礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2009年8月23日
 
「テモテのりっぱな働きぶり」
ピリピ書連講(12)
 
竿代 照夫 牧師
 
ピリピへの手紙2章19-24節
 
 
[中心聖句]
 
  22   しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。
(ピリピ2章22節)

 
聖書テキスト
 
 
19 しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。21 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。22 しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。 23 ですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼を遣わしたいと望んでいます。24 しかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています。
 
はじめに
 
 
「自分の救いの達成に努めなさい」という12節の勧めを中心に、それを達成するための姿勢について、この3回ほど、少しゆっくり過ぎるほど学んできました。パウロはそれを締めくくり、この手紙の運び人であり、パウロの右腕であるテモテを推薦します。

今日のテキストに入る前に、テモテとは一体誰か、どんな働きをしてきたのかをなぞり、それから、この文節に入ります。
 
A.テモテについて
 
 
テモテは、パウロの同労者の中で一番信頼され、忠実で、後継者に相応しい人物でありました。
 
1.生まれと育ち
 
 
・ルステラの住人:
小アジアのルステラで生まれ、育ちました。

・祖母ユニケと母ロイスの信仰継承:
祖母も母もユダヤ人でしたが、父はギリシャ人でした。父の影は薄く、祖母と母の聖書教育、信仰教育を受けて育ちました。「純粋な信仰・・・は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(Uテモテ1:5)「あなたは自分が、・・・幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。」(Uテモテ3:14−15)
 
2.パウロの第一伝道旅行で回心[46]
 
 
・迫害にめげず伝道しているパウロに感動して入信:
パウロの第一伝道旅行で迫害にめげず伝道しているパウロに感動して、キリストを主と受け入れ、信じます。「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」(使徒16:1−2)

・パウロと共に迫害を経験:
その信仰は、迫害を潜り抜けた筋金入りでした。「ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。」(Uテモテ3:11-12)
 
3.パウロの第二次伝道旅行に加わる[49−51]
 
 
・パウロに勧められて献身・割礼・按手:
パウロの第二伝道旅行でテモテに再会したパウロは、彼の不動の信仰、忠実さを見抜き、献身を勧めます。テモテはそれに従ってパウロの旅行に加わります。テモテは、その時割礼を受け、按手も受けます。「パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。」(使徒16:3)「私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」(Uテモテ1:6)

・開拓教会に留まってフォロアップ奉仕:
伝道旅行に同伴するようになったテモテは、パウロが教会を開拓した後、当地に残り、群れを固めて、それから次の地点でパウロに合流するという形の奉仕を繰り返します。「兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。」(使徒17:14−15)
 
4.パウロの第三次伝道旅行で「パウロの片腕」として奉仕[52-56]
 
 
・コリントでの牧会活動:
テモテはパウロの第三次伝道旅行にも同伴し、パウロの手足となって活躍します。「そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。・・・」(Tコリント4:17)
 
5.パウロの捕縛と幽囚に同伴[56−61]
 
 
・パウロの捕縛と護送に同伴:
パウロがエルサレムで捕縛され、ローマへ護送されたとき、そして、その後の幽囚生活を通じて、テモテはパウロと行動を共にします。

・ピリピへの派遣:
そのローマからこの手紙を携えてピリピに派遣されたのがテモテです。そのことがピリピ2:19-24に言及されています。
 
6.エペソに任命される[63]
 
 
・エペソでの牧会:
パウロが第一次幽囚生活から釈放されたとき、テモテはエペソの教会を任されました。「私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、・・・」(Tテモテ1:3)
 
7.パウロの臨終に呼ばれる[67]
 
 
・殉教前のパウロから訪問を依頼される:
67年、殉教を前にしてパウロはテモテの存在を切に求め、エペソからローマに急行してくれるように願います。「あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。・・・何とかして、冬になる前に来てください。」(Uテモテ4:9,21)
 
B.(ピリピ書に見る)テモテの真実さ[イラスト参照]
 
 

 
1.ピリピ教会に対する真実な関心(19−20節)
 
 
「しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。」
 
・パウロの分身として:
ピリピ人の手紙を執筆した直接のきっかけは、エパフロデトの訪問だったのですが、それと共に、ピリピ教会の様子を知り、彼らを励ましたいということでした。そのために、パウロは自分の分身のようなテモテを送ることにしたのです。

・テモテの真実な関心:
テモテは、パウロと同じ心で「真実に」(グネーシオースとは、種類や民族を表すゲネスから来た言葉で、混じりけない心で純粋に、真実にという意味)ピリピ教会のことを心配していると評価されています。彼は、教会の状況について熟知し、その人々の立場に立って心配しました。特に、教会内の二人の指導者が対立関係にあること、異なる教えが入り込みそうなこと、律法主義的な要素が福音的なあり方を蝕んでいることを心配し、この手紙を持つエパフロデトと一緒に訪問して、その問題点を是正したいと考えていました。他人の立場に立てる人というのは、想像力に富み、そして思慮深い人です。テモテはこの資質を持っていました。
 
2.キリストに対する真実な献身(21−22節a)
 
 
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。」
 
・その純粋さは「証明済み」:
「りっぱな働きぶり」とは、「ドキメー」ということばの翻訳です。このドキメーは、ドキマゾー=験す(ためす)という動詞から来た名詞で、「試験を経て正しいことが証明された」という意味です。第二次伝道旅行のとき、新米の献身者であったテモテは、陰日向なくピリピ教会のために尽くしました。その経験をピリピのクリスチャンは見ていましたから、火で験して金や銀の純粋性を承認するように、テモテの純粋な性格は証明済みですね、とパウロは言っているのです。

・無私のスピリットは希少価値:
ここで強調されているのは、純粋な信仰で、

▼利己心が混じらない純粋な信仰: 自分の利益、名声、安逸などを求める利己心が混じった信仰ではなく、キリストの御心を求め、キリストの福音の拡大を願い、キリストの教会の確立を求める純粋な動機で生きている信仰です。パウロは、テモテが、祖母ロイスと、母ユニケから譲り受けた「純粋な信仰」を思い起こしています(Uテモテ1:5)。パウロが、テモテにミッションを託すとき、多少でも利己的な動機が混じった人であると、そのミッションが損なわれることを懸念しました。案外そういう人が多かったのでしょう。

▼利己的な動機で主に仕える人は多い: ですからパウロは、「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」と言い切っています。「誰もみな」と言っているのは本当でしょうか、それとも、誇張によって、ある傾向性を強調するために言っているのでしょうか。1:17には、純真な動機をもって伝道する人々の存在がゼロではないと言うことを示唆していますから、文字通り、すべての働き人が利己心を動機に行っているとは思いません。しかし、この声明は、純粋な心をもって奉仕をする人が少ないと言う悲しい現実を示しています。最初は無私の心を持って奉仕する積りであっても、長い伝道者生涯において、いつの間にか自分の生活、自分の評判、自分の立場というものを第一に考える誘惑に陥りやすいものです。この手紙の7年後に書かれた第二テモテを読むと、自分を愛してパウロを去った人々の列伝が記されています。「あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました。」その中には、フゲロ、ヘリモゲネがいました(Uテモテ1:15)。このリストにはヒメナオとピレト(2:17)、デマス(4:10)などなど。伝道者生涯から離れた人々、離れてはいないが、自分の道を追求して御心から外れる人々が多く存在していました。その中でテモテは例外的であり、光っていました。2:4でパウロは、「自分のことではなく、他人のことを顧みなさい」と命じていますが、その好例がテモテだったのです

▼テモテは、キリストと共に「死んで」いた: 何が、テモテの無私な姿勢を産み出したのでしょうか。テモテがキリストと共に死んだことこそ、その無私の姿勢を生み出した鍵といえましょう。テモテはさらに、パウロがキリストの苦しみに与り、その苦しみを通してキリストの死と同じ状態になっている姿を見て(3:10)、その苦しみを分担するものとなっていたと思われます。実際テモテは、その先生であるパウロに倣って、投獄される程までに熱心に伝道したと思われます(ヘブル13:23)。
 
3.指導者への真実な服従 (22節b−24節)
 
 
「子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。 ですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼を遣わしたいと望んでいます。 しかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています。」
 
・同じ心:
20節に遡りますが、てもては、師であるパウロと「同じ心」(イソプシュホン=one-souled, or equal-souled)をもっていました。パウロと同じ関心を完全に共有していると言われています。師であるパウロの関心を絶えず知ろうとし、それを支えようという真実な協労を努めたのです。私達が福音の戦いに向かうとき、このような同じ心を互いに持ちたいものです。

・父に仕えるように:
さらに、22節には、「子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。」と、テモテの「親孝行」振りを賞賛しています。実際、パウロは、テモテを「自分の子」と呼ぶことを躊躇しませんでした。「愛する子テモテへ」(Uテモテ1:2)、「信仰による真実のわが子テモテへ」(Tテモテ1:2) テモテは、細やかな心遣いをもって師をケアし、尊敬を表わし、指示に従いました。

・福音の奉仕を共に:
パウロに対するテモテの服従は、奴隷的な服従ではなくて、同労者として共に戦い、共に考え、共に祈る関係でした。
 
おわりに
 
 
テモテのように、全く無私の心を持って主に仕えることは可能でしょうか。それは、この21世紀に生きるクリスチャンとして何を意味するのでしょうか。
 
1.明確な聖化の経験と実践を!
 
 
聖化の経験とは、究極的に言いますと、キリストと共に己を十字架につけることです。実践とは、その立場に身を置きつつ、日々の歩みを全うすることです。あなたは、キリストと共に十字架についたものという信仰に立っていますか。そのことを頷きつつ日々を歩んでいますか。
 
2.私心を混えずに主に仕え、教会を顧み、指導者に従おう!
 
 
テモテと同じように、自分のことではなくキリストを求めましょう。その心をもって教会のあり方を考え、奉仕しましょう。主が与えてくださった指導者に対して、テモテのような心をもって従いましょう。そのとき、私達は、あの人のようになって見たい、という魅力的な存在となるのです。私達の日々の仕事、家庭生活、そのすべてにおいて、聖化の魅力が輝き出るものとなるように祈り、務めましょう。
 
お祈りを致します。