礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2010年2月14日
 
「み顔を避ける預言者」
ヨナ書連講(1)
 
竿代 照夫 牧師
 
ヨナ書1章1-6節
 
 
[中心聖句]
 
  3   しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュヘのがれようとし、立って、ヨッパに下った。
(ヨナ1章3節)

 
聖書テキスト
 
 
1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。2「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
4 そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。5 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。6 船長が近づいて来て彼に言った。「いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい。或いは、神が私たちに心を留めて下さって、私たちは滅びないですむかもしれない。」
 
はじめに:連講の焦点
 
 
昨年はピリピ書から福音のために戦う教会の姿を学び、教会総会前後には教会のあるべき姿をミッション・ステートメントという形で学びました。これから10数回に亘ってヨナを取り上げたいと思います。その理由は、ヨナがその人間性を赤裸々に告白しているからです。何か親しみを感じるというか、共通的なものを感じるのは私だけではないと思います。

一般的に言って、預言者というのは、自分を殺して、主にのみ仕えるストイックな人々です。イザヤもエレミヤもエゼキエルも、家庭を犠牲にして、主に仕えています。その点から言えば、ヨナは例外です。彼は自分の感情のままに生きました。我侭を通しました。神にぶつかり、ぶつかったことで神の御心を深く悟った、人間的な魅力に満ちた預言者です。私たちの模範とは言い難い人物です。しかし、ヨナは、そんな破れかぶれの自分を記録に残すことを良しとしました。このシリーズを通して、ヨナの人間性を学びつつ、ヨナのようにひねくれた、或いは突っ張った人間を、神がどう扱いなさったかにも焦点を当てたいと思います。そこに私達が捕らえるべきメッセージがあるように思います。

(※「ヨナ書」全体については、こちらを参照ください。)
 
1.「そして」から始まるヨナ書
 
 
新改訳聖書には訳されていませんが、原語では、ヨナ書の書き出しは「そして」です。「そして」という書き出しは、本書が何かの書の続きであったことを示唆します。列王の記録の付録とも考えられます。歴史とかけ離れたおとぎ話でないことは確かです。
 
2.ヨナの登場「1節」
 
 
「1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。」
 
・ヨナとは:
ヨナは、BC8世紀前半に生きたイスラエルの預言者でした。お父さんはアミタイです。ヨナという名前の意味は「鳩」で、何となく愛すべき名前です。U列王14:25に、ヨナの出身がガテ・ヘフェル(ナザレの近く)であったことが記されています。これは、ガリラヤ湖周辺の町です。彼の時代、イスラエルは南北に分裂していたのですが、彼は北イスラエルの人間でありました。(地図参照)

・ヨナの予言:
ヨナは、かなり「政治的な」預言者でした。イスラエルの領土回復を予言して、その予言がヤラベアム2世(8世紀中)時代に成就した、とU列王14:25に記されています。ここから彼が8世紀前半ごろ人物であったと推定される訳なのです。
 
3.ニネベへのメッセージ(2節)
 
 
「2 立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
 
・ニネベとは:
BC9世紀の初め頃から勢力を伸ばしていたアッシリヤの首都です。このアッシリヤがその征服の矛先をパレスチナに向けたのは、シャルマネセル2世(859―825)の頃です。彼はハマテを占領し、シリヤ、アンモン、アルワデ、アラビア、イスラエルの連合軍をやぶり、バビロンも屈服させました。その次のサマス−アダド5世(824―811)は、メディアに打ち勝ち、アダドニラリ3世(810―785)はシリヤ、ツロ、シドンを打ち破りました。つまり、ヨナの時代の中東において、アッシリヤは、誰も敵対できない絶対的支配権を打ち立てていたのでした。しかも、被征服民の唇に鍵を引っかけて移動するなど、アッシリヤ人の残酷さ、獰猛さはレリーフに残されているほどでした。こうした状況で、政治的な事柄に関心の深かった預言者ヨナが、ニネベの滅亡を願った事は不思議ではありません。

・ニネベの悪:
「彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」(2節b)とありますが、「悪が主の前に立ち上った」というケースは、ニネベが最初ではありません。ノアの時代にも、人々の悪は主の前に立ち上り、主の痛みとなりました(創世記6:5)。ソドムとゴモラも同様でした(創世記18:20、19:13)。ニネベの場合、その飽くこと無き征服欲、残虐な戦いぶり、非征服民に対する過酷な扱いは突出していました。その中心地であるニネベの道徳的退廃振りは、想像に難くありません。そうしたニネベの悪は、自分たちが偉大だ、偉大な帝国の首都だという驕りがもたらしたものであったということが出来ましょう。

・21世紀の悪は?:
それらが主の大きな痛みとなったとすれば、21世紀のこの時代の悪しき喧騒はそのどれより増して、どんなに大きな主の痛みとなっていることでしょうか。大気汚染に勝る悪臭が、主の御心をどんなに痛め奉っていることでしょうか。
 
4.神の顔を避けたヨナ(3節a)
 
 
「3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュュヘのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュュへ行こうとした。」
 
「外国に行って、その悪を責め、悔い改めに導き、その国を救う」という光栄ある務めを与えられたヨナは、イスラエルの歴史始まって以来初めての宣教師となる素晴らしいチャンスを与えられました。皆さんがヨナだったら、その光栄に感動して打ち震えますか。それとも、そんな恐ろしいことは出来ないといって尻込みしますか。ヨナはどちらでもありませんでした。光栄ある努め、成功の見通しを持ちながら、その使命を拒絶しました。ヨナは「主の御顔を避け」たのです。全知全能で遍在者である神を避けることが出来るとは預言者ヨナは夢にも思っていなかったことでしょう。それなのに敢えて,ヨナは「御顔を避けよう」としたのです。なぜでしょう。

・御心よりも「愛国心」:
この1章には、ヨナの逃走の理由は明らかにされていませんが、4:1にはそれが示されています。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。」つまり、1:2と1:3の間には、このようなやり取りがヨナと主との間になされていたのです。つまり、ヨナは、神に向かって抗議をしたのです。神の憐れみに関して彼は、「それは大きすぎる、神様あなたは寛容すぎます」と文句を言ったのです。彼の本心は、「こんな悪の権化のようなアッシリヤは、早く歴史から消えてしまえ。そこへ行って、悔い改めを説き、悔い改めてしまったら、生き返ってしまう」という単純なものだったのです。ですから、彼は神の御心を知りつつ、ニネベと反対のタルシシュへ逃げようとしたのです。ヨナが持っていたのは、狭い意味での愛国心、自分の国さえ良ければという自分(の国)中心主義でした。形は違いますが、自己中心主義という固い殻でもって「御顔を避ける」ことは、私たちの日常生活でも起き得ます。

・「憐れみの神」への怒り:
こうした政治的理由の奥には、神の御顔を避けようとする預言者の悲しい姿をここに見ます。主の憐れみという正確な神学的理解は、彼にとって重荷だったのです。そのみ思いを振り切るには、使命の道の反対側を行けばよい、と短絡した訳です。そこに、預言者としての訓練を受け(多分、彼はエリシャが始めた預言者学校の優秀な卒業生の1人と思われるが)、神の使命に生きるはずの預言者が歩んではならない道に歩み始めた本当の理由がありました。それは「神に対する不満と怒り」でした。私達の行動の中で、神に対する不満、怒りと言う形でないにせよ、神のご支配や摂理に対する絶対的信仰によらない考え、行動、感情を持つことはないでしょうか。それこそが「神の御顔を避ける」行動なのです。この言葉は1節に二回、そして10節にも繰り返されています。このヨナは、御顔を避けることを意識的に行い、しかも、それを船乗り達にも公言していたのです。「憐れみに満ちた神」の知識を持ち、しかし、「それは自分の主義に合わない」と疎ましく思う人間のわがままがそこに現れています。

・「神の愛」を体験的に捉え損なった:
残念ながら、ヨナは、神のみ顔を慕うべき活ける、愛の対象として捕らえていなかったように思います。詩篇の中で、「御顔」という文字を検索してみますと、その半分が慕わしいものとして歌われています。例えば、「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」(詩篇 17:15)、「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、み顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」(詩篇 67:1)などです。ヨナは、神の愛に対する体験的理解が乏しかったと思われます。ですから、神の顔を避けたのです。

・「神の義」を行過ぎて捉える:
詩篇の作者は同時に、悪をなすものは御顔を恐れるとも書いてあります。「主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。」(詩篇 34:16)「神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました。」(詩篇 60:1)ヨナは、愛すべきお方としての神と心を開いて交わるのではなく、逆らう時に厳しく裁く恐るべき神として神のイメージを抱いていました。それがヨナの不幸です。ボクには厳しいのに、他の人に優しい、そんな父さんは好きになれない、といって家を飛び出す放蕩息子と似ています。

・「神の遍在」を信じない:
神学的には、ヨナは、神の全知・遍在(何でも知っておられ、どこにでも居られる)という知識を持っていました。でも感覚的には、遠くに逃げてしまえば、神の存在を忘れられると短絡しました。だから、遠くのタルシシュに向かって逃げたのです。
 
5.「渡りに船」と「摂理」の違い(3節b)
 
 
・ヨッパまでの道筋:
ヨナが彼の故郷であるガテ・ヘフェル(ガリラヤ湖の南端から真西に20km、ナザレの北東)でこのみ声を聞いたとすると、そこからヨッパまで90kmの道のりを歩いてやってきたことになります。ガテ・ヘフェルからヨッパまで歩いて2,3日かかったとすると、その間も、主との問答を続けていたかもしれません。それは、主の御顔を避けて逃げようとするヨナへの悔い改めのチャンスであったと思います。しかし、ヨナは心を固くしたままヨッパにつきました。

・渡りに船:
丁度そのとき、タルシシュ(スペインの町で、黄金、銀、鉛などの金属の産地として有名)行きの舟が待っていました。地中海貿易は昔から盛んでしたから、ヨッパ―タルシシュ間の商船は珍しくありませんでした。ともかく、ヨナは、何たる「摂理」と思ったことでしょう。(私達も、勝手に摂理を都合よく解釈してしまうことが多いことを反省させられますが・・・。)彼は躊躇なく乗船券を買い、乗船しました。タルシシュがスペインとすれば、相当な金額と思われます。貧しい筈の預言者が、こんな時にはお金を出すものなのですね。しかし、考えてみれば、これは恐るべき反逆ではないでしょうか。しかも、そのお金は、信仰者たちの尊い献金による訳なのですから・・・。ここで彼はまた、御顔を避けたのです。悔い改めるチャンスは、ヨッパへの道すがらもあったにも拘らず、彼はそれをしないで、意思的に御心にそむいたのです。
 
6.大嵐に遭遇(4−6節)
 
 
主は、御顔を避けた預言者を諦めないで追い続けてくださいました。詩篇139:7−10を見てください。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。」とあります。嵐にぶつかったヨナは、この真理を身をもって体験することになります。このお話しは来週詳しくお話します。
 
おわりに:(自分に対しての)透明性と(神に対しての)信頼を持とう
 
 
私たちは、神の御顔を慕わしいものとして、主に近づこうとしていますか。それとも、何か隠し事、従いきれない部分をもって、日曜日以外は、なるべく御顔を避けて生活していますか。すべてありのままという透明性と、神は絶対的に愛以外の者を私たちのために用意しておられないという信頼を持って主の前に出ようではありませんか。
 
お祈りを致します。