礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2009年6月7日
 
「最初の日から今日まで」
ピリピ書連講(1)
 
竿代 照夫牧師
 
ピリピ1章1-6節、使徒16章9-15節
 
 
[中心聖句]
 
  5   あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。
(ピリピ1章5節)

 
聖書テキスト
 
 
【ピリピ人への手紙1章】
1 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、5 あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
【使徒の働き16章】
9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。
 
はじめに:ピリピ書の魅力
 
 
今日から数ヶ月間、新約聖書の中の真珠のようなピリピ書を取り上げることにしました。福音の喜びが各節に満ちていて、読んでいて楽しくなる手紙です。手紙によっては、心重くなるものもあります。その理由は、この手紙の受け取り手であるピリピ教会が福音の喜びに満ちた教会だったからです。私達もそんな教会にあやかりたいという思いで、この書を取り上げました。
 
A.ピリピ書について
 
 
ピリピ書の執筆背景と内容については、皆さんに配りました「しおり」に記しましたので、ここでは要点のみに致します。

※「しおり」(PDF版) はこちらをクリックして下さい。

 
1.著者:パウロ(とテモテ)
 
 
著者は、「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテ」と1節に記されている通り、1世紀の偉大な宣教師であるパウロと、その弟子のテモテです。尤も、この手紙においてテモテは助言者以上の役割を果たしていないようですが・・・。
 
2.宛先:ピリピ教会
 
 
宛先は、「ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たち」です。ピリピについて説明をします(地図参照)。

ピリピとは、

・マケドニヤの中心:
ギリシャの北方マケドニヤ地方(州)の第一の都市です。泉が多くあること、交通の要衝であること、金鉱に近いことから都市として発展していました。有名なアレクサンダー大王のお父さんフィリポス(馬を愛する男)に因んでフィリポイと町名が変えられました。

・ローマの殖民都市:
ユリウス・カエサルが暗殺された後に行われたブルータスとカシアスの戦闘は、このフィリポイで行われました。それ以後フィリポイはローマの植民都市として自治権と免税特権を与えられ、益々繁栄していきました。
 
3.執筆の事情(「しおり」の年代表参照)
 
 
・ピリピ教会開拓(AD50年):
パウロは、その第二次伝道旅行の途次、ここで開拓伝道を行い、核となる人々を救いに導き、教会の基礎を据えました。この物語は、後にお話しします。

・パウロのローマ幽囚(60年ごろ):
教会開設後約10年が経過し、パウロはローマに囚人として滞在することとなりました。それを聞きつけたピリピ教会が慰問品を送ることし、それをピリピ教会員であるエパフロデトに委ねました。

・エパフロデトの病気と回復:
エパフロデトは慰問品を届けただけでなく、囚われの身でありながら伝道しているパウロを手伝い、働き過ぎて病に掛かりました。それがピリピ教会にも伝わり、心配の種となりました。しかし、主の憐れみによって病が癒されたので、彼らの祈りと関心への感謝を表わすために、この手紙が書かれたというわけです。
 
B.福音が広がった「最初」
 
1.パウロの喜びであったピリピ教会
 
 
・ピリピ、それはスウィートネーム:
ピリピ教会は、パウロが開拓した教会の内、一番順調なスタートをし、順調に成長した教会のひとつです。ですから、正しい道筋から外れそうになっていたガラテヤ教会やコリント教会への手紙が、重苦しい雰囲気から始まっているのに比べて、ピリピ書は、最初から最後まで感謝と喜びのトーンで満ちています。パウロは、ピリピ教会を思いだすごとに感謝をし、祈るたびに喜び満たされました(3-4節)。私達の存在は、指導的な人々にどう映っているでしょうか。〇〇さん、と聞くだけで伝道者の喜びとなる人もいますし、XXさん、と聞くだけできっと何か問題を持ってきたな、と憂いを感じさせる人もいます。前者でありたいものですね。

・福音伝道への加担の故:
さて、その感謝の理由は、ピリピ教会が、その誕生から現在まで、パウロの福音伝達の働きに心を籠めて加担してきたからです(5節)。この「あずかった」とはコイノニア(交わり)で、単なる社交的な交わりではなく、重荷を一緒に担ぐという意味での分担です。どのように分担してきたか、使徒16章の歴史を概観しましょう。
 
2.ピリピ伝道の開始
 
 
・パウロ、ヨーロッパ伝道を開始:
第一次伝道旅行でパウロは小アジアに幾つかの教会を建設しました。第二次伝道旅行ではその諸教会を安問し、さらに小アジアの北に進もうとしましたが、聖霊に禁じられ、西へ西へと進むうちに小アジアの西端のトロアスまで来てしまいました。そこで、「マケドニヤに来て私達を助けて!」という夢を見ます。それを「マケドニヤを含むヨーロッパへの福音の招き」と受け止めたパウロ一行は、海峡を渡り、アンピポリスに着き、そこからピリピに向かうのです。これは、最初のヨーロッパ伝道であり、その後のキリスト教歴史の方向性を決めるほどの重大な出発でした。

・ピリピでの伝道戦略:
それまでパウロは、新しい町に着くとユダヤ人会堂に入って、その安息日礼拝を利用して福音を伝えるのを戦略にしていましたが、ピリピではそれが出来ません。ユダヤ人の人口が10家族以下という僅かなものでしたので、会堂がなかったのです。[どうして、10家族なのかお分かりですか?一家族が忠実に十分の一の献金を会堂に献げると、会堂管理の一家族の収入を支えることが出来たからです。今日、10家族以上が集まっている教会で、牧師の生活を支えられないとすれば、どこかがおかしいと思いませんか?これは本題とは関わりありませんが、実際的には大切なことです。]さて、会堂が無い町のユダヤ人は、川のほとりで安息日毎に祈り会をすることが習慣になっていました。この習慣を知っていたパウロは、最初の安息日の朝、川の傍に言って見ました。案の定、祈りを捧げている婦人たちを見つけて、それに加わりました。
 
3.教会の「初穂」、ルデヤ
 
 
・川岸の祈祷会での説教:
祈祷会に加わったパウロは、ユダヤ教のラビの服装をしていましたから、当然目立ちました。早速、聖書のメッセージをと頼まれました。待ってましたといわんばかりにパウロは口を開き、聖書の希望は、来るべきメシアにあること、そのメシアは既においでくださり、十字架による身代わりの救いを成し遂げ、甦っていける救い主として聖霊によって信じるものの心に住んでおられることを諄々と語りました。

・神を恐れるルデヤ:
この福音に対して真剣に耳を傾けていたのが、ルデヤというアジア人女性でした。ルデヤは、小アジアの西側、エペソとトロアスの中間にあるテアテラ市に本社を持つ紫布販売会社の社長でした。紫布というのは、特殊な貝殻をすりつぶして作った染料を用いる当時の最高級生地であって、今日で言えば、タイシルクのようなブランド物でした。トップセールスウーマンとして、買い付けや販売のために各地を歩いていたのでしょう。この女社長は、商売に長けていただけではなく、「神を敬う」女性でした。金持ちは多くの場合無神論に走り易いのですが、ルデヤは違いました。真剣に眞の神を求め、そのために、ユダヤ教にも関心をもって、彼らの礼拝に加わっていました。バプテスマを受けてユダヤ教に帰依するところまでは行かないが、いわば求道者として忠実に礼拝に参加していたのです。

・心開かれたルデヤ:
そのルデヤの心が「主によって開かれ」たのです。パウロが語っていたとき、この人の語ることには真理があると確信を持ったのです。彼女の心にパウロの語る一言々々が吸い取り紙に吸い取られるインクのようにしっかりと入り込んでいきました。彼女の主を求める求道心と、聖霊のお働きがマッチしたのです。彼女はその場で主を信じ、家に戻った後で、家族にも福音を伝え、みんなでバプテスマを受けました。私は、この14節が好きです。「主が心を開いて」なのです。人々が信じるのは、無理な説得や脅しや折伏によるのではありません。聖霊が静かに魂の中に働き、その人が心を開いて進んで主を救い主として受け入れる、これが本当の伝道です。伝道者は真剣に御言を伝えます。魂のために祈ります。しかし、人の心の扉をこじ開けて信じさせるのは、正しい道ではないと私は(御言と共に)信じています。

・ルデヤの協力申し出:
バプテスマを受けたルデヤは、パウロ達の宿泊所がどこかを尋ねます。パウロの一行が安宿に泊まっていたことを発見したルデヤは、パウロ達に自分の家を宿として提供しました。パウロは遠慮しました。ご婦人の家に男たちがごろごろ居候するのは評判が悪いと思ったのでしょうか。でもルデヤは強いて彼らを泊まらせました。旧約時代にも、預言者エリシャのために宿を提供したシュネムの女性がいたことを思い出しますね。いずれにせよ、ピリピ伝道の成功は、このルデヤの回心と協力によったのです。彼女は一時的な宿を提供しただけではなく、パウロがその後牢屋に入れられていた間も、誕生したばかりの教会の集会所として自宅を使い続けました(使徒16:40)。福音を広めることに与ったのは、受洗者第一号のルデヤが最初でした。パウロが、福音を広めた初めの頃協力してくれた、と4節で語っているのは、ルデヤの事を念頭においていたと私は考えます。私達が仙台で開拓的な働きをしていたとき、主は「ルデヤ」を起してくださいました。医者の奥さんでAさんとおっしゃいます。車の屋根につけたスピーカーの案内を通して伝道会に来られ、数回出席した後で主を受け入れました。心の傷を持っておられ、そこからの平安を求めておられたのです。そしてAさんは教会の柱となられました。神様は色々なところに「ルデヤ」を備えておられます。
 
4.女占い師と牢屋の看守の救い
 
 
続いて起きたのが女占い師と牢屋の看守の救いです。詳細は省略しますが、二人のケースとも、はっきりと主を信じ告白し、その生涯が変換したことが特色です。
 
C.「今日まで」の共労
 
その後の進展についてはパウロ書簡などで断片的に知るだけですが、それを纏めると、次のポイントに纏められます。
 
1.福音のための共労
 
 
こうして誕生したピリピの教会でした。不法な迫害を加えたローマ長官は、平和的にお引取りをとパウロに懇請しましたので、パウロは次の町に行ってしまいます。しかし、それでキリスト教に対する迫害が止んだ訳ではなく、反対は色々な形で続きました。しかし、彼らは心を一つにして、迫害にもめげず福音を伝えました(1:27-29)。ピリピの教会が伝道的であったのは、その基礎となった人々が、明確な回心経験をしたからだったのです。
 
2.宣教の応援
 
 
ピリピの教会の特色は、自己充足的ではなく、いつでも自分たちの外にいる人々へ関心を持ち続け、助けを必要としている教会や伝道者への援助を惜しみませんでした。

・パウロを継続支援:
ピリピを離れたパウロ達に応援物資を送り続けたのはピリピ教会だけでした。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。」(4:15-16)。

・エルサレム飢餓救済募金:
さらに、エルサレム飢餓救済のために、力を超えて援助をしたのもピリピ教会でした。「さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」(Uコリント8:1-5)

・幽囚のパウロ慰問:
そして、今回の慰問物資です(4:18)。

彼らは、祈りにおいて、物資の支援において、人材を遣わすことにおいて、宣教師であるパウロと苦楽を共にしました。

このように私達も、宣教師を助け、飢餓やその他の戦いにある世界の友のために惜しみなく捧げる教会でありたいと思います。
 
終わりに:私達の教会への挑戦
 
 
ピリピの教会の初穂となったルデヤから教えられることを学びましょう。

・聖霊の働きかけに素直に反応しよう:
ルデヤは、「主が心を開く」働きかけをしたときに素直に反応し、キリストを救い主として受け入れました。私達の魂にも、聖霊は色々な方法で、色々な分野で語りかけておられます。それに応じる魂の柔らかさを保ち、応答しましょう。

・福音を伝える働きに加わろう:
ルデヤは、自宅の提供という形で福音を広めることに加担しました。それによって、益々福音の有難さが分かります。小さな証をさせていただきます。私が小学3年生の頃でしたか、我が家は増築を致しました。西洋風の洒落た洋間と二階の部屋です。母は、昔からの願望である教会学校を始めたいと言い出しました。父は、新築間もない部屋に近所のいたずら小僧たちがどやどややってくるのに反対でした。どういう話し合いになったかは分かりませんが、間もなく教会学校が開校し、月ごとの家庭集会も始まりました。それ以来63年経ちますが、教会学校と家庭集会は兄によって引き継がれ、今でも続いています。その間に、数多くの子供たちが、また大人たちが主に導かれました。それ以上に、家庭を開いたものたちに多くの祝福が与えられました。形は色々でしょうが、「最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来た」と言われるような私達でありたいと思います。祈りましょう。