礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年8月17日
 
「恐れるな、虫けらのヤコブ」
イザヤのメッセージ(28)
 
竿代 照夫牧師
 
イザヤ書41章8-16節
 
 
[中心聖句]
 
  14,15   恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。私はあなたを助ける。・・・見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。
(イザヤ書41章14-15節)

 
聖書テキスト
 
 
8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。11 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。12 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。13 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。
14 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。15 見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。16 あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。
 
1.41章の内容
 
 
40章は、捕囚の民への釈放宣言でした。41章は、その思想を続けています。弱さの中に落ち込んでいるイスラエルを強め、励ます言葉が連ねられています。

1)神は諸国の支配者を支配される (1-7節):釈放の宣言を実行する保証として(特に2節は神に立てられる釈放者と指すと思われます。)

2)神はイスラエルを救い出される(8-13節):(特に10節は、救いにおける神の主導的な働きを示しています。)

3)神はイスラエルを強められる(14-16節):(虫のように弱いイスラエルが、打穀機に作り変えられ、周りの国々に勝利する絵が描かれます。これについては後に詳しく述べます。)

4)神はイスラエルを満たされる(17-20節):(特に18節は、渇いた地に豊かな水を供給し、日影を齎すような植物の繁茂が予告されています。)

5)神は将来を予告される(21-29節)
 
2.虫のようなヤコブ(絵図@参照)
 
 
・虫のイメージ:
虫に等しいヤコブ(イスラエルの別名)とは、何と人を見下げたような言い方でしょうか。この虫(トーラアト)とは、「虫愛(め)ずる姫」が愛するようなかわいらしい虫ではなく、人の死体を暗い尽くす汚らわしい蛆虫(イザヤ66:24)、植物の茎をかじる害虫(ヨナ4:7)、つぶされて緋色の染料になるしか役立たないもの(イザヤ1:8)のことです。

・人間に当てはめると:
詩篇の作者は「私は虫であって、人ではない」(詩篇22:6)と、他人から蔑まれる様子を述べています。この場合のイスラエルも、虫ときめつけられても仕方がないほど、無力、無価値、微小、無抵抗でした(申命記7:7)。特に、捕囚の憂き目にあるイスラエルは異邦人の攻撃と辱めに遭って、自分の虫性を嫌というほど感じていました。
 
3.助け給う主
 
 
・贖い主(力強い、近しい救い主)として:
主は、イスラエルをいやしめるためにこのような表現をなさったのではありません。こんなに無力で無価値な民をも主は助け給う、近い親戚(贖い主)として代価を払って救い出す、と宣言されるのです。

・「イスラエルの聖者」:
さらにご自身を「イスラエルの聖者」と紹介されます。このお名前は、聖さをもって一番の特色とされる主のご性質と同時に、イスラエルとの特別な契約関係を示します。
 
4.鋭い打穀機に
 
 
さらに、主はこのイスラエルを「鋭い、新しいもろ刃の打穀機」(15節)とし、世界の敵対勢力を微塵に砕く力強い勢力としてくださいます。

・打穀機とは:
打穀機には、二種類あります。一つは、棒状の木に石片または金属を付着させたもので、麦束を叩いて脱穀するのに使われていました。或いは、板状の橇の下側に金属や石を付着させたもので、打穀用の床の上を牛などに引き回されて、脱穀をするのに用いられました。この場合は後者のイメージでしょうか。(絵図A)

・イスラエルが打穀機となる:
イスラエルは、打穀機となって、山々を打ち砕くのです。無力な虫とは何と対照的な役割でしょう。山々とは、崩し難いほど聳えている困難の象徴です。しかし、その困難は粉々に打ち砕かれ、その結果できた籾殻は、風に吹き飛ばされるというのです。何と痛快な勝利の絵でありましょうか。イザヤより200年後、壊された神殿を再建すべく、ゼルバベルが指導者に立てられました。そのゼルバベルに対して、「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。」(ゼカリヤ書 4:7)と主は語られました。彼の前に立ちはだかった困難は、正に大山でした。しかし、それは主のみ業によって、また、主の御霊に満たされた器たちの働きによって平地となったのです。この8月は、中目黒の会堂が出来て5周年です。本当に5年前に直面した大山が、正に平地となったという感を深くします。更に会堂にかかわる借財返済も、半ばを超えるまでに助けられました。その面でも大山は平地となりつつあります。

・山や丘:
本来は無力な人間が、神の手に陥ることによって、大きな働きが出来ます。それによって、彼らは自分を誇らず、イスラエルの聖者によって誇るのです(16節)
 
5.「虫のように」なられたイエス
 
 
イエスが虫に等しい状態になってくださったことを覚えましょう。

・罪なく、穢れなく、高貴で、栄光に満ちた主が、

・虫に等しい姿となってくださったのです(詩篇22:6)。何のために、それは私達の全ての汚れと弱さを担うためでした。

50年近く前に手に入れて、恵まれた本に、ロイ・ヘッションという人が書いた「カルバリーへの道」というのがあります。キリストが虫のようになられたことへの洞察に満ちた描写が私の心に深くとどまっています。少し引用します。「私達は、神の形にてい給うた主が、神と等しくあることを固く保とうと思わず、僕の形をとって人の如くになり、十字架の死にいたるまで従順に歩まれた主を見るのです。ご自身の権利もみ住まいも持ち物も、何もかもふりすて、人々の罵るに任せて、復讐も防御もなさらなかった私達の主を見るのです。・・・カルバリの丘に進まれた主イエスの、全く砕かれた姿を見るのです。預言の詩篇に「我は虫にして人にあらず」と言われています。熱帯を旅したことのある人は、蛇と虫とには大きな相違のあることを良く知っています。人が一撃を加えようとする時、蛇は直ぐに首をあげ、シーシーと声を上げながらかかってきます。これは自我の真実の姿なのです。けれども、虫は、人のなすままにまかせて、蹴られても踏まれても、少しの抵抗もいたしません。これは、真に砕けたものの姿です。イエスは私達のために喜んで虫になられたのです。」
 
6.私達の「虫」性
 
 
・私達の虫性を考えましょう。イスラエルが虫ならば、私達は何でしょうか。神なく、望みなく、イスラエルの国籍に遠く、祝福の約束に関わりないもの(エペソ2:12)でした。先のロイ・ヘッションの言葉を続けましょう。「主は今、主のために、また、主と共に虫として当然の場所を取るように要求されるのです。山上の垂訓に記されているような無私の愛は、私達のために進んで砕かれなさった主の愛を仰ぐ時のみ可能となります。
 主よ、砕いてくださいますように
 思い上がった頑なな私ですから
 頭をたれて私に死ぬために
 御手を加えて私の首を低くし
 己に死ぬことを許してください
 カルバリの山の主を仰ぐ時に
 私のために御顔を垂れ給うた主を仰ぐ時に」

・こんな弱い器をも主は作り変えて恵みの器とし、全ての敵に太刀打ちできる福音の戦士としてくださいます(Uコリント4:7)。それは、私達が本当に自分の虫性を認め、自分に死に、キリストの命を仰ぐ時にのみ可能となります。
 
おわりに:強め給う主を捉えよう
 
 
私達は、自分が自覚している以上に弱く乏しい器です。その虫のように弱く無価値なものを「新しい打穀機」と変え給う主のみ力を信じましょう。弱さに徹する時真の強さが与えられるといったパウロの言葉を私達のものとしてこの朝捉えましょう。「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(Uコリント12:9)
 
お祈りを致します。