メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年11月2日
 
「『本当の自分』に目覚める」
ジョイフルアワー(特別伝道会)
 
竿代 照夫牧師
 
ルカ15章11−24節
 

 
1.歓迎
 
 
今日は、ジョイフルアワーによくおいでくださいました。ジョイフルという題が付いているのに、余りジョイフルでないお話しで申し訳ないのですが、今日は「放蕩息子物語」を取り上げます。暫く我慢して聞いてください。
 
2.ルカ15章の物語
 
 
このお話しはルカの福音書15章に記されており、「放蕩息子の帰還」というレンブラントの絵でも知られています(絵を参照)。ルカ15:11−24がプログラムに印刷されていますが、私なりの解説を入れながら読んでみたいと思います。

<イエスの下に居るのは、社会から外れた人間ばかりではないかという真面目派ユダヤ人の抗議に対して、イエスが語られたのがこの話です。たとえ話ですが、多分、その当時マスコミで評判になったような出来事を下敷きにしたと考えられます> 11 またこう話された。

「ある人に息子がふたりあった。12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。<ユダヤの習慣では長男が2倍、そのほかは均等にその半分を継ぐことになっていましたから、彼の場合には3分の一を要求したわけです。財産の生前贈与ということで、権利としてはありえますが、それでもねえ。親に向かって早く死ねというものでしょう。こんな家とは永久におさらばだ、という絶交の宣言でもあったのです。>それで父は、身代をふたりに分けてやった。<まあ、心配は心配だったでしょうが、言って聞かせても、聞く息子ではないし、やりたいようにやらせてみたら、という態度だったのでしょうか>

13 <ああ、こんな田舎は退屈で仕方がないと飽き飽きしていた息子は、早々と不動産を現金に変えて>それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。<何という無思慮、何と言うでたらめ、何という肉欲>

14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、<泣きっ面に蜂とはこのこと>彼は食べるにも困り始めた。<今までの友達はどこへ行ったのか>15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。<汚れた動物として豚の肉を食べないユダヤ人には、一番卑しい仕事>16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。<落ちぶれて 袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるる、という歌がありますが、本当ですね>

17 しかし、我に返ったとき<今日のテーマである、本当の自分に帰ったことを示します。つまりそれまでの彼は、自分を見失っていた、あるいは、本当の自分よりもはるかに膨れた自分を考えていたわけです。これは後でもう一度触れます>彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。<あるべき父の家にいて豊かさをエンジョイしているはずの自分と、その日の食べ物にも困って、死にそうな自分とを対比しました。>18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。<私達の罪は二つの面を持っています。一つは、私達を愛し、造り、導いてくださった神の御心に背いた罪、もうひとつは、他の人間に対して不遜な振る舞いによって大きな傷をつけた罪>19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。<父は、毎日息子の帰るのを待ちわびており、小高い丘から、彼の姿を見つけようと暇さえあれば眺めていたのでしょう。そして、その時が来たのです。父の側から走りよって、帰還を容易にしました。>21 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。<息子が、元の身分と居場所を回復した姿が描かれます。>
 
3.我に帰る時
 
 
さて、この物語で、大切な分岐点があります。それは17節の「我に返ったとき」という時です。現代英語訳では、When he came to his senses (正常なセンスに戻った時)、古い英語訳では、When he came to himself (本当の自分に戻った時)となっています。これが原語に近い訳と思います。いずれにせよ、この若者は、正常な感覚を失っていた、本当の自分でないものを自分と思っていた、ということです。それを私は、あえて、「『バブル』の自分」と呼ぶことにします。

先週から今週にかけて、世界経済は大揺れに揺れています。実際に物を作り出し、それを売ったり買ったりする単純な経済の仕組み(実体経済)に基づかないで、将来物を買う権利が売買され、それが「泡(バブル)のように膨れ上がって」気がついてみたら、実体経済よりも何十倍もの価値で取引されるようになっていたということです。それが行き詰まり(バブルが弾けて)それまでの儲けが消えてしまう、というような、いわば、当たり前が当たり前に戻る産みの苦しみのようなものです。
 
4.バブルの自分
 
 
この若者は、本当の自分を見失って、バブルのように膨れ上がった自分を想像し、それによって人生を送っていました。その内容は何であるかと言いますと、

@自分は何でもできる:
お父さんから貰った相続財産を元手に、事業を拡大して何十倍にも財産を殖やせる、自分にはその才覚がある、と考えていました。

A金さえあれば世の中幸福に渡れる:
世の中ともかくお金だ、一にも金、二にも金、三途の川も金次第、と考えていました。金を持っている限り幸福な世渡りが出来る、何でも動かせる、と金の力を信頼しながら生きていました。

B自分は人気がある:
そして、金さえあれば友達は沢山できる、面白おかしく楽しい世渡りが出来ると考えていました。

先ほどの絵で紹介しましたレンブラントですが、彼の若かりし頃は、正に金金金の人生でした。金のために絵を描き、金を使って放蕩し、借金のためにまた工面する、という、正に放蕩息子を地で行くような人生でした。才気に満ち、傲慢で、肉欲的で、プレイボーイそのものでした。そのレンブラントが、その生涯の最後に描いたのが「放蕩息子の帰還」です。
 
5.バブルの崩壊
 
 
しかし、そのバブルは見事に弾けてしまいました。

@自分は何にも出来ないもの:
お金を元手に儲けようと思ったものの、遊びたい誘惑に負けて、毎日放蕩な生活に身をやつしてしまう、何と意志力の弱い自分であるかが、すってんてんになってみて、初めて分かりました。

A他人は意外と冷たいもの:
金の切れ目は縁の切れ目、という諺どおり、無一物になったこの若者を助けてくれる人は誰も居ませんでした。本当に苦境に立ったとき、人間は如何に冷たいか、そして、自分は人気があると思っていたのが如何に幻想であったかを知らされます。

B腹が減ることは如何に人間を惨めにするか:
豚の餌である、固いいなごまめという莢に成っている豆を食べようとトライしましたが、余りの不味さと、固さに閉口してしまいました。寒さとひもじさで膝を抱えながら、腹が減るということは何と惨めで辛い経験なのかを、この若者は嫌というほど経験しました。もう、何も考えられない、死を待つしかない、と真っ暗な気持ちになったのです。

また、レンブラントに戻ります。彼は、息子、ふたりの娘、そして最愛の妻を1635−42年の7年の内に立て続けに失い、大いなる痛みを悲しみを経験します。そんな中でも複雑な女性関係は続き、経済的には自己破産をして、絵画を含む全部の持ち物を競売しなければならなくなりました。それが1658年です。1663年には後妻のヘンドリッケも失い、1669年、孤独と失意の内に彼自身も死にます。その僅か前に完成したこの絵は、彼の虚しい生涯を物語っています。
 
6.「本当の」自分に目覚める
 
 
バブルで膨れ上がった考えを持っていたこの若者のバブルが全く弾けた時、自分の姿が分かってきました。

@自分は無力だ:
大家のお坊ちゃんとして蝶よ花よと育てられた自分が、こんな外国で、腹をすかせて野垂れ死にしようとしている、何と自分は無力な・惨めな存在なのだろう、という新しい自分の発見です。この発見がないと、人間、次のステップに行きません。

A神は愛だ:
そんな自分にも帰るべき故郷がある、それは父の懐だ、自分の居るべき場所はお父さんの家なんだという、当たり前のことの認識です。「君は愛されるために生まれた」という歌がありますね。私達はみな、愛されるために生まれたのです。神は私達一人一人を愛していてくださる。その愛の中にこそ私達は憩い、平安を得るのです。迷子になった子どもが、お母さんの許に帰るまでは安心はありませんし、泣き止むこともないのと同じです。

B自分は罪人だ:
自分の惨めさは、その懐から離れた故だ、という認識が、それに続きます。私は天に対して(神に対して)また、父に対して(親や家族に対して)罪を犯したのだ、それが今の惨めさの最大の理由だという筋道に目覚めました。

昨週、私の家庭で「感謝の鈴生り」という証の本を出しました。その中で私達の信仰のルーツの一人である伯父と伯母の証が載っております。伯父は岩井恭三という名前です。恭三は、明治初期に岡山の片田舎でクリスチャンとなった両親の許、幼いときから教会に通い、弟妹の面倒を見、勉学にも励む、いわゆる「よい子」でした。幼年学校、陸軍士官学校を経て、20歳で陸軍少尉となり、出世コースを歩んでいました。しかし、彼の内面は、神から遠く離れていました。科学への信仰が、単純な聖書への信仰に勝るようになり、あちこち教会には行くけれども、それは牧師をやっつけるためであり、「信仰ルンペン」となったと自分で告白しています。陸軍科学学校に入った後も、理屈を言っては人をへこませ、自分はルーズな生活を送り、享楽を主とした学生生活を続けました。当時、結婚は軍の許可が必要でしたが、許可も届けもせず、春見という女性と同棲生活を始めました。その間、両親は彼のために涙の祈りを捧げていました。その時古い友人によって強引に柘植不知人という牧師の教会に連れて行かれました。神が彼を愛していることが本当に分かった時に、彼の心の殻が破られ、それまでの様々な罪を悔い改めて、全く肩の荷を下ろして新しい人生の出発をしました。同棲していた春見ともきっぱりと別れる決心をしました。

その春見という女性の話も、興味深いものです。彼女は、小学校5年で母を亡くしました。継母は優しい人でしたが、春見一人が反抗的でひねくれた少女時代を送りました。女学校ではハイカラとして知られ、級長にもなりましたが、プライドが高く、愛されない心の持ち主だった春見は、すべてに不満で鬱屈した人生を送っていました。女医になろうと思って上京するのですが、病気になり、失明の恐れさえ出てきました。クリスチャンの上級生に誘われて教会にも行きましたが、反発する心が強く、とても信仰を持とうと思わなかったのです。関東大震災もあって食料不足となり食料品店が閉店するなど異常な社会情勢となりました。確かだったはずの自身も崩れ、異性への愛に救いを求めて恭三と出会い、同棲するのです。ところがその恭三がある夜こう告げたのです。「私は今晩、神と牧師の前に自分の今日までの長い年月の罪を一切告白し悔い改めた。」そして電気を消した暗やみの中で涙と共に、「今後は聖い正しい道に立ち直る」と大声で祈りました。春見は仰天しました。「また捨てられる」との思いで夜も眠れませんでした。次の夕方、神は愛なりなんてよそ事だ、私は信仰には入れない、だから死ぬより他に道はないと思ったとき、讃美歌が聞こえてきました。「一人の死をも望まぬ主は今尚偲び手罪人を待てば・・・」その時彼女は祈りました。「ああ主よ、お助けください私を。今夜こそ、長い傲慢な心から、打ち下された心の姿にして頂いて、信じられぬ心を信じる心にしていただいて、罪の告白をしましょう。」と。牧師の前で悔い改め、信仰に入りました。

この二人は、お詫びの姿勢を表すために、暫く別れ、後に正式に結婚するようになりました。恭三は、クリスチャン軍人として終戦まで証を立て、終戦後は伝道者となって徳島・脇町で開拓伝道をして、素晴らしい教会を建設します。私が言いたいことは唯一つ、神なしに生きている自分は如何に虚しく、如何に惨めであるかを、何かのきっかけで悟ることがどうしても大切である、という点です。
 
7.回復に向かって
 
 
若者は、そう決心した時、故郷に向かって一歩を踏み出しました。その歩みはのろいもので、ふらつく足取りであったと思いますが、しかし、迷うことなく、父の家へと踏み出しました。実は、踏み出すだけで充分だったのです。というのは、彼が未だ家から遠くはなれた地点を歩いている時、お父さんは、彼を遠くから認め、駆け寄って迎えてくれたからです。その後のストーリーは話すまでもありません。そこに楽しさと、平安と、満足の生涯がありました。

再びレンブラントの絵に戻りますが、このぼろぼろの着物を纏い、破れた靴を履いていながら、しかし、温かいお父さんの両手に抱かれて憩っている若者の姿は、人間が帰るべきところに帰った安心の姿を示していないでしょうか。
 
8.おわりに
 
 
今日、皆さんのうち、本当の自分に目覚めたひと、目覚めつつある人はいませんか。父なる神の懐に一歩を踏み出そうではありませんか。あなたが、一歩を踏み出すとき、父なる神は二歩も三歩も近づいて、迎えてくださいます。祈りましょう。