礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2010年7月11日
 
「働きに表れる信仰」
第一テサロニケ書連講(1)
 
竿代 照夫 牧師
 
第一テサロニケ1章1-3節
使徒の働き17章1-9節
 
 
[中心聖句]
 
  2,3   私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
(第一テサロニケ1章2-3節)


 
聖書テキスト
 
 
(Tテサロニケ1章)
1 パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。
2 私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、3 絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
(使徒17章)
1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。
5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。
 
はじめに
 
 
ローマ書、イザヤ書、ピリピ書、ヨナ書と、新・旧約を交互に講壇で取り上げました。聖書は五目飯のようなもので、信仰者に必要なすべての栄養素がバランスよく含まれていますので、私は連続講解が好きです。ヨナ書を終え、今度はピリピ書とは類書といえる第一テサロニケ書を取り上げます。若い教会ですが、私たちが模範とすべき多くの良き点を持っていますし、その弱点からも、反面教師的に多くを学ぶことができるからです。
 
I.第一テサロニケ書について
 
 
その執筆事情、アウトライン、パウロ生涯の年表、地図については、お配りしましたメモをご覧ください。(以下はメモそのまま載せました。この説教においては詳しく触れません。)

A.その概要

1.著者:
パウロ(とシラスとテモテ)

2.宛先:
(マケドニア州)テサロニケにある教会

3.執筆事情:
50年頃、パウロはその第二次伝道旅行において、ピリピ教会の次にテサロニケ教会を開拓した(使徒17章)。しかし、その直後に迫害が起き、パウロはテサロニケを離れることとなった。その後の状況を心配して、テモテを派遣した(3:2)。そのテモテが教会の進展についての良き報告と、憂慮すべき諸点の報告を齎した。進展ゆえの感謝と、憂慮すべき点についての是正のためにこの手紙が書かれた。

4.内容:
本質的に、これは「感謝の手紙」である。そこに、心血を注いで伝道したパウロの姿と、それを素直に受け取ったテサロニケ教会のうるわしい姿が描かれている。また、新しく誕生したばかりの教会が抱える道徳的課題、社会的課題、再臨問題に対する、行き届いた勧告がなされ、その中にキリスト教の大切な真理が示されている。

5.鍵の言葉:
「あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」(1:7)

B.アウトライン

■挨拶1:1

■テサロニケ教会に関する感謝と祈り1:2-3:13

感謝1:2-3
模範的教会1:4-7
教会の評判1:8-10
パウロの伝道態度2:1-12
テサロニケ人の受容2:13-16
教会への愛と関心2:17-20
テモテの派遣と彼の報告3:1-10
テサロニケ教会への祈り3:11-13

■テサロニケ教会に対する勧告4:1-5:24

性的純潔4:1-8
責任ある社会行動4:9-12
死者と再臨との関係4:13-18
再臨の時期5:1-11
教会の勤め5:12-15
個人の信仰生活5:16-22
聖化のための祈り5:23-24

■挨拶と祝祷5:25-28

C.パウロの生涯と手紙

D.地図

 
U.テサロニケという町について
 
1.誕生
 
 
・BC4世紀、カッサンドラが新町を建設:
テサロニケという町は、エーゲ湾の海港都市で、BC4世紀ごろ、アレクサンドロス大王の妹テッサロニキの夫カッサンドラ(マケドニヤ王)によって、新しい町造りがなされました。

・テッサロニキに因んで命名:
カッサンドラは、新町をその妻の名に因んで、テサロニケと名付けました。重要な海港都市として、商業と交通の中心となりました。また、大きな市場、競技場、神殿を備えた近代的都市となりました。
 
2.マケドニヤ州都に
 
 
・168BCにローマが占領:
168BCにローマによって占領され、マケドニヤ州の州都と定められました。

・42BCに自由都市に:
その後ローマ内戦の時オクタビアヌスに味方した功績で、42BCに自由都市となり、民主的に自分たちの支配者を選ぶ権利を与えられました。

・諸民族を集める国際商業都市:
町はマケドニヤの文化・商業・政治の中心地として繁栄し、多くの民族を集めた国際都市となりました。

・ユダヤ人も多く在住:
ユダヤ人も(ピリピと比べると)はるかに多く在住し、そのための会堂(シナゴーグ)も建てられていました。
 
3.現代のテッサロニキ
 
 

現代のテッサロニキは、古代テサロニケから60kmほど離れたところに存在しており、ギリシャの第二の都市として発展しています(市の中心部の写真参照)。
 
V.教会の誕生
 
 
この部分は、使徒の働き17章を見ましょう。
 
1.ピリピからテサロニケへ(1節a)
 
 
1節「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。」ピリピでの成功ある教会建設を終え、パウロとシラス、そして幾人かの同行者たちは、エーゲ海の沿岸をイグナシア街道沿いに西に向かって進みます。ルカはこの時ピリピに残ったようで、16章では、一貫して一行が「私たち」だったのに、17章から「かれら」に変わります。聖書は細かく読むととても面白い本です。途中のアムピポリスとアポロニヤは、比較的小さい町だったので、パウロ達はそこを通るだけでその先の大都市であるテサロニケへ向かいます。
 
2.会堂での教え(1節b-3節)
 
 
1節b−4節を読みます。「そこには、ユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。』」と言った。」ピリピにはユダヤ人が少なく、彼らの会堂がありませんでしたので、パウロは伝道のきっかけとして、川沿いの祈り場を使いました。今度は会堂がありましたので、その礼拝に加わります。そこでいきなりパウロは説教を始めるのです。パウロは立派な教師(ラビ)の資格を持っていましたから、会堂に入るや否や、「先生どうぞお話し下さい。」となる訳です。待ってましたとばかりにパウロは講壇に立ち、旧約聖書が予言しているメシヤ(キリスト)は、苦難を受け、殺され、そして甦るべき方なのだと論証します。恐らく、イザヤ書53章、詩篇16篇などが引用されたことでしょう。そして、そのメシヤとは、ナザレのイエスの事なのだと、力強く論証します。
 
3.テサロニケ人の受容(4節)
 
 
4節を見ると、「彼ら(ユダヤ人)のうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。」と三つのグループの反応が記されています。

多くではないが、幾人かのユダヤ人が理解し、クリスチャンとなりました。その内の一人がヤソン(これはユダヤ名です)で、パウロ達を迎え入れて宿を提供しました。もう一つのグループは、「神を敬うギリシャ人」です。この人々は、パウロの伝道以前からユダヤ人会堂に出席していた、いわばユダヤ教への求道者たちです。ユダヤ教に帰依した人は「改宗者」と呼ばれますが、そこまでは行かなかったが、唯一の真の神を心の中で信じていました。この人々が、パウロの勧めによってクリスチャンとなったのです。(ユダヤ人たちにとっては、折角の求道者を鳶にさらわれた思いだったことでしょう)第三は、町の貴婦人たちです。どのような経緯かは分かりませんが、この人々がクリスチャンとなりました。第四のグループもいたと思われます。それは、この会堂にいなかった多くのギリシャ人で、偶像と不道徳的な生活を捨てて、活ける真の神に立ち返りました(Tテサロニケ1:9)。

その意味で、パウロの滞在は、「三つの安息日にわたり」という言葉から3週間前後の長さであったとする意見もありますが、多くの注釈者たちは、3週間よりもずっと長い滞在を考えます。
 
4.ユダヤ人の迫害(5-9節)
 
 
5−9節を見ます。「ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。『世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。』8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。」説明を省略しますが、何と嫉妬深い、乱暴な、卑劣な人々であったことでしょう。

 
5.パウロの避難とテモテの派遣 (10節、3:1-3)
 
 
10節には、信仰を持った兄弟たちが夜のうちにパウロとシラスを送り出したと記されています。つまり、もう自分達の牧師を守ろうと言うほど、教会が成長していたわけです。このような慌しい別れでありましたので、パウロはベレヤを経てアテネまで着いたとき、フォロアップのためにテモテを遣わしたのです(3:1−3)。そしてその報告に基づいて書かれたのが、この第一テサロニケ書なのです。ずいぶん前置きが長くなりました。
 
W.第一テサロニケ書の書き出し(1:1−3)
 
 
今日は1−3節のみに注目したいと思います。
 
1.挨拶と祝祷(1節)
 
 
「パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

・共同差出人:
3人の共同差出人となっていますが、今までのお話でその事情がお分かりでしょう。つまり、主な著者のパウロ、パートナーのシルワノ(シラスの別称)、そして、パウロの弟子で先ほどまでテサロニケにいたテモテ、とこうなります。

・宛先:
宛先はテサロニケ人の教会ですが、「父なる神および主イエス・キリストにある」という表現が重いですね。教会は人間の所有物ではなく、神のものであることを明確に意識しています。

・「恵と平安」の祈り:
「恵と平安」は祝祷の二大要素です。神の豊かな恵みと神だけが与えうる平安が皆さんのものであるようにとの願いです。
 
2.テサロニケ教会のゆえの感謝(2-3節)
 
 
「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」

何と麗しい書き出しでしょうか。2年ほど前に書いたガラテヤ書は、「あなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。」(ガラテヤ1:6)という厳しい叱責から始まっていますが、このテサロニケ教会は違います。

・感謝をもって覚えられる教会:
「私たちは」というのは、パウロ、シラス、テモテ、ルカたちの仲間のことです。皆で一緒に祈る時を持っていたのでしょう。その時に、あれが心配、これが心配と言う思いでなくて、テサロニケのために祈るたびに、良い事、励まされること、感謝なことが溢れてくる、と言うのです。牧者が、この羊あの羊を思い出すたびに、眉間に皺がよるような存在ではなく、顔が綻んでくるような、そんな羊でありたいものですね。

・「信・望・愛」の表れが「働き・労苦・忍耐」:
その感謝の理由は、テサロニケ教会メンバーの「信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐」というのです。この手紙の5年ほど後に記された第一コリント13:13には、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」と、パウロの大好きなトライアングル「信望愛」が紹介されています。このテサロニケの手紙は、その走りでありましょう。良き働きとなって現れる信仰、労苦となって現れる愛、忍耐という形で現れる希望という三つの要素がテサロニケ・クリスチャンの間では顕著である、と思い出しているのです。

・「良い働き」となって表れる信仰:
その内の第一、信仰の働きについて言及して、今日のメッセージを終わります。ここでパウロが言おうとしているのは、テサロニケの人々が持っていた信仰は、良い働きとなって現れるような、そんな生きた信仰であると言うことです。確かにパウロは「信仰のみ」を説いていますが、それは良き行いと切り離されるものではなく、良き行いに現れるべきものなのです(ローマ3:31「それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。」)。

・迫害に耐える根深い信仰:
具体的には、テサロニケで起きた迫害の時に、未だ信仰年限で言えば日浅いクリスチャン達が体を張ってパウロを守り、危険から救い出してくれた行為をさしていると思われます。言い換えれば、迫害に耐える信仰、本物の信仰、筋金の通った信仰のことです。主イエスがなさった「種まきの譬え」を思い出してください。土壌によって種の成長が違ってくると言うあのお話しです。第二の土壌は石地でした。そこに落ちた種は直ぐに芽を出しますが、その根が深くなかったために、迫害・試練が襲ってきた時にたちまち枯れました。種が必要としているのは、柔らかい水気の多い場所です。ゆっくりとその信仰の根を下ろす、それには時間がかかります。自分の心を深く見つめ、真剣な真実な悔い改めを伴って信じる信仰、それが根の深い信仰です。そして、それは、多少の迫害によって動かされることなく、却って、強くされ、多くの良き業に現れるものです。

・信仰経験の明確さ:
テサロニケ人クリスチャンの特徴は、その信仰経験の明確さにありました。偶像を捨て、活ける真の神に立ち返ったその原点が明確であり、そこに立ち続けたことが力でした。
 
おわりに
 
 
私たちの信仰を吟味しましょう。大きさは別としても、このテサロニケ人が持っていたような性質の信仰を持とうではありませんか。
 
お祈りを致します。