ジョイフルアワー・メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2010年3月14日
 
「 『めぐみ』って、  
  よいことばですね 」
ジョイフルアワー
 
竿代 照夫 牧師
 
第一テモテ1章12−16節
 
 
[中心聖句]
 
  14   私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
(Tテモテ1章14節)

 
聖書テキスト
 
 
12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
 
はじめに
 
 
気象庁によると、今年の冬は「ギザキザ型」の冬だったそうです。2月には、ものすごく暖かい日が来たかと思うと、次には真冬のような寒さが来る、という感じの繰り返しが多く、体がついていけないと感じた方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。でも3月も半ばに入って、木々の先を見ると蕾が膨らんできているのが分かります。私はこの季節が大好きです。
 
■めぐみと言う言葉
 
 
古語辞典によりますと、日本語の「めぐみ」と言う言葉は、「めぐし」(目が苦しい)からきた言葉で、「見るのも切ないほど可愛い」「憐れみをもよおす」「相手をいたわる」という意味だそうです。

私は、木々が芽ぐむと言うところから、めぐみと言う言葉が生まれたと思っていました。「芽出度い」などとも共通するらしいので、今日の集会のポスターには、桜の枝が芽ぐみ始めた写真をお願いしました。

いずれにしても、「めぐみ」という言葉は、良いイメージで使われています。この会場にも「めぐみ」さんと言うお名前が多くあると思います。クリスチャンである方も、そうでない方も、このお名前は共通的に好まれているようです。その中でも、教会と言うところでは、恵みとか、恵まれる、と言う言葉が沢山使われます。初めて教会に集う方がちょっと異様に感じるくらいです。
 
■聖書で言う「めぐみ」
 
 
その理由は、と言いますと、聖書の中で沢山使われている言葉だからです。聖書の中では、「与える価値のないものに注がれる豊かな神の顧み」という意味で使われています。分かり易い例で言います。一日汗水たらして働いて何千円というお金を貰ったとしましょう。これは、当然の報酬です。しかし、何にも働かないばかりか、他人に悪態ばかりついているような可愛げのない人が、何かの理由でそのようなお金を貰ったとしますと、これが恵みなのです。神と人との関係で言いますと、人は神に背き、自己中心で、我侭勝手な生き方をしてしまいました。その人間を神が一方的な愛を持って赦し、救い、引き上げてくださる、これを恵みと言います。
 
■アメージング・グレイス(ジョン・ニュートン作詞)
 
 
その恵を感謝した歌で有名なものがアメージング・グレースです。歌ってみましょう。おそらく多くの人々がご存知と思いますが・・・。

Amazing grace! How sweet the sound
驚くばかりの恵み! その言葉の響きの甘美さよ!

That saved a wretch like me!
その恵が私のような惨めな人間を救ってくださった

I once was lost, but now am found;
かつて私は失われたものだったが、今や見出された

Was blind, but now I see.
かつては盲目であったが、今は見ることができる
 
■ジョン・ニュートン(1725-1807)
 
 
これから、この歌を作ったジョン・ニュートンと言う人をはじめとして、三人の実在の人物の話をします。これらの三人に共通していることは何かを、良く考えながらお聞き下さい。

・父は、商船の指揮官;
祈り深い母は、ジョン7歳のとき他界:ジョンのお母さんは、幼いジョンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンでしたが、ジョンが7歳の時に亡くなりました。

・父が後妻を迎えて間もなく寄宿舎に:
商船の指揮官であった父はそのすぐ後に後妻を迎えることになり、息子のジョンを寄宿舎付きの学校に預けてしまいました。無分別で厳しい教師との出会いは幼いジョンの心を痛めつけ、勉強する気持ちを無残にも踏みにじってしまいました。

・10歳で学校を飛び出し、父の船に乗り込む:
荒くれた少年船員生活から奴隷船員へ:ジョンが10歳になった時に学校を飛び出して、父親の船に乗り込んで船乗りとしての人生を始めました。船員として荒れ狂う人生を送り、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送する奴隷貿易に手を染めるようになりました。

・22歳、奴隷船の船長としての航海で大嵐に遭い、心底から悔い改め、キリストに従う決心をする:
彼が22歳の時、船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に陥りました。ジョンは他の船員たちと共に、朝の3時から昼の12時までの間、ずっと浸水して来る海水の汲み出しに命がけの作業を挑むことになりました。積み荷の殆どを荒海の中に流してしまうほどでしたが、嵐は去りません。更に困ったことに、ジョン・ニュートンは泳げない船乗りだったのです。泳げないジョンにとって、嵐はは更なる死の恐怖だったのです。ジョンはそれ迄の過っていた人生を悔い、改心し、万が一にも助けて頂けるものなら、今後は主イェス・キリストに従う者となるとの決心を固めたのでした。彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてでした。すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れました。彼はこの日をみずからの第二の誕生日と決めました。その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けましたが、彼の船に乗った奴隷への待遇は飛躍的に改善されたといわれています。

・28歳で神学校に入り牧師となる、「アメイジング・グレイス」を生む:
その後、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学を重ねて牧師となりました。そして「アメイジング・グレイス」を生むのですが、この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められています。
 
■アウグスティヌス(354−430)
 
 

・北アフリカ・タガステ村出身:
今のアルジェリアであるタガステの貧しい家庭で生まれます。

・母モニカは敬虔な祈りの人:
しかし、父は信仰を持たない立身出世主義の男で、息子に高い教育を与えることだけを望んで叱咤激励します。その父はアウグスティヌス17歳で死にますが、奨学金を得て大都会のカルタゴに行きます。

・カルタゴで修辞学を学ぶ:
大学では修辞学(弁論学)を学びます。

・優秀な学生(後には教授)でありつつ、私生活は乱脈:
学業は優秀でしたが、私生活は乱脈で、かなり若い時から、複数の女性と関係を持ち、奔放な生活を送ります。

・当時の新興宗教・マニ教に凝る:
彼の私生活を心配した母モニカは、彼のいたミラノまでやってきて、教会の大司教アンブロシウスに息子を導くことを頼むのですが、断られます。アンブロシウスは、「私が言っても無駄です。聖霊だけが働き給うのです。あなたのできることは祈ることだけです。涙の子は滅びません。」とモニカを励まします。一方、アウグスティヌスは当時流行っていたマニ教という新興宗教に凝ります。それは、知的興味を満たし、しかも、悪を是認する便利なものだったからです。

・32歳でキリストを受け入れ、一変:
そのアウグスティヌスがある日自分のだらしなさに嘆いていた時、庭の外で子供たちが「取りて読め、取りて読め」と歌いながら鞠をついているのを聞いたのです。それを天啓と捉えて家に駆け込み、聖書を開くと、「夜は明けて昼が近づいた。暗きの業を捨てなさい」との御言が目に留まり、あらゆる罪を悔い改め、キリストを信じました。

・中世最大の神学者となる:
神学に進んだアウグスティヌスは、中世最大の神学者となり、神の恵みによる救いを強調する神学を打ち立てます。
 
■サウロ〔後の名をパウロ〕(0−67)
 
 

・キリキヤ州タルソ生まれ(コスモポリタンの環境):
地中海沿岸で、ローマ帝国の殖民都市のタルソと言うところでサウロは生まれます。父は裕福なユダヤ人商人で、ローマ市民権を持つ立派な家で育ちます。

・厳しいユダヤ教の家庭で育つチョー真面目青年:
ギリシャ文化の影響を受けながらも、家は厳格なユダヤ教で、小さい時から聖書を学び、神の掟を厳格に守る、チョー真面目青年でした。

・律法学者・ガマリエル門下の優等生:
長じて、ユダヤ教の総本山であるエルサレムに行き、当時の最高学府であるガマリエル先生の弟子となって、更に勉強を積みます。

・キリスト教がユダヤ教を破壊すると思い、伝道者ステパノを石打ちに:
その最中に、「キリスト教」といういわば新興宗教が人々を集めます。人間であるナザレのイエスと言う十字架につけられた男が甦ったとか、その男が救い主であるとか、サウロには冒涜としか思えない教えでした。その論客であったステパノの演説を聞いていると不思議に心惹かれるものを感じながら、しかし、この教えはユダヤ教を根本から破壊するものと思い、ステパノを石打ちにすることに賛成します。雨あられと降ってくる石に打たれながら、ステパノは、「この罪を人々に負わせないで下さい。」と祈りつつ、目を天に向けて息を引き取りました。その神々しい顔は天使のようでした。サウロは、その言葉と顔に引き付けられながらも、それを打ち消すような迫害運動に身を投じます。

・狂気のような教会迫害に進む:
それが今日の聖書箇所の背景です。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」と言っています。罪人の頭とも言っています。それは外側の事だけではなく、内面的なことでもあります。真面目な積りでも、どうしても起きてくる怒り、嫉妬、悪しき欲望、それらを乗り越える力を持っていませんでした。

・34歳頃、ダマスコへの道で復活のキリストに出会い、回心:
そのサウロが迫害旅行の最中に、復活したキリストに出会います。その時、自分の考えが全く間違っていたことを悟ります。光栄ある伝道者として任命してくださったという出来事の中に、神の恵みとは何と大きく、素晴らしいものであったかを、感謝と共に述べています。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

・1世紀最大の宣教師に:
同時に、そんな乱暴で、罪深いものを赦してくださるキリスト、それだけではなく、神のその恵みを広く伝えるようにと任命されたのです。驚くべき恵でした。
 
■三人の青年に共通するもの
 
 
・恵を伝える人との出会い:
ジョンとアウグスティヌスには祈り深い母がいました。その母が、神の恵のすばらしさを示す実例でした。サウロには、輝いて天国に行った殉教者ステパノがいました。この人々を通して、彼らは神の恵みを実体験として(潜在的に)知っていました。皆さんの生涯にもこんな人がいませんでしたか。

・自分の罪深さの自覚:
ジョンはこれ以上悪くはなれないと言う徹底的ワル、アウグスティヌスは上品な格好をしながら、私生活は乱脈と言う偽善的ワル、サウロは、チョー真面目だが、その内面に神の心に逆らう反逆的性質を持っている、と言う風に、タイプは違うのですが、みんな己の罪に向き合い、深くそのことを悔いたのです。

・神の恵みに寄り縋る信仰:
その結果、自力ではなく、「罪人を救うために十字架に掛かり、贖いを成し遂げてくださった」という驚くべき神の恵みに縋るのです。

・恵によって変えられた人生:
それによって、彼らの人生は闇から光に変えられ、多くの人に光を与えるようになりました。それも、自分が偉いからではなくて、こんなワルを作り変えてくださる神の業を表わすサンプルとしての人生になりました。

 
私たちにも!同じ恵が備えられている:
 
 
皆さんがどのタイプかは分かりませんが、この驚くべき恵が備えられています。それを素直に、受け取ってください。
 
お祈りを致します。