ここにおける礼拝の特徴は、諸国・諸民族・諸言語の民が数え切れないほど集まってきて、王座におられる小羊・キリストに賛美をささげることです。これは何という感動的なシーンでありましょうか。私たちの時代に、似たような光景を探すとすれば、オリンピックの入場行進でありましょう。ギリシャから始まり、アルファベット順の国別に、民族衣装に身を包み、夫々の国旗を振りながら胸を張って入ってくるあの感動的な行進に似たものです。彼らは国家元首の前を通る時、胸に手を当てて敬意を表しますが、この群衆は、王なる主イエスに対して、命をかけたその贖いの故に、心からの賛美をささげ、栄光をお返しします。 |
私たちがサッカーの勝利に感激するよりも、その他のどんな楽しいこと、嬉しいことを経験するに勝って、私のために命をかけてくださったお方にお会いするに勝る感激は、いかばかりでしょうか。 |
ここに記されている礼拝の姿から、幾つかの大切なレッスンを学びます。 |
@数え切れないほどの大群衆: 私たちは、宣教の業が遅々として進まないことに苛立ちを覚えたり、失望することがあります。しかし、種を携え、涙を流して労苦する伝道の業は、思いがけないところで実りとなり、束を携え、喜びの叫びを挙げる時がきます。希望を持ちましょう。 |
A諸国・諸言語の民: キリスト教は白人の宗教のように思う人がいるかもしれませんが、それは誤りです。今や、宣教の主体は、ラテンアメリカ、アフリカ、そしてアジアに移っています。それらの諸民族の力強い宣教の結果として、多くの国民が、それぞれの言語で、それぞれの方式で、主を賛美します。 |
B白い衣の人々: キリストの贖いの血潮によってきよめられた純潔と患難を通過して練りきよめられた品性の象徴です。私たちのきよめは、自分の克己努力によるものではなく、キリストの血潮のみによるものです(ヨハネ1:7)。その上に、私たちが艱難を通過することによって更に練りきよめられます。ペテロは、「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつ尚朽ちていく金よりも貴く、イエス・キリストの現われのときに称讃と光栄と栄誉になることが分かります」(第一ぺテロ1:7)、と語っています。艱難という試練の炎を通してのみ、磨かれねばならない品性があるのです。 |
C勝利と救いを賛美: 地においては悩み苦しみが満ち満ちていますが、最終的な救いと勝利を与え給うのは、父なる神、そして小羊なるキリストです。この「救い」(10節)には、二重の意味があるように思います。一つは、私たちの滅びに対して、贖いをあてがい、永遠の救いに入れ給うこと、もう一つは、艱難の只中にあって、私たちの魂と肉体を悪の手に任せ丸ら無いといい実での救いです。 |
D主のご臨在と慰め: 主は、彼らの涙をすべて拭い去り給うお方です。私たちが神の聖所におり、神もそこに親しく臨在を表しなさいます。私たちはすべての飢え乾きから卒業します。主ご自身が彼らの目の涙をふき取ってくださいます。 |