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聖書テキスト |
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5 ヨナは町から出て、町の東の方にすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。 |
7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」 9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」 |
10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」 |
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はじめに |
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ヨナの物語を11回に亘って共に考えてきました。このシリーズでは、ヨナという人物が、如何にジコチュウむき出しの人間性を持った私たちに親しみ深い存在であるかを学びました。同時に、そのようなわがままむき出しのヨナを、神が如何に忍耐深く扱い給うたかを学びました。その神がヨナを扱いなさった小道具が「備え」という言葉です。今日はその言葉を鍵にヨナ書を締め括ります。 |
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A.備え給う神(イラスト) |
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先ず、ヨナ書に見られる「備え」という言葉を見ます。 |
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1:17 主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。 |
4:6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。 |
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上の文章から4つの備えを見ます。この「備え」という動詞は、「マーナー」(MNH)で、計算する、数える、任じるという意味です。英語欽定訳ではprepare(準備する)、NIVではprovide(供給する)と言う動詞が使われています。この二つを合わせたような意味と考えれば間違いありません。 |
この他、「備え」という言葉はないが、実質的は神の備えを表すものも加えて、以下の七つを時間の順序に配列してみました。 |
@嵐(1:4): 「そのとき、主が大風を海に吹きつけたので・・・」 |
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A良い水夫たち (1:5): 「水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。」異邦人である水夫たち・船長は、それぞれの神に切に祈りました。しかも、籤が決まったあとでさえも、ヨナを助けようとあらゆる努力をする、こうした人々に囲まれていたことも、「神の備え」の一つと考えられないでしょうか。異邦人なりの親切と宗教心を彼らの中に見ます。私達の周りにも、クリスチャンではないが、それなりの信仰心と親切心を持ち合わせた人々がいると思います。これらも、神の「先行的恩寵」の一つと私は思います。 |
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B罪を告白する機会(1:7−8): 「みなは互いに言った。『さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。』彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。そこで彼らはヨナに言った。『だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。』」「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」(箴言 16:33)とありますが、くじはヨナが当たってしまいました。当たる前のヨナは、不貞腐れたひねくれ人間ですが、一旦自分の罪を認めたヨナは、この嵐の原因が自分にあることを表明し、そのために自分が犠牲になることを申し出ました。 |
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C大きな魚(1:17) |
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D一本のとうごま(4:6) |
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E一匹の虫(4:7) |
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F焼け付く東風(4:8) |
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神は、これらの不思議なものたちを劇の登場人物や小道具のように予め計算し、任命して、丁度良い場所に、良い時間帯におきなさったのです。昨日は結婚式が行われましたが、そこで大切な人は、コーディネーターと呼ばれる人です。どんなことが何時行われるかをチャートにします。それに沿って、小道具を準備します。誰がどんな役割を果たすかを一覧にします。それが「予めの計算」です。神は私たちの生涯について、予めご計画を持ち、大道具・小道具を準備なさるお方です。 |
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B.神の意外性 |
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・ヨナにとって想定外: この全てを見ますと、ヨナにとって想定外なものばかりです。順調に出帆したら嵐が来る、嵐の最中に親切で信心深い水夫たちに会う、それがヨナの悔い改めの機会となる、海に投げ込まれた時に魚が待ち構えている、日照りに苦しんでいる時にとうごまの木が急に生えてきて日影を作る、その翌日に虫に噛まれて枯れてしまうとか、全く想定外のことばかりです。東風だけは、想定内かもしれませんが・・・。「想定外」と言う言葉を流行らせたのは2、3年前のホリエモンさんであったと思いますが、彼の人生も尚、想定外の連続のようですね。 |
・私たちの「想定外」: 皆さんの長い人生、或いは未だ短い人生をともかく振り返って、想定外のことが沢山あったと思いますか。そうでもありませんか。私の人生を振り返りましても、想定外のことだらけです。少年時代の私が空想し、青年時代の私が願望していた事柄と、中高年に至って起きてきた出来事とを比べると、正に意外なことの連続でした。恐らく、多くの方が似たような感想を持ちなさることでしょう。 |
・神にとって「想定内」: 私たちから見ると「想定外」の連続なのですが、神の御目から見るとみんな「想定内」なのです。なぜなら、私たちの道はみな、主の備えの中に作られているからです。アブラハムがイサクをささげた時、ヤハウェ・イルエ(主が備えておられる)と言いました。そして主は、イサクの代わりにいけにえの雄羊を藪の中に備えておられたからです。主は私たちの予想をはるかに超えた方法をもって私たちを導いてくださるお方です。 |
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C.神の愛と知恵 |
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神の私たちへの備えは、その時は意外だったり、辛いもののように思えるものもあります。いや、全てが想定外といっても良いと思います。 |
・神の温情: しかし、振り返ってみると、そのすべては無駄ではなく、私たちを作り上げようとして用いられる小道具なのです。ヨナは、魚を通して、神の助けを経験しました。とうごまによって、神の温情を感じました。神に捨てられて当然のヨナを、神は諦めることなく、追いかけ続けておられます。本当にヨナの不貞腐れた態度を見ると、そんなに言うことをきかないのなら勝手にしなさい、と突き放したくなるのが当然です。しかし、神は勝手気ままに怒り出し、使命の場所を離れて高見の見物を決め込んだヨナに対しても、その不機嫌を直そうととうごまを生えさせなさいました。それはヨナだけではなく、私たちにとっても想定外の温情です。 |
・知恵に満ちたお扱い: 神が示されたのは温情だけではありません。そのとうごまを枯れさせ、再び怒り狂ったヨナにとうごまとニネベを比べると言う方法で、ヨナの自己中心の恐ろしさを自分で悟るようにと諭しなさいました。これは何と知恵に満ちた方法であったことでしょうか。神の備えのどれ一つ取っても、無駄なものはありませんでした。ローマ8:28−29においてパウロは、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。」と言っています。神が私達の周辺事態、特に苦難を総合的に働かせて、益を齎されるのです。その「益」とは私たちのご利益ではなく、「主を信じる者達が義とされ、栄光を着せられるという過程で御子の像に似せられて行くこと」です。私達が毎日直面している課題というのは、私達に失望・落胆を与えたり、傷に塩を塗ったり、現代用語でいえば「むかつくような」出来事ばっかりかもしれません。どうか、その問題・課題に囚われすぎて、私達が目指している、神が私達のために備えてくださる栄光ある計画を見失ってしまうことがない様にしましょう。 |
・ヨナ書5章は?: ヨナ書は、4章の質問をもって突然終わります。これに対してヨナがどう答えたか、ヨナがどう変わったか、その後ヨナは何をしたか、一切触れていません。実際はどうなったと想像されますか?恐らく答えは一つでしょう。ここでヨナは神の愛によって本当に砕かれ、その愛に答えるべく、ニネベでの奉仕を続け、一区切りをつけてから宣教生活を終えて、故郷へ帰ったことでしょう。それでは何故後日談がないのでしょうか。私はそこにヨナの本当の謙りがあったように思います。変えられたヨナが5章として残っていたら、お話はいつものハッピーエンドで詰まらないものに終わってしまいます。ヨナは、当然この物語の直接間接の著者でありましょうが、彼は後々まで自分を我侭な、自己中心的な、狭量な人物として記憶されるのも構いませんでした。実はそれほど砕かれた人間であった、と私は彼を好きになりました。だから、5章はないのです。 |
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D.最大の想定外 |
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・「想定外」の選び: ヨナに対する神の備えはこのように想定外続きでしたが、最大の想定外は、こんな嫌な人間をも諦めず、愛し続けてくださったことです。それは、サッカーの下手な私がワールドカップに出場するよりもはるかに大きな想定外の出来事です。それを思うと感涙に咽んでしまいます。 |
・「想定外」の贖い: 神の愛は、その愛するひとりごを世に降し、十字架につけて救いの道を開いてくださったことに現れています。 |
・「想定外」の配剤: そして、私たちに対する愛を表わし続けていてくださいます。その道筋は、私たちの目には想定外と思われることだらけかもしれませんが、その「想定外」の中に、神のご愛と神の知恵、そして、その「想定外の」背後に私たち一人ひとりの人生にかかわる神の良きご計画を確信しましょう。 |
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おわりに:神の備えに心から感謝しよう |
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これから聖餐式に臨みますが、私たち一人ひとりに与えられた主の「備え」を思い返し、心からの感謝を捧げましょう。 |
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