礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2010年7月4日
 
「諸民族のさんび」
WGM宣教大会を終えて 
 
竿代 照夫 牧師
 
ヨハネの黙示録7章9-17節
 
 
[中心聖句]
 
  9   見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
(黙示録7章9節)


 
聖書テキスト
 
 
9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
 
1.WGM百周年宣教大会の報告
 
 
昨週は、WGM100周年記念宣教大会が行われ、IGMからの出席者14名の一員として、その祝いの座に加わることができました。皆様の背後におけるお祈りを心から感謝いたしつつ、集会の報告を述べ、それに基づく御言からの語り掛けをお分かち致します。

@大会:
WGMは、1910年、米国ホーリネス派の共同的宣教団体として誕生。現在、世界約4 0カ国に宣教師を送るまでに発展。その誕生百周年を祝う宣教大会が、マリオンのインディアナ・ウエスレアン大学で6月24−27日に開かれた。

A出席者:
現役宣教師、引退宣教師、全米からのサポーターたち、19カ国から現地教会指導者たち合計921人が登録。聖会出席は、延べ1,000人強。日本からの参加者は、牧師6名(梅田昇、高島俊夫、長谷美代子、植木昌恵、竿代照夫・皓子)宣教師4名(三森邦夫・加寿子、蔦田康毅、富沢香)信徒4名の合計14名。加えて、ザークル夫妻、プローブス夫妻、マッツ夫妻、ホリー・ミュールハイゼン姉、バルカー夫妻、ジョンソン師など賑やかであった。

Bプログラム:
毎回三人の宣教師の証を含む六回の聖会、その間々には課題別・地域別の分科会。聖会の半分がアメリカ人以外(ケニア人、メキシコ人、日本人)で「国際化」を印象付けようという努力の一端を見る。特に、聖会第一夜の説教者が前総理のハーミッツ博士であったことが印象的で、現指導者と同博士との、関係の修復が証された。第二日目夜の私の説教の前に、インマヌエル全体への感謝盾を頂いた。諸先輩方のご労苦を感謝。メッセージでは、序論としてIGMと私個人にとってWGMの齎した祝福についての感謝を述べ、更に、ヨシュア5章から、ヨシュアの靴脱ぎの経験に基づき全き献身について語った。<1979年、WGMのケニア・フィールドに遣わされた時、30年後にこのような機会が訪れるとは夢にも思っておりませんでした。正に想定外の恵みでした。>

Cリユニオン:
集会の前後には、かつての同僚宣教師、ケニア人指導者との10数年ぶりの再会を喜んだ。百周年ということで、久芳先生と同僚を含む元宣教師も多く見られた。 宣教大会の前に、フォート・ウエインのジョンソン元宣教師とエドナ夫人を訪問、良き交わりの時であった。

D全体的な感想

@)福音の広がりのために多くの宣教師方の陰の犠牲が払われた
A)宣教活動の重心がラテン・アメリカ、アフリカに移りつつある
B)宣教活動の内容が、社会活動を含む全人的なものにシフトしつつある
C)WGMとIGMとの協力関係はより柔軟で、多角的なものにならねばならぬ

これに関連して今日は黙示録7章から教えられたことをお分ちします。
 
2.黙示録7章の位置づけ
 
 
黙示録は、終末の希望に基づいて、当時の苦難に遭っていた教会への励ましのために記された手紙です。7章までの流れを簡潔に説明しますと、

1章は「教会の主」の幻が示され、
2−3章は、諸教会に対する主のメッセージが語られ、そして、
4−5章は、天上においてなされている礼拝の姿へと移ります。
6−8章は、罪の世に対して降される神の審判の計画が、7つの封印の解除という形で示されます。そこでは、神の審判の厳しさが、一つの封印解除ごとに増し加わることと、迫害の中を通過して勝利した信仰者の賛美が間奏曲のように紹介されることが特徴です。

今日のテキストの7章は、第6の封印解除と第7の解除の間の間奏曲です。

前半(1−8節)は、14万4千人に聖徒の印が刻まれること
後半(9−17節)は、諸国民の賛美・礼拝、が記されています。

14万4千人については、ある種の人々がここを曲解して、クリスチャンの中でも更に選ばれた人々に当てはめようとしていますが、それは無理です。ここは、地上におけるキリストの教会全体の礼拝を指すと言うのが自然であり、穏健な解釈と思われます。

そして、後半は、贖われた諸国民が、終末においてささげる天上の礼拝を指します。
 
3.諸国民の礼拝
 
 
ここにおける礼拝の特徴は、諸国・諸民族・諸言語の民が数え切れないほど集まってきて、王座におられる小羊・キリストに賛美をささげることです。これは何という感動的なシーンでありましょうか。私たちの時代に、似たような光景を探すとすれば、オリンピックの入場行進でありましょう。ギリシャから始まり、アルファベット順の国別に、民族衣装に身を包み、夫々の国旗を振りながら胸を張って入ってくるあの感動的な行進に似たものです。彼らは国家元首の前を通る時、胸に手を当てて敬意を表しますが、この群衆は、王なる主イエスに対して、命をかけたその贖いの故に、心からの賛美をささげ、栄光をお返しします。

私たちがサッカーの勝利に感激するよりも、その他のどんな楽しいこと、嬉しいことを経験するに勝って、私のために命をかけてくださったお方にお会いするに勝る感激は、いかばかりでしょうか。

ここに記されている礼拝の姿から、幾つかの大切なレッスンを学びます。

@数え切れないほどの大群衆:
私たちは、宣教の業が遅々として進まないことに苛立ちを覚えたり、失望することがあります。しかし、種を携え、涙を流して労苦する伝道の業は、思いがけないところで実りとなり、束を携え、喜びの叫びを挙げる時がきます。希望を持ちましょう。

A諸国・諸言語の民:
キリスト教は白人の宗教のように思う人がいるかもしれませんが、それは誤りです。今や、宣教の主体は、ラテンアメリカ、アフリカ、そしてアジアに移っています。それらの諸民族の力強い宣教の結果として、多くの国民が、それぞれの言語で、それぞれの方式で、主を賛美します。

B白い衣の人々:
キリストの贖いの血潮によってきよめられた純潔と患難を通過して練りきよめられた品性の象徴です。私たちのきよめは、自分の克己努力によるものではなく、キリストの血潮のみによるものです(ヨハネ1:7)。その上に、私たちが艱難を通過することによって更に練りきよめられます。ペテロは、「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつ尚朽ちていく金よりも貴く、イエス・キリストの現われのときに称讃と光栄と栄誉になることが分かります」(第一ぺテロ1:7)、と語っています。艱難という試練の炎を通してのみ、磨かれねばならない品性があるのです。

C勝利と救いを賛美:
地においては悩み苦しみが満ち満ちていますが、最終的な救いと勝利を与え給うのは、父なる神、そして小羊なるキリストです。この「救い」(10節)には、二重の意味があるように思います。一つは、私たちの滅びに対して、贖いをあてがい、永遠の救いに入れ給うこと、もう一つは、艱難の只中にあって、私たちの魂と肉体を悪の手に任せ丸ら無いといい実での救いです。

D主のご臨在と慰め:
主は、彼らの涙をすべて拭い去り給うお方です。私たちが神の聖所におり、神もそこに親しく臨在を表しなさいます。私たちはすべての飢え乾きから卒業します。主ご自身が彼らの目の涙をふき取ってくださいます。
 
4.諸国民の礼拝の挑戦
 
 
この諸国民の礼拝は、私たちに宣教への挑戦を与えます。

@この大群衆に私たちが加わること:
贖いの恵みを個人的にしっかりと受け止め、信仰をもって自分に当てはめることです。

Aこの群衆に私たちの隣人を加えること:
私たちのそばにいる友人・家族にこの福音を伝えましょう。

B世界宣教に貢献すること:
諸国民の礼拝を実現するために、自分が宣教師になり、諸国・諸民族に福音を広めることです。私たちが祈りの中に目指しているのは、主イエスの救いに与り、その救いを感謝する民を一人でも多く与えられることです。それも、一つの限られた民族からではなく、諸民族・諸言語の人々に広く福音をつたえることです。WGMの宣教大会の開会礼拝は、40カ国の国旗を掲げた宣教師または現地クリスチャンの入場行進から始まりました。そして、閉会礼拝は、引退する宣教師が新任の宣教地に松明を引き継ぐという非常に印象的な儀式でありました。私たちの多くは、直接的にこうした海外宣教の働きに加わることができないかもしれません。しかし、祈りにおいて、献金において、また、現地を訪れることにおいて、宣教の最前線に加担することができます。

この大きな希望を持って、今週もそれぞれの営みに励みましょう。
 
お祈りを致します。