礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年10月19日
 
「彼ひとりを呼び出し」
イザヤのメッセージ(36)
 
竿代 照夫牧師
 
イザヤ書51章1−8節
 
 
[中心聖句]
 
  2   あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。
(イザヤ書51章2節)

 
聖書テキスト
 
 
1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。 2 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。 3 まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにしその砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。 4 わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。 5 わたしの義は近い。わたしの救いはすでに出ている。わたしの腕は国々の民をさばく。島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に拠り頼む。 6 目を天に上げよ。また下の地を見よ。天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないからだ。 7 義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。 8 しみが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたるからだ。 9 さめよ。さめよ。力をまとえ。主の御腕よ。さめよ。昔の日、いにしえの代のように。ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、あなたではないか。 10 海と大いなる淵の水を干上がらせ、海の底に道を設けて、贖われた人々を通らせたのは、あなたではないか。 11 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
 
1.教団創立63周年記念日を迎えて(年表参照)
 
 
・IGM創立記念日:
1945年10月21日がインマヌエル綜合伝道団創立の日です。第二次大戦の間、東条内閣のキリスト教弾圧のために二年間牢獄での生活を送り、釈放されて、新しい働きを始めようとしていた蔦田二雄牧師が、原爆の被害を辛うじて逃れた長谷川元子牧師、正子医師を岡山県野馳を尋ねて祈りの時を持ち、船橋への進出を決定した日です。

・荒廃の中からの出発:
戦前、志を同じくする牧師たちの間でリバイバル・リーグという運動がありましたが、その仲間数人が新しい群の働きに加わったものの、正にゼロからの出発でした。その時は日本全体が戦争に敗れ、家は焼かれ、建物は壊され、全てのインフラは破壊され、人々の心も荒廃していました。その中から信仰を持って立ち上がったのが、蔦田師を中心とする数人の働き人でした。

・その後の成長(年表参照):
開拓的の場所として選ばれたのが船橋です。45年に医務部が始まり、続いて46年に船橋教会が誕生しました。48年には中目黒教会の全身である丸の内教会が誕生しました。49年には神学院が始まり、60年からは国外宣教活動も始まりました。現在120の国内教会と6つの宣教地を持つ教団にまで、発展を許してくださいました。

・イザヤ書の学びとの符合:
イザヤ書の連続的な学びがなされていますが、順番からいうと今日は51章に当たり、イスラエル民族の生い立ちを考えなさい、という語りかけが1-2節に記されていますので、丁度グッドタイミングと捉えました。今日はイザヤ書を学びながら、それを私達の群の歩みに当てはめて考えて行きたいと思います。
 
2.51章
 
 
神の大いなる救いが近づいている、だから、民は目を覚ましてその救いを待ち望むように、と言うのが51章のメッセージです。51章と52章前半は「聞け」(あるいは「耳を傾けよ」)から始まる三つの文節、「さめよ」で始まる三つの文節で成り立っています。

・「聞け―その1」(1-3節):
 イスラエルの起原の神秘に目を留めよ
・「聞け―その2」(4-6節):
 救いが近づいている<特に5節a>
・「聞け―その3」(7-8節):
 迫害に耐えよ<特に7節b>

・「さめよ―その1」(9-11節):
 贖い主の腕は力強い<特に11節a>
・「さめよ―その2」(17-23節):
 罰せられたエルサレムは回復する<特に17、22節>
・「さめよ―その3」(52章1-10節):
 贖いを賛美しよう<特に1節>

今日は全章に触れることが出来ませんので、1-3節に絞って、神の恵みの過去と現在と将来を考えます。
 
3.過去の恵みを思い起こす
 
 
・真実な信仰者への語りかけ:
「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。」と主は語り掛けなさいます。神の御心に従おうとする真実なイスラエルのグループが対象です。彼らは、捕囚の憂き目に遭っている同族の故に悩みつつも、主の真実に頼る気持ちを保っていました。その真実なイスラエルに対して主は励ましを与えなさいます。

・過去を振り返る幸い:
「考えよ」です。なんでもそうですが、私達が新しい出発をする時に先ずしなければならないことは、過去を振り返り、神の恵みを数え、そこから現在を位置づけ、さらに将来を見据えることです。

・「切り出された岩」アブラハム(イラスト@):
岩のイメージは、石切り場のものと思われます。何でもない、普通の岩山から石が切り出され、建築材料となるという絵を思い描いてください。イスラエル民族の出所は、何の特色も取り柄もない、普通の岩でした。つまり、平凡な一遊牧民でしかなかったのです。神は「アブラハムひとりを(別訳では「ひとりであった時に」)呼び出し、その一方的な恵みによって、子孫を増やしなさいました。「ひとりであった時に」と言うのは強調的です。と言うのは、アブラハムは年を取っても子供が与えられなかったからです。

・「掘り出された穴」サラ(イラストA):
穴のイメージは、粘土を掘り出して陶器を作るところから生まれます。粘土が掘り出された跡の穴を見ると、それは何の変哲も無い只の穴です。アブラハムの妻サラは「掘り出された穴」と表現されています。路傍の泥土のように、何の価値もない存在でした。サラは、不妊であり、そのまま、齢を取って命を終える道を辿っていました。夫アブラハムの信仰に支えられて,千万の民の母となりましたが、侍女であるハガルへの扱い、神の約束を聞いた時の不信仰的な反応などを見ると、特別際立った存在であったとも思えません。そのようなサラにも神は目を留めて、民族の母としてくださったのです。

 
4.現在の恵みを考える
 
 
・殖え拡がったイスラエル民族:
「わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。」アブラハムの子孫は、星の数のように殖え拡がりました。一人であったアブラハム、不妊であったサラを通して子どもを与え、さらにその子孫を星の数ほど増やしてくださいました。

・現在の困難よりも恵みを数える:
勿論、現在の困難を数えればきりがありません。イスラエル民族は捕囚の辛さを経験していました。しかし、それとても、過去の惨めさ、小ささ、乏しさと比べると、何でもありません。私達が過去と現在とを比べると、大きな祝福の事実を発見するのではないでしょうか。

 望みも消え行くまでに、世の嵐に悩む時
 数えてみよ主の恵み、汝が心は安きを得ん

とある通りです。
 
5.輝く将来を見つめる
 
 
・大いなる救いの展望:
「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(3節)子どもの無かったアブラハムとサラを通して子孫を増やしなさった主は、今の不妊状況にあるエルサレムに新しい命を注ぐことが可能です。今まで力強く働き、祝福を与えてくださった主は、そのみ腕を持ってさらに大いなる救いを施してくださるはずです。シオン(エルサレム)は、バビロンの攻撃によって廃墟となりましたが、その荒野はエデンの園のような麗しい場所となり、砂漠のように乾き切った環境も多くの木が茂る「主の園」となるのです。捕らえ移されてしまった神の民は、もう一度エルサレムに戻り、楽しみ、喜び、感謝、歌声に満ちる時が来る、と主は預言されます。

・帰還者の喜び:
「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(11節)と、捕囚から帰還する民が味わう爆発的な喜びが預言されます。人間的な目から見れば、アブラハムが子どもを持つことは不可能でしたが、神は可能としてくださいました。その神の可能力を子孫達も信じるべきなのです。
 
6.インマヌエルの過去と現在と未来
 
 
・ささやかな出発を回顧:
戦争直後、日本全体が希望も気力も失って、廃墟の中で呆然とたたずんでいた頃、主は、一握りの真実な民を起しなさいました。何の資力もなく、伝統も無く、数の力も無く、正に無からの出発でありました。私達は私達の群を考える時、いつでも「切り出された岩と掘り出された穴」を振り返りたいものです。

・現在の祝福への感謝:
そのようなささやかな、そして目立たない出発でありましたが、今日までの成長を許してくださいました。私達の偉さや一生懸命さの故ではありません。ただ、主の恵みの故です。

・将来と希望を信じる:
今、インマヌエルは過渡期にあります。世代交代という言葉では括れないほどの課題があります。創立から立ち上げの頃、一生懸命戦った牧師たち、それを支えた信徒達が高齢化し、このままの推移で進むとすると、停滞ないしは後退が予測されます。しかし、私達は主の大いなる可能性を信じています。特に若い世代の中に主の力強い御霊の働きを感じています。役員研修会が既に5箇所くらいで行われましたが、今までになかった牧師・信徒の協力のスピリットが醸成されつつあります。私は、主が「将来と希望を与える計画」(エレミヤ29:11)をお持ちであることを信じます。
 
7.私達一人一人の過去と現在と未来
 
 
・私達の「岩と穴」:
この朝、個人的に考えたいことがあります。私達の切り出された岩はどんなものだったことでしょう。また、掘り出された穴はどんなものだったことでしょう。救われる前のことを美化したりせず、飾らずに考えて見ましょう。過去に向き合いましょう。そして、絶望的であった自分、醜い罪の塊であった自分をしっかり見つめましょう。そこから恵みへの感謝が始まります。

・今の恵みを数える:
今の自分が与えられている数々の恵みを数えましょう。環境的なこと、魂の恵み、肉体的な恵み、家族・友達の恵み、教会の恵み、一つ一つ数えながら、主に感謝しましょう。

・大きな希望に励まされよう:
色々なお約束の言葉が浮かびますが、全部を包括するような御言を紹介して、今日のメッセージを終わります。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Tコリント2:9)
 
お祈りを致します。