礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2008年11月30日
 
「沈黙の中の恵み」
待降節講壇(1)
 
竿代 照夫牧師
 
ルカの福音書1章5−23節
 
 
[中心聖句]
 
  22   ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。
(ルカ1章22節)

 
聖書テキスト
 
 
5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。22 やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
 
始めに
 
 
アドベント第一の礼拝です。アドベントとは、クリスマスに向けて、主を待ち望む心をもって過ごす期間のことです。メシアを待ち望むという点ではだれにも引けを取らない人物、それはザカリヤです。今日は、主イエスの先駆者であるバプテスマのヨハネのお父さんであるザカリヤの視点に立って、やがて生まれるべきメシアを見たいと思います。
 
A.ザカリヤの時代と人
 
1.時代:ヘロデ王の治世
 
 
・イスラエルが捕囚から釈放されたのは、ペルシャ帝国が世界を治めていたころでした(BC6世紀)。

・その後アレキサンダー大王の下、ギリシャが世界を制覇し(BC4世紀)、それを引き継いだエジプト、シリアによってパレスチナは支配され続けます。

・シリアの支配の時、マカバイオス家の活躍で一時的に独立します(BC2世紀半ば)がこれも長続きせず、

・BC1世紀の始め頃から台頭したローマ軍がパレスチナを占領して植民地とします(BC63年)。

・マカバイオス家と姻戚関係を結んでパレスチナで勢力を持ったヘロデ大王がローマによってユダヤ王と任命されたのがBC40年です。彼はエドム人であったため反対に遭って、実際に支配を始めたのはBC37年でした。ローマの支配に勝って、残忍なヘロデ大王の支配もユダヤ人にとっては過酷なものでした。彼の治世はBC4年まで続きます。
 
2.メシア待望
 
 
そんな抑圧の時代は、民衆の間に強いメシア待望を生み出します。他に何の希望もないそんな暗い時代だからこそ、今メシアが来て欲しいという期待感がと高まっていました。メシアの来臨を祈る特別な祈りのグループがエルサレムの神殿内に生まれ、アンナとかシメオンという人々は自分の目の黒い内にメシアが現れるという御告げ迄受けていました。ザカリヤがそれを知らないはずはありません。彼もメシア待望祈祷会の忠実なメンバーであったことは想像に難くありません。
 
2.ザカリヤ
 
 
・ザカリヤとは「主の記念」、エリサベツは「私の神の休息」という意味です。

・祭司の家庭に生まれ、祭司となり、平凡な人生でしたがその奉仕を無事勤め上げて、定年が近い頃のできごとです。

・ザカリヤとエリサベツは、「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。」とありますように、暗黒の時代にあって夫婦仲良く、敬虔な生活を送っていました。多くの祭司が住まいとしているエリコではなく、ユダの山地の小さな町を住まいとしていました。

・しかし、問題がひとつありました。「エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。」子供がなかったら、彼らの家系は終わってしまいます。子供が与えられるようにと家庭礼拝のたびに祈っていましたが、それも半ば諦めの祈りとなっていました。
 
B.ヨハネ誕生の告知
 
1.神殿における勤め
 
 
・ザカリヤは、祭司です。当時イスラエルには二万人近い祭司がいたといわれています。その祭司は24組に分かれていて、交替で一年に2週間神殿の奉仕をします。

・そして、その組の中でくじ引きに当たった人が聖所での奉仕をすることになっていました。8節で「祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。」というのは、それを物語っています。二万人近い祭司から当番に当たるのは、新しい裁判官制度で裁判員に選ばれると同じ位稀なことでした。しかも、くじが当たると、二度と籤を引いてはならないという決まりがありましたから、この勤めは、ザカリヤにとって最初で最後でありました。

・ザカリヤは、この生涯で記念すべき晴れ舞台の朝、身を清め、恐れと戦きをもって主に仕えるそなえをしました。異なる香を捧げて死を招いたナダブとアビフの例もあったからです。

 
2.ガブリエルのみ告げ
 
 
神殿で香を焚き、順序どおりの礼拝を捧げていたザカリヤに、天使ガブリエルが現れます。そして、ザカリヤの祈りが聞き入れられた、と告げました(13節)。そのメッセージは3点です。

・ザカリヤとエリサベツに子供が生まれること
・その子供はヨハネ(=神は恵み深い)と名づけられるべきこと
・彼はメシアの先駆者たるべきこと

でした。
 
3.不信仰の言葉
 
 
・ザカリヤは、彼と妻エリサベツが祈り続けていたことがこんな風に答えられたことを知らされましたが、いざ、本当にそのことが起きると告げられて、ザカリヤは動転してしまいます。主の恵みを単純に捉える代わりに、一歩引いたような言葉が出てきてしまいました。こんな年寄りにどうして子供ができようか、妻のエリサベツも年を取っているのに、と。冷静に考えてみれば、アブラハムの例もあり、イサクの例もあり、決してありえないことではないのに、つい疑いの言葉が先に出てしまったのです。

・ガブリエルは、「その時が来れば実現する」神の言葉を信じなかったことのゆえに、「ものが言えず、話せなく」なりました(20節)。聖所から出てきたザカリヤを待ち構えていた祈りのグループは、麻生総理に質問を浴びせるテレビ記者のように、ザカリヤに山のような質問を浴びせるのですが、ザカリヤは手まねで説明しようとするだけで、何も話せません。ザカリヤは、勤めの期間を終えると、妻のエリサベツが待っている自宅に帰りました。一週間ぶりに帰ってきたザカリヤを迎えたエリサベツは、すっかり変わった夫をどう扱うか戸惑いを覚えつつ、しかし、温かく迎えました。
 
C.沈黙の中の恵み
 
 
さて、この9ヶ月の沈黙期間、ザカリヤは辛かったことでしょう。今まで何不自由なくしゃべれたのに、今は何をするにも身振り手振りしかできないのです。何もしゃべれない間、何を考え、何をしたのでしょうか。聖書にそのことを示す直接の記述はありませんが、それを示すヒントは沢山あります。それに基づいて、彼の心を推測したいと思います。
 
1.妻とのコミュニケーション
 
 
何もしゃべることはできませんでしたが、エリサベツとは、以前にも増してよいコミュニケーションを持ったのではないでしょうか。黒板のような「書き板」を使って、ガブリエルのみ告げを事細かに説明したのです。そうでなければ、エリサベツが妊娠し、その子供がメシアの先駆者であることを理解できなかったでしょう。さらに、この部分を講解しておられる西田先生が「かれらは、旧約聖書をともに読むことによって信仰を励まし続けたのかもしれません。」と説明しています。西田先生がたの家庭礼拝の様子がそのまま出ているような講解で、ほのぼのとした気持ちになります。
 
2.反省と悔い改め
 
 
語ることが出来なかったこの期間、当然ながら、ザカリヤは自分がなぜ口が利けなくなったかを、繰り返し反省したことでしょう。余りに素晴らしい祈りの答えに、信じる心よりも、ウッソーといってしまったのです。それに引き換え、親戚であるマリヤは、処女であるのに子を宿すという信じられないみ告げを素直に受け入れました。そのマリヤが妊娠6ヶ月の妻エリサベツを訪れ、二人で神の恵みを喜び合っているのです。蚊帳の外に置かれたザカリヤは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(45節)というエリサベツの言葉の裏を読んで、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきれない人は、何と災いなことでしょう。」と悔やんでいたことと思います。
 
3.恵みの思い巡らし
 
 
・メシアの約束を学ぶ:
この沈黙の期間は、マイナスの思い巡らしばかりではありませんでした。祈り待ち望んでいたメシアがとうとう来られるのだ、それは、旧約聖書で脈々と受け継がれてきた、一連の預言が遂に成就する瞬間なのだという大きな喜びへと彼を導いたのです。旧約聖書から、メシア預言を学び続けました。

・神の救いの大きさを学ぶ:
ヨハネ誕生の時に歌った彼の賛歌のテーマは、神の救いでした。それは、彼が口がきけない間中思い巡らしていたことだったのです。ザカリヤは、その子供ヨハネが神の大いなる救いの管として用いられること、その後に来るキリストを通して神の救いの到来する事を御言から学びました。その救いの内容は@敵からの救い:イスラエル民族は、隷属状態から解放され、全人類はサタンによる罪の力への隷属状態から解放される;A恐れからの救い:様々な恐れの中でも最大である死の恐れから、十字架によってみな解放される;B豊かな人生への救い:きよい心と正しい行い、喜びから来る奉仕、それらを可能とする力を与えて下さる。しかもそれは、私達の全生涯を通じてである。なんと豊かな救いを主は与えようとしておられることか、ザカリヤの心は高鳴りました。

・神の恵みと真実を学ぶ:
今日特に目を留めたいのは、そのような素晴らしい出来事の背後に、神の真実さが顕れているという点です。ザカリヤは言います。「主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」(72−75節)と。神は約束を破る方ではありません。どんなに不可能と思われても、それを成し遂げる力と、誠実さをともっておられるお方です。

数年前天に召された松木裕三先生がこの部分を解説して「祝福としての沈黙」というタイトルでこう語っておられます、「このセミナーでは、詩篇62:1が全体のテーマでした。声を出さず、ただ黙って詩篇62:1を思い巡らすのです。はじめのうちは、沈黙しますと、いろいろな思いが湧き、とても心が騒ぎました。遠くで犬が吠えていると、いつまで吠えているのかな、この集会が終わったら何をしようかなどと思いました。心の中が騒がしくて、3分もじっとしておられず、30分の沈黙など、無理だと感じていました。・・・起きてから朝食が終わるまで、みんな黙って過ごしましょうという課題がセミナーの指導者から与えられました。朝食を黙って食べ、聖書の言葉が読まれ、沈黙の時間を過ごすのです。とても不思議な経験でした。沈黙の中で、神様はどのようなお方であるかということが、少しわかりかけた感じがしました。」と。本当に教えられます。
 
4.恵みの爆発
 
 
・ザカリヤの舌がほどける:
10ヶ月後、男の子が誕生し、その子を「ヨハネ」と名付けました。その途端に、ザカリヤの舌が開かれました。

・神への賛歌がほとばしる:
今まで暖めてきた不信仰への反省と神の恵への感謝が爆発したのが彼の賛歌なのです。
 
おわりに:
 
 
クリスマスは忙しい月です。会計の締めくくり、クリスマスの諸行事や忘年会、お歳暮やクリスマス・プレゼントなどなど、しなければならないことが目白押しでしょう。しかし、この期間、ザカリヤに倣って、主の前に沈黙し、沈黙が齎す恵みを噛み締めましょう。私達は悩みにぶつかるとき、信仰の友に打ち明けて、その悩みを分かっていただこうとします。それも大切です。しかし、それ以上に大切なのは、黙って神の前に静まり、神様との交わりを深めることではないでしょうか。
 
お祈りを致します。