メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2009年7月12日
 
「CHANGE,but…」
ジョイフルアワー
 
竿代 照夫牧師
 
マタイ24章35節,7章24-27節
 
 
[中心聖句]
 
  35   この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
(マタイ24章35節)

 
「CHANGE, but・・・」
 
 
―――変わるもの、変えねばならぬものの只中で、
変わらないもの、変えてならないもの、とは?―――
 
(聖書 マタイ福音書)
 
 
24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
 
7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。 26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。
 
1.「チェンジ」の年
 
 
CHANGE(変革)!

バラック・オバマ氏(※)が「チェンジ」(変革)を旗印にアメリカ大統領に就任してから半年が経ちました。変革を希望した人々も、なかなかその変革が進まない現状を見て、反対に失望感が広がりはしないかと心配です。東京都議選が今日行われており、総選挙が近々行われます。どんなチェンジがなされるのか、なされないのか、国民すべてが固唾を呑んで状勢を見つめています。

※:http://www.whitehouse.gov/administration/president_obama/

何を変えるべきなのか、変えるべきでないのか、私達にとっては冷静さが求められています。

20世紀の代表的な神学者・政治学者であるラインホルド・ニーバーの祈りは有名です。

 神よ、
 変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、
 それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、
 変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。

恐ろしく物事が変わり行く中で、変えるべきものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、識別する知恵を求めます。
 
2.めまぐるしい変化の時代
 
 
今は、変化がめまぐるしい時代といえます。その典型が携帯の様変わりです。一般的になったのは、高々20年前ですが、あっと思う間に広がって行きました。その機能についても、私は、電話を無線でするだけと思っていましたら、カメラ機能が入り、パソコン的な使い方が出来、テレビも映る、銀行決裁もできる、これには私達の世代は着いていけません。テレビの世界も、再来年からはチデジになるそうで、私はジと聞くだけで、どんな痔なのかと想像してゾッとするのですが、何のことかさっぱり分からない人も多いのではないでしょうか。昔は10年で変わっていた生活形態が、今は2,3年でガラッと変わるのです。私達にとっては変化というものが恐怖です。
 
3.変わらないものを求める
 
 
変わらないものを持つことのそんな風に、どんどん何もかもが変わっていく世界の中にあって、変わらないものを求めるという傾向が人間にはありますね。この間、中学の同窓会がありました。集合場所は学校がかつて存在したところですが、学校は引越ししており、何もかも変わっていました。大体、そこに着くのにモノレールに乗ったまでは良かったのですが、反対方向に乗ってしまい、遅刻しました。でも変わらないものもありました。学校の傍の神社でした。サッカーの練習の前に、その階段を上り下りしたことを、ふっと思い出したことです。その空間は私にホッとする気持ちを与えました。

確かに、これからも、社会生活もテクノロジーも、或いは政治形態も、どんどん変わっていくでしょう。また、変わらなければならないもの、変えなければならないものも沢山あります。それらを認めつつも、それらの只中にあって、変わらない人生目標とか拠り所を持っていることは、物凄く大切なことです。私達は何処に、その変わらないものを見つけることが出来るでしょうか。
 
4.大地も変わる
 
 
主イエスは、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と言われました。普通、大地というのは変わらないものの象徴です。人は変わり、街が変わっても、山は変わりません。盛岡駅には、岩手山の方向に面して「ふるさとの山に向ひて/ 言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな/」という石川啄木の句碑があります。しかし、その山でも変わり、丘も動くことがあるのです。

私達が18年生活しておりました東アフリカは、「大地溝帯」(地球の裂け目、リフトバレー)と呼ばれています。それは、アフリカ大陸を南北に縦断する巨大渓谷で幅35 - 100 km、総延長は7,000 kmにのぼります。地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にあります。この大地溝帯は、マントルの上昇流がこの辺りにあって、それが周囲の地殻を押し上げ、さらに地殻に当ったマントル上昇流が東西に流れることで、アフリカ大陸東部を東西に分離する力につながっていると考えられています。今のままで行けば、数十万〜数百万年後に大地溝帯でアフリカ大陸は分裂して東アフリカは大きな島になると予想されています。一年間に約1cmというゆっくりペースですが、それでも確実に割れています。

数百万年後を待つまでも無く、大地は滅びさって、新しい世界が出現するのだと主イエスは預言しておられます。変わらないと思われる天地でさえも滅びるとすれば、他のものが変わってもびっくりすることはありません。この会社はつぶれないと思われる自動車会社もつぶれることはありえます。この銀行は大丈夫と思って虎の子を預けていたとしても、その銀行がつぶれることさえありえます。
 
5.変わらない神の言葉、神の愛
 
 
主イエスは、何もかも変わる世にあって、変わらないのは、神の言葉だと語られました。神は永遠に変わりません。その言葉も変わりません。ですから、私達の生きる指針を神の言葉に置くと、人生は磐石です。イザヤ54:10にこう記されています、「『たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。』とあなたをあわれむ主は仰せられる。」

すべてが変わる世の中、人生にあって、変わらないもの、動かないものがあると神は言われます。「神の愛」、「平和を与えるという神の約束」です。幼子に母親の愛の目がいつも注がれているように、神の愛の目が私達に注がれていること、これが私達の安全と幸せです。このお方に私達の信頼を置く時に、その人生はしっかりとした土台の上に立てられることになります。私は、その告白を50年以上前にさせていただきました。それ以来色々なところを通りましたが、神の変わらない愛と救いの力に守られています。
 
6.岩の上の家(絵図参照)
 
 
そのことを譬えたのが、岩の上に立てた家と、砂の上に立てた家との比較です。これは、主イエスが有名な山上の垂訓という有名な講話の締めくくりとして語られた譬え話です。岩の上に立てた家は、それを建てたAさんの目に見えない苦労が含まれていました。家を誉める時、土台を誉める人はいません。落語に「家誉め」というのがありますね。与太郎が父親から叔父さんの新築祝いの誉め方を教わってそのままたどたどしく読み上げる、というこっけいな噺です。「結構な普請でございますな。天井は薩摩のウズラ木目、左右の壁は砂ずりで、畳は備後の五分縁でございます」

【岩の上に立てた家と、砂の上に立てた家】

この譬え話のAさんは、誰も誉めない土台をしっかりと岩の上に据えたのです。もう一人のBさんは、簡単に行こうと、砂の上に、しかも土台を構築しないでいきなり上ものを乗っけたのです。結果は明らかです。台風が襲って来、洪水が押し寄せましたが、岩の上の家は大丈夫でした。しかし、砂の上の家は、もろくも崩れ去りました。これを語られた主イエスの意図は明らかに示されています。神の言葉を聴くだけでなく、それを信じ受け入れ、その言葉を土台とした人生を築くものは、色々な人生の試練にあっても崩れない、ということなのです。

【台風が襲い、洪水が押し寄せると・・・】

私の父は、砂の上に立てられた家のような人生を送っていました。霞ヶ浦湖畔で4百年続く豪農の息子として生まれ、三菱商事に就職し、中国に留学生として派遣されるまでは順風万帆でしたが、ある時から、風が吹き、大雨が降り、洪水に見舞われました。ある事情で家が破産し、自分は結核で不治の病に倒れたのです。まさに彼の人生も、家も何もかも崩れそうになりました。真っ暗闇に突き落とされ、自殺しか考えられないその時、クリスチャンである叔母から嘗て送られてきた聖書を思い出しました。その扉に、「読んでください、信じてください、実行してください」と書き込まれていました。中国で遊学生であったときは見向きもしなかった彼はその聖書を開いてみました。そこにあった言葉は、「すべて労するもの、重荷を負うもの我に来たれ、我汝らを休ません。」という一節が心を捉えました。教会を訪ね、キリストを信じて救われました。人生と家庭とビジネスを聖書を土台として立て直しました。今はもう天国に行っておりますが、その信仰を私達に残してくれました。4月のある日、その父を記念して70名近くの親戚が集まり、神を称えました。ビジネスマンにしては殆ど財産を残しませんでしたが、信仰の遺産をしっかりと残してくれました。感謝をしています。
 
おわりに
 
 
皆さんの人生は岩の上に立てられていますか。それとも砂の上ですか。砂上の楼閣という言葉もあるくらい、砂の上は危険ですね。耐震強度ゼロです。神の言葉に指針を置く人生に切り替えませんか。
 
お祈りを致します。