礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2009年12月27日
 
「奇しいみわざを思い起こせ」
一年の終わりに臨んで
 
竿代 照夫 牧師
 
詩篇105篇1-7節
 
 
[中心聖句]
 
  5   主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
(詩篇105篇5節)

 
聖書テキスト
 
 
1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。3 主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。5 主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。6 主のしもべアブラハムのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。7 この方こそ、われらの神、主。そのさばきは全地にわたる。
 
1.2009年の感謝
 
 
・標語:
恵みと知識に成長(Uペテロ3:18): 2009年を締めくくる聖日礼拝を迎えました。この年はみなさんにとってどんな年であったことでしょうか。漢字一文字で表すとどんな漢字になりますか。私に取っては前進の「進」ではないかな、と考えています。年頭に与えられた御言は、「恵みと知識に成長しなさい」(Uペテロ3:18)でした。内面的なことを物指しで計ることはできませんし、まして自分で、霊性がこれだけ成長したなどとは全く言えません。私が言えることは、困難と課題が山ほど押し寄せてきた、そして、自分の無力さを嫌というほど知らされた、しかし(というより、それだからこそ)主に委ねるという恵みへの信頼の姿勢を学ばせていただいたと言うことです。

・中目黒教会:
地域との接点拡大:働きという角度から言いますと、この中目黒教会と地域との接点が増大したと感じます。個人的には緑地保全運動や保護司としての活動を通して、地域の方々との連帯が増しました。教会フェスタ、聖書を読む会、押し花教室そのほかの活動を通して、教会が地域社会に受け入れられているという実感を持ちました。そのことと、受洗者が久しぶりに二桁に届いたことと無縁ではありません。

・伝道会議/プロテスタント150年:
対外的には、第五回日本伝道会議への積極的関わり、日本におけるプロテスタント宣教150周年(カトリックを含めると450年)、新しい聖書翻訳事業への取り組みなどを通して、広いキリストの体である教会との連帯感を増進させていただきました。

・青年の働き:
青年の働きにおきましても、ユース・ステーションやサークルJやとにキャンなど、多くの面で進展を見ることができました。

勿論、問題課題を列挙すれば進展を上回るほど厳しい現実があることを認めつつではありますが、主のみ業に目を留め、そのみ業を歌ったダビデの詩を共に味わいたいと思います。
 
2.詩篇105篇
 
 
・テーマ:
この詩篇のテーマは、「イスラエル初期の歴史における主のくすしいみ業」であり、それに対する賛美です。

・「契約の箱」搬入の祝い(歴代誌第一 16:8-22):
歴代誌第一 16:8-22とこの詩篇の1-15を比べて読んでみましょう。この二つが細かい表現を除いて全く同じであることを見ると、この詩篇の背景がわかります。つまり、ダビデ王が色々な失敗や苦労を経て、神の臨在の象徴である契約の箱をエルサレムの都に運び入れることができた感謝のときに作られた歌なのです。その時には、今日でいうスコーンのような丸パン、フルーツケーキが全市民に振舞われました。フル・オーケストラとともにコワイアも総動員してこの賛美が歌われました。何か私達のキャンドル・サービスの情景を思い起こさせます。
 
3.出エジプトを巡る奇しいみわざ
 
 
さて、この歌の中心である5節に目を留めましょう。「主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。」ダビデがこれを歌った時、主が行われた「くすしいみ業」として意識していることは何でしょうか。それは、この詩篇全体を概観すると、すぐに分かります。一言で言えば「出エジプトに関わる多くのみ業」ということです。全部の詩篇がそのことを歌っているのですが、最も絵画的な部分を拾ってみて見ましょう。

・かつての低い状態: 数が少なく流浪の時代があった(12-13節)

・奴隷であったヨセフ: エジプトに奴隷として売られたヨセフ(17節)が、エジプトの支配者となった(21節)

・圧迫されていたイスラエル: イスラエルはエジプトで憎まれた<これも主の業>(25節)が、モーセとアロンによって救出された(26節)

・10の災い: 10の災いをもって、エジプトを苦しめた(28-36節)。

・出エジプト: 出エジプトのとき、金銀が与えられた(37節)。

・火と雲の柱: 火の柱・雲の柱で守られた(39節)。

・食物と水の供給: 食物と水を供給された(40-41節)。

・土地の供与: 約束のカナンの地を与えられた(44節)。
 
4.奇しいみ業の共通点
 
 
・苦境からの救い:
この叙述の共通点があります。一つは、苦境の中からの救いであるという点です。しかも、その苦境は主がイスラエルの民を追い込まれたという面を持っているという点でもあります。私達の人生、順調なことばかりではありません。逆境・困難は付き物です。しかし、それは神の栄光を顕すチャンスとなるという点です。

・奇跡的な救い:
もうひとつは、通常の常識では与えられないような方法、ある意味、奇想天外な方法で助けが及んだと言うことです。一たす一は二という単純な方法ではなく、おもいがけない方法で助けが与えられたという点に注目したいと思います。人間的な常識や経験では想定できないような助けが与えられた時、人々は、主のみ業と納得します。実にそのような助けを多く頂いたのがこの年ではなかったでしょうか。

・裁きを伴うみ業:
最後に、主は、その民を虐げるもの(エジプト)に対して、キチンと裁きをなさったお方だということです。主は、その民を守り、その民を虐げるものに裁きをなさいます。
 
5.「思い出す」恵み
 
 
・「思いを潜めなさい」(2節):
この英訳はtalkとか、tell ofとなっていますが、ヘブル語のsiachは、辞書によると、文句を言う、ぶつぶつと思い巡らす、という意味です。私は新改訳を支持します。

・「思い起こしなさい」(5節):
神のわざを意図的にしっかりと、細かく思い出しなさい、と語っています。「思い起こす」はzakarで、remember earnestlyです。何となく思い出すというよりも、注意を籠めて昔のことを思い出し、それを現在的な恵みに変えようと言うのです。

・神の御手を認める:
さらに、何となく考えるのではなく、昔の出来事を細かく思い出し、その中に神の手を認め、現在の力としなさいと言うことです。ある意味では、105篇の歴史叙述は解釈づけられた歴史です。神の主導権をあらゆる点で見出しながら過去の出来事を顧みていると言うことです。さらに覚えたいことは、この出エジプトの出来事は、ダビデ時代から四百年以上も前の出来事だったと言うことです。その出来事を、昨日起きた出来事のように思い出して、今自分がぶつかっている課題へのエネルギーとしたのです。丁度、私達が四百年前の戦国時代の出来事を糧として生きていくようなものです。実際、多くの戦国武将が、近代ビジネスの鑑として見直されているようですが・・・。
 
6.今私達が思い起こすべきこと
 
 
・キリストの贖い:
キリストによる贖いのみ業は、歴史的には2千年前の出来事ですが、それを現在的に思い起こす時に、その贖いが適用されるのです。それが聖餐式です。主は、聖餐式を制定された時、「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。・・・この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」(Tコリント11:24−25)と思い出しなさい、と語られました。今日、聖餐のテーブルに与るのですが、主のあがないの出来事を思い起こして、今の自分に当てはめつつ、これに臨みたいと思います。

・一年の感謝:
今年に注がれた恵みを「色々あった」という風に一括りにしてしまわないで、一つ一つ思い起こしながら、感謝を捧げ、或いは反省をさせていただきましょう。
 
お祈りを致します。