礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年6月1日
 
「 一つの世界に!」
イザヤのメッセージ(20)
 
竿代 照夫牧師
 
イザヤ書19章16-25節
 
 
[中心聖句]
 
  23   その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。
(イザヤ書19章23節)

 
聖書テキスト
 
 
16 その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。17 ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の主がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。18 その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハヘレスと言われる。19 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、20 それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。21 そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。22 主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。
23 その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。24 その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。25 万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」
 
1.歴史の中でのエジプト
 
 
 @古代エジプト王朝(BC30-20世紀)
 
 
バビロンがメソポタミヤ文明を代表するとしますと、エジプトはもう一つの文明発祥の地です。ピラミッド、スフィンクスをが作った古代エジプト王朝は、BC30-20世紀に栄えたのです。
 
 Aイスラエルとの関わり
 
 
イスラエルの故郷カナンからはごく近くにありましたから、イスラエルとのかかわりは密接でした。

・アブラハムの寄留 (2000頃):
アブラハムは、一時エジプトに寄留しました。

・ヨセフ以来の滞在(1800頃):
ヤコブ・ヨセフの時代から4百年近く、民族毎エジプトに滞在したことは、イスラエル―エジプトの強い文化的絆となりました。

・出エジプト(1400頃):
出エジプトによって、奴隷的なくびきから解放されました。因みに、有名なツタンカーメン王はBC1300年代です。

・シシャク王のユダ侵攻(900頃):
しかし、出エジプト後もエジプトはたびたびイスラエルを侵略し、干渉しました。シシャク王がユダを侵攻したのがその一例です。

・反アッシリヤ同盟の画策(イザヤ時代の710頃):
イザヤが活躍したのは、BC700年代の後半から690年ごろですが、エジプトは、そのころ世界帝国であったアッシリヤの陰に隠れて、世界を動かす力はありませんでしたが、隠然たる勢力を誇っていました。

・パロ・ネコがヨシヤ王を戦死させる(609):
アッシリヤが衰えた後に勃興したバビロンに対抗して、戦争を挑んだパロ・ネコが、それを阻もうとしたユダの王ヨシアを殺したことは有名です。
 
 Bイザヤ時代のエジプト
 
 
・自己保全が動機の反アッシリヤ同盟:
アッシリヤが圧倒的な力をもってパレスチナ地方の国々を呑み込んでいく中で、エジプトも脅威を感じ、自らの存続を賭けてパレスチナ諸国を支援して、反アッシリヤ同盟を主導します。ユダはじめパレスチナの小国も、エジプトに頼って自分達の安全を保とうとします。ユダ国内では、親エジプト党、親アッシリヤ党、そのどちらにも属さない独立党に分かれていました。一番強い現実主義者は親エジプト党です。丁度、戦後の日本が日米安保条約を基軸として自己の安全を確保しようとした状況と似ています。

・同盟国アシュドデが敗北:
反アッシリヤ同盟に楔を入れようと、BC711年には「アッシリヤの王サルゴンによって派遣されたタルタンがアシュドデに来て、アシュドデを攻め、これを取った」(20:1)のです。そのとき、主はイザヤにこう語られました。「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ。」(20:2)それが三年間続きます。つまり、「アッシリヤの王は、エジプトのとりことクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にし、はだしにし、尻をまくり、エジプトの隠しどころをむき出しにして連れて行く。」(20:5)実は、この預言は40年後のBC670年、アッシリヤ王エサルハドンのエジプト征服と言う形で成就しました。

・イザヤは「親エジプト党」を徹底的に批判:
イザヤの立場は明確でした。「現実主義者」の親エジプト党を批判し、神のみに頼る絶対中立を主張したのです。30:1-2を見ましょう。「ああ。反逆の子ら。――主の御告げ。――彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。」と。クリスチャンの中でも、「信仰、信仰と叫ぶだけでは何も解決しない。結局、クリスチャンの原則を貫くよりも、長いものに巻かれろで生きていく以外にない」という「現実主義者」が大勢います。イザヤが今日生きていたら何というでしょうか。
 
2.エジプトへの審判(19:1-15)
 
19章の前半(1-15節)は、エジプトに対する神の審判です。それを詳しく語るゆとりがありませんが、その審判について三つのポイントを拾います
 
 @自滅的
 
 
2節を読みましょう。「わたしは、エジプト人を駆り立ててエジプト人にはむかわせる。兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。」実際に、BC712年には、エジプトに内戦が多発しました。
 
 A自然災害
 
 
5-7節を見ましょう、「海から水が干され、川は干上がり、かれる。多くの運河は臭くなり、エジプトの川々は、水かさが減って、干上がり、葦や蘆も枯れ果てる。ナイル川やその河口のほとりの水草も、その川の種床もみな枯れ、吹き飛ばされて何もない。」厳しい干ばつがエジプトを襲うことが予告されます。
 
 B知恵がなくなる
 
 
13節が特徴的です。「ツォアンの首長たちは愚か者、ノフの首長たちはごまかす者。その諸族のかしらたちは、エジプトを迷わせた。」ツォアンとは、ナイル河口の北東の町で、エジプトの王たちが住むような大きな町です。ノフはもっと南のメンフィスの近くの町です。エジプトの柱となるべき指導者達がその愚かさを露呈して、エジプトを混迷に導くのです。
 
3.エジプトの回復(19:16-22)
 
審判のあとで、エジプトの回復が預言されています。この文節と次の文節で鍵となるのは「その日」と言う句です。この文節で4回、そして次の文節で2回、「その日」が言及されています。
 
 @神とその民への恐れ(16-17節)
 
 
「その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の主がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。」神とその審判への恐れがエジプトを支配するのです。
 
 Aイスラエルへの同化(18節)
 
 
「その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハヘレスと言われる。」カナン的な文化が普及します。この場合のカナンはイスラエルを示すと考えられます。つまり、礼拝の用語として、エジプト語とは全く異なる言語であるヘブル語が普及するのです。
 
 B主(ヤハウェ)への信仰(19-20節)
 
 
「その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。」ヤハウェへの信仰がエジプトで一般的となります。その象徴が、ヤハウェのための祭壇であり、主を称えるための石の塔です。エジプトは絶望の中で真の神の御手を認め、悔い改めて主に帰依するのです。BC160年ごろ、ユダヤの祭司オニアスという人は、時のエジプト王に、イザヤの預言を示して、エルサレムの神殿と同じ形の神殿を建てさせたという逸話も残っています。
 
 C主による癒し(21-22)
 
 
「そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。」主がエジプトを懲らしめなさったのは、癒しのためです。これは、私達の人生においても当てはめられる真理ではないでしょうか。
 
4.終末における全世界的祝福(23-25節)
 
 
エジプト回復の預言は、当時の世界政治という現実を越えた、いわば究極の理想世界の描写となります。イザヤは、当時のパワー・ストラグルを越えた終わりの世界を描いているのです。それは三つのキーワードで纏められます。
 
 @一つの世界(23節)
 
 
「その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。」エジプトとアッシリヤの間に人工的なハイウエイが完成し、相互の行き来が活発になる、と語られます。その真ん中にイスラエルがある訳で、そのイスラエルであらゆる国民が真の神、主(ヤハウェ)に仕えるのです。
 
 A一つの民(24節)
 
 
「その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。」これは、単にエジプト・イスラエル・アッシリヤが三国同盟を結ぶという政治的な預言ではなく、世界全体が一つの民として和解し、協力する姿を描いているのです。
 
 Bひとりの神(25節)
 
 
「万軍の主は祝福して言われる。『わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。』」神が、それぞれの民を祝福なさいます。エジプトに対しては、「わたしの民」と語りかけます。これは、出エジプトの時、イスラエルに対して、エジプトとは区別して「わたしの民」(出5:1)と語られたことと比べると、驚くべき変化です。アッシリヤにも「わたしの手でつくったアッシリヤ」と語られます。この言い方もイスラエルの専売特許であった(イザヤ43:7)ことと比べると、驚くべきことです。イスラエルに対しては、「わたしのものである民イスラエル」と言って、イスラエルへの愛は変わりません。つまり、神はそれぞれの民に、最大の関心と愛を示しておられるのです。決してイスラエルびいきでもありませんし、イスラエルを懲らしめるために、他の民族に肩入れしすぎることもありません。それぞれを、それぞれの価値の故に愛し、受け入れ、導いておられるのです。

さて、この預言はいつ成就した(する)のでしょうか。私は、新約においてキリストのもとにひとつとされた世界のことであると理解します。エペソ3:6を見ましょう。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」
 
おわりに
 
 
今、世界は、民族的な違い、文化・言語・宗教の違い、社会体制の違い、工業化の進歩の違い、利害関係の絡み合いで、全く相別れて戦っています。戦いを止めさせるはずの国連もその機能を発揮できません。世界全体と言う大きなサイズだけではなく、家庭という小さな社会でも、近隣社会でも、会社社会でも、学校社会でも、互いの誤解、対立が癒しがたく存在しています。一つであるべき教会の中でも、小さな誤解が誤解を生んで和解を妨げてしまうというケースも少なくありません。何と悲しいことでしょうか。

私達は今こそ、イザヤの預言の楽観主義を私達のものとして捉えようではありませんか。キリストにある平和を私達のものと捉えようではありませんか。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)私達自身が、まず置かれた立場で平和の創造者でありたいものです。その平和をぐんぐん広げていく器とさせていただきましょう。
 
お祈りを致します。