・。」が、「・・そうだそうだ。」となってしまうのが、この世の常です。 噂の源や「放送局」などと言われないようにしたいものです。 自分の知らないうちに人を大きく傷つけるのが「噂」です。この噂が18節の 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。 を言っていると思います。人について話す時、本当に「軽率」であってはならないのです。 噂話ほど美味しいものはありません。本当に面白いのです。何人か集まって30分話していて、噂話に落ちていかないことはないと、ジョン・ウェスレーは言っています。それほど他人のことをうわさすることは人間にとって快感のようで、また強い誘惑です。噂話から逃げることが出来るようにしたいものです。 また、噂をされるほど不快なものはありません。自分がいやなことは他人にもしないようにするべきでしょう。これを実行できるとなんと多くの問題から私たちは自由になれることでしょうか。

F.人を癒す言葉を積極的に言うこと しかし知恵のある人の舌は人をいやす。
と18節にあるように、人を癒す言葉を言える人は幸いです。そのためには「知恵ある人」となることが必要です。
ヤコブの手紙 3章13節に あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
とあり、その知恵は 上から来る
と書かれています。17節に しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
ともあります。 生まれながらの人には、ある程度の努力によって人間関係をうまく乗り切ることが出来るでしょうが、本当に人を癒す言葉を言えることは 上からの力と知恵
がないと不可能です。本当の愛に裏づけされた癒しの言葉は、純真であり、平和、寛容、温順であり、憐れみがあり、善良であり、見せかけのない心から言えるからです。この心はイエス・キリストの心です。

G.おわりに 私たちもイエス・キリストを心に受けいれて−あるいは信じて−、同じ心を頂いて人を癒す言葉を心から言える知恵ある人になれるとは何という恵みでしょうか。ここに人間関係に対する悩みの知恵が提示されています。信じましょう。お祈りいたします。


Message by Hiroko Saoshiro,pastor of Nakameguro IGM Church
Compiled and edited by K.Otsuka/13 April,2008