礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年9月14日
 
「油そそがれたクロス 」
イザヤのメッセージ(31)
 
竿代 照夫牧師
 
イザヤ書45章1-7節
 
 
[中心聖句]
 
  1   主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。」
(イザヤ書45章1節)

 
聖書テキスト
 
 
1 主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。
2 わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。
3 わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
4 わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
5 わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
6 それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。
7 わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
 
はじめに
 
 
イザヤ書後半部分がバビロン捕囚からの釈放をテーマとしていることは、今まで何度かお話しました。今日取り上げるのは、その釈放の立役者となったクロスという人物です。ペルシャ王クロスは、BC550年ごろ活躍し、イスラエルの釈放を行いました。そのクロスがイザヤ書では3箇所(44:28、45:1,13)名指しで預言されています。今日は、最初にイザヤが描いているクロスについて学び、それから歴史の中で活躍したクロス王とを比較します。
 
A.イザヤ書の描くクロス
 
1.これは予言か、事実の記述か?
 
 
・150年後の予告はあり得るか:
イザヤが活躍した年代はBC700年ころ、クロス王が活躍した年代との隔たりは150年にもなります。そんな昔のイザヤが、クロスの名前と人物像を予告するなんて、常識では考えられません。その「常識」に従う人々は、このクロスの予言は予言ではなく、クロスの同時代に生きた「第二イザヤ」が、予言の形を装って書いたのだと主張します。

・歴史を見渡しなさる神:
しかし、この議論は、将来のことを言い当てることは不可能であるという「常識」に囚われた議論です。神は歴史を動かし、時間を越えたお方です。丁度高い山から、はるかふもとの列車を見ていると、その行く先が手に取るように分かるように、神は人間の時間・空間をはるかに越えたところから歴史を見ておられます。150年の差は何も問題ではありません。

・神の予知の強調:
さらに文脈的には、三箇所の「クロス予言」は、偶像の虚しさとの対比でなされている点に注目しなければなりません。44:9の「偶像を作るものはみなむなしい。・・・彼らの仕えるものは、見ることも出来ず、知ることも出来ない。」と偶像の無知ぶりを示し、将来を予見なさる真の神を強調します(44:7)。つまり、偶像は将来を予言し得ない、それに比べて、真の活ける神は将来を予言し得給う、というのがクロス予言の中核なのです。もし、クロス王を知っている「第二イザヤ」が、将来を予言し得給う神の力の例としてこの記事を書いたとすれば、その第二イザヤは大変な詐欺師と言うことになりましょう。
 
2.クロスの呼び名
 
 
44:28−45:7は、クロスへの呼びかけです。その中でクロスの呼び名が二つありますので、注目しましょう。

・「わたしの牧者」(44:28):
これは、「わたし」と自らを呼びなさる神が、その民を牧するために立てなさった羊飼いという意味で使われています。良く考えると、これは不思議です。旧約聖書を見ると、この称号は、ダビデ王が受けたもの(2サムエル5:2)、ダビデに続く王たちが受けたもの(1列王22:17)、そして、来るべきメシアを予告したもの(ミカ5:2,4)と同じです。その名誉ある称号が、異邦人であるクロスに与えられることにイスラエル人は違和感を覚えたことでしょう。実はそこにこそ、イザヤのメッセージがあるのです。ダビデの家が神に対する忠誠を捨てるならば、神は異邦人の中からダビデ的なメシアの役割を担う人物を起こし得給うというのがこの場所での大切なメッセージなのです。

・「主に油注がれた者」(45:1):
この言葉も、イスラエルの王、祭司、預言者に使われるものです。この場所の特徴は、それが選民以外の人に当てはめられたことです。それは神がイスラエルだけの神ではなく、全世界の神であることを示します。正にクロスは、メシアの一つの側面を示します。
 
3.クロスの神との関係
 
 
クロスは、神に近い人物として紹介されます。

・「神に右手を握られている」(45:1):
クロスの活動は、彼自身の野心や資質に基づくものではなく、神の導きと力づけによることを示します。いつぞや、私が小学三年生の折、習字の展覧会用に字を書かされた話をしました。私の背後に居た先生がぐっと私の右手を握り、「もみじ」の三文字を書かされました。私の技量とは関わりなく、船橋市の展覧会で銅賞を貰いましたが、その時のことと重ね合わせてクロスの活動が想像されます。正に彼は神の用い給う器だったのです。

・「神に名を呼ばれる」(45:4):
クロス自身が主を知らない人物であることが4節、5節で繰り返されていますが、しかし、主は彼を知り、呼び出しなさいます。そして、彼を通して大いなる業がなされるときに、彼は、その神を認め、その神に動かされているという自覚を持つようになるのです。それをしめすのが3節後半です。「それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。」この真理は私達にも当てはまるのではないでしょうか。私達は多く神を知らず、神の道に離れて生きていました。神なんかいない、いても私達は知られていない、と。しかし、私達が神を知らなくても、神は私達を知っておられ、導いてくださいます。それどころか、「私達がまだ罪人であったとき、キリストが私達のために死んでくださったことにより、神は私達に対するご自身の愛を明らかに」(ローマ5:8)されたのです。何と素晴らしいことでしょうか。

・「神に奮い立たされる」(45:13):
「わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、・・・」と記されていますが、これもクロスのことです。自分の頑張りではなく、神の霊感が与えられて、クロスはその業を成し遂げます。
 
4.クロスの役割
 
 
クロスは「神の望むところをみな成し遂げる」(44:28)ために神に立てられました。では、望むところとは何でしょうか。

・圧制者を滅ぼす:
「彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。2 わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。」(45:1,2)とは、何と痛快な行動でしょうか。圧制者の中にはエジプトもエチオピアも含まれてはいましたが、主なものはバビロンです(48:14)。現代世界にも多くの独裁者、圧制者がいて、民を悩ましていますが、独裁体制が滅ぼされ、民が解放されることを切に祈らねばなりません。

・多くの財宝を司る(45:3):
これは、諸国の回復のための物質的な供給源となることでしょう。

・捕囚の民を解放する(45:13):
「彼はわたしの町を建て、わたしの捕囚の民を解放する。代価を払ってでもなく、わいろによってでもない。」具体的に言えば、イスラエルへの釈放命令と国と町の回復支援です。このような釈放者が、捕囚によって打ちひしがれたイスラエルに、どんな大きな希望を与えることになるか、計り知れません。
 
B.歴史に見るクロス王
 
 
これらの予言は、BC550年にペルシャを統一し、538年にバビロンを滅ぼしたクロス王によって成就しました。そのクロスについて、歴史に記された概要を紹介します。
 
1.生まれ
 
 
クロスは、ペルシャ・アケメネス王朝のカンビュセス王の子ども(同名のクロス一世の孫)として生まれました。
 
2.征服活動
 
 

BC550頃カンビュセスから王位を受け継いでクロス二世(大王)となり、回りの国々を征服していきます。BC549年には隣のリディアを併合、さらにアッシリヤを占領します。そして、539年、最大の敵であったバビロンを滅ぼし、ペルシャ帝国を打ち立てます。バビロン攻撃については、歴史家ヘロドトスの記述によると、クロスの下にあったゴブリアス将軍の奇襲作戦によったそうです。将軍は、バビロン市に注ぐ運河の水を他の方向に流し、渇いた川底を伝って町に入ったのです。従って、さしたる抵抗もなく、バビロン市と、バビロン帝国に止めを刺しました。
 
3.釈放令
 
 
クロス王は、バビロン滅亡の17日後に町に入りました。勿論、そこでは英雄的歓迎を受けました。クロスは直ちに、被抑圧民族を集め、それぞれのふるさとに帰るようにという釈放宣言を行います。勿論、そこにユダヤ人が含まれていました。格別にユダヤ人には好意的でした。(恐らくその理由は、このイザヤ預言の影響であったと考えられます。)エズラ記を引用します。「ペルシャの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」 (エズラ1:1−4)
 
終りに
 
1.神の主権を認めよう
 
 
クロスが存在したのは、イスラエルの民に、また全世界の民に、主こそが真の神である事を知らしめるためでした(6節)。歴史は神の御手にあることをクロスの存在と活動で知らしめます(13節)。神はご自分の民を救い得給う、しかも、ご自分の方法で。クロス自身がもっている資質とは関係なく、主ご自身が彼を選び、強め、用いなさるという神の主権がここで強調されているのです。
 
2.「クロス」のために祈ろう
 
 
よく、祈りの中で、「クロス王を感動し給うた主が、今の政治指導者をも感動してくださるように」と祈られることがあります。正にクロス王は、個人的信仰とは別に、神がその目的の遂行のために用いなさる器の例として存在しています。私達が祈る時、主は、色々な「クロス」を起こし、用いなさいます。たとえ、世の支配者がそれを自覚しようとしまいと、神は世の支配者をも支配し給うお方です。暴君パロでさえも、イスラエルの救いのために用いなさいました。社会と歴史を動かし給う神を信じましょう。今、日本の政権与党の総裁選挙が行われています。彼らのうち、キリストを知っている人がいるかいないか、いるとすれば本当のクリスチャンなのか、名前だけなのか、私には分かりません。ただ、分かっていることは、このような政治的動きの中にも、歴史の支配者なる神が働いておられることです。主が日本を顧み、この時代のクロス王を起してくださるよう祈りましょう。
 
お祈りを致します。