礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2010年8月8日
 
「すべての信者の模範」
第一テサロニケ書連講(5)
 
竿代 照夫 牧師
 
第一テサロニケ1章4-10節
 
 
[中心聖句]
 
  6,7   あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。
(第一テサロニケ1章6-7)


 
聖書テキスト
 
 
4 神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。5 なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。7 こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。
8 主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。9 私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、10 また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。
 
はじめに
 
 
先週までは、1:3にある「三つ葉のクローバー」である「信仰(の働き)、愛(の労苦)、望み(の忍耐)」に三週間留まってしまいました。今日は少し前進します。
 
1.「模範」と言うことば
 
 
・模範的教会:
第一章のタイトルとして、「模範的教会」と付けられることが良くありますが、これは7節の「あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になった」に基づいています。ただ、「模範」と言う言葉は、余り魅力ある言葉ではありませんので、これを説教題にすることには少し躊躇がありました。あの人は模範生だと言うときには、何となく個性のないつまらない人間だと言うニュアンスが裏にあるからです。しかし、パウロがどんな意味でテサロニケ・クリスチャンを模範的だといっている内容を見ると物凄いチャレンジを見出します。

・模範(トュポス)=「型」:
ここで使われている模範と言う言葉はギリシャ語のトュポスです。トュポスとは「型」と言う意味です。雛形と言う意味です。この図面のとおりに幕屋を作りなさいと主がモーセにおっしゃった時の言葉です。また、コインなどを作るときの型もこの言葉です。ここでは、「他の人々が真似をする価値があるほど立派な」という意味です。

・単数:
パウロは敢えてトュポスを単数で使っています。つまり、テサロニケ教会は共同体として、模範的なのです。教会全体のあり方というか、雰囲気というか、それらが模範的でした。
 
2.どんな意味で模範的?
 
 
それでは、テサロニケ教会はどんな点で模範的だったのでしょうか。
 
@みことばを受け入れた点で
 
 
・苦難の只中で:
ユダヤ人および同国のギリシャ人の共同的迫害行為の只中でしたが、語る側が聖霊の確信によって語ったのに呼応して、聞く側も同じ御霊の働きの故に聖霊による喜びをもってみことばを受け入れました。「苦難」(スリプシス)と、葡萄を押し潰して葡萄汁とすると言うイメージで「押し潰す」と言う動詞から来た言葉です。つまり、ものすごい重圧のことです。比ゆ的に言えば、このプレッシャーが、実は甘い葡萄汁を生み出す元になる、と言うのは何とも嬉しい想像ではないでしょうか。

・伝道者の言葉を神の言葉として (2:13):
テサロニケの人々は、パウロのメッセージを額面どおり神よりの言葉として受け取りました。これはすごいことです。「こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」(2:13)

・お客さんのように心から:
この受け入れると言う言葉(デホマイ)は、お客さんとして温かく迎え入れると言う言葉です。外には迫害の嵐が吹き荒れていて、新米クリスチャンとしては大きなプレッシャーを感じていました。このプレッシャーの中で、福音の言葉を聞いたテサロニケ人は、それを宝物のように、お客さんのように貴いもの、素晴らしいもの、簡単に放棄すべきでないものとして受け入れたのです。その心もちが「聖霊による喜びをもって」と言う言葉で表わされています。苦難が喜びに変わるというのは、人間業ではありません。ただひたすら、聖霊によるみ業です。
 
Aパウロと主に倣っている点で
 
 
・見習うに価する伝道者(Tコリント11:1、4:16):
若いクリスチャンは、まず目に見える伝道者のことばと生活を見習います。「人を見たら躓きます。キリストだけを見上げてください。」という伝道者もあり、これは真理ですが、しかし、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(Tコリント11:1、4:16)と確信を持っていわねばならぬのも伝道者です。そこに伝道者の真剣さがあります。勿論、伝道者は完全ではありえません、しかし、真に福音に生きようとする姿勢において、主に従って生きようとする姿勢において、ノンクリスチャンや信仰の新しい人々に対して、私を見習ってください、と言えるものでなければなりません。

・他のクリスチャンの模範となる:
さて、テサロニケ・クリスチャンが主と伝道者の忍耐に倣っているというその姿勢が、他の方々の中に、彼らに倣いたいという気持ちを起こさせたのです。テサロニケ・クリスチャンが模範となったとは、その意味です(イラスト参照)。
・主と伝道者に倣った:
テサロニケのクリスチャンは、主とパウロ達に倣うものとなった、とあります。どんな意味で主とパウロ達に倣ったのでしょうか。レオン・モリスという注解者は、「喜びをもって主が十字架の苦しみを担われたその模範のことだ(ヘブル12:2)」と解説しています。私は賛同します。パウロも、キリストに倣って喜んで苦難を忍びました。そして、弟子であるテモテに向かって、「私と苦しみを共にしてください」(Uテモテ2:3)と語ります。テサロニケ・クリスチャンが主と伝道者に見習ったのは、実にこの点でした。つまり、喜びをもって苦しみを忍ぶという点だったのです。

 
B偶像を捨てた点で
 
 
・偶像を拝まない:
偶像礼拝は、テサロニケにおいて非常に一般的なものでした。彼らの「偶像教」がどんなものであったかは言及されていませんが、典型的なギリシャ宗教であったと思われます。ギリシャ神話の神々があちこち祭られており、神殿が建てられていたことでしょう。新しくキリストに帰依した人々は、偶像教の愚かさ、無意味さが分かって、そこから離れました。福音がしっかりと捉えられると、強制されなくても偶像は私たちの心から去っていきます。

・偶像と関連した不道徳から離れる:
偶像礼拝は様々な不道徳的行為と絡んでいました。テサロニケ・クリスチャンは偶像礼拝の虚しさを悟り、これとはっきり訣別しました。その不道徳からも縁を切りました。

・偶像と関連した社会生活とも線引きをする:
偶像礼拝は彼らの内面だけではなく、社会生活、経済生活などあらゆる分野で彼らの生活を支配する原理であり、仕組みでした。今日の日本においても、お祭りとか、お盆とか、色々な形で、偶像礼拝が社会生活・家庭生活に影を落としています。彼らはこれらについてはっきりと線を引いたのです。
 
C活ける真の神に仕えている点で
 
 
・自発的にしかも徹底的に:
テサロニケ・クリスチャンは、活ける真の神に仕えるようになりました。この「仕える」(ドューリュウオー)とは「奴隷として仕える」という意味です。間違わないで下さい。奴隷的な気持ちで、へまをすると叱られるという恐れから、びくびくしながら仕えることではありません。愛の奴隷として自発的にしかも徹底的に仕えるということです。

・温かい、親しいお方として:
しかも「活ける神」と書いてあることが面白いですね。テサロニケ・クリスチャンは神様を遠い・恐い・厳かな存在としてではなく、身近な・温かい・親しいお方として仕えたのです。日々の祈りと交わりの中で、共に集まる礼拝の形で、日々の仕事や家庭生活の中で、神に従う喜びの中に生きていたのです。前に述べた偶像に話題を戻しますが、神第一の生活を活き活きと送っていると、偶像が入ってくる余地がなくなります。現代の偶像とは、目に見えるものだけではなく、財産、名誉、人物など心の中で神以上の立場をもつ全てのもの、と言われていますが、これらを必死に切り捨てるのではなく、神との活き活きした交わりの中に生き続けていると、偶像は姿を消します。
 
D再臨の主を待ち望んだ
 
 
これは先週、希望について述べましたので、省略します。でも一点だけ、付け加えます。林間聖会で、錦織寛先生が「この望みをいだく者は」と題して、キリストと目と目を合わせてお会いする再臨の望みを語ってくださいました。何よりも、私はそのお話しの時の先生の顔の輝きを忘れることができません。(序ながら申し上げますが、私は説教と言うものは顔を見ながら聴くものだと思います。テープも悪くはありませんが、その場にいたものしか分からない恵みというものがあります)。この望みを抱いているからこそ、罪から離れ、兄弟を心から愛することができるのです。
 
3.だれの模範になったか
 
@マケドニヤとアカヤとの全ての信者に対して
 
 
ギリシャは、ローマ帝国によってマケドニヤ(州都はテサロニケ)とアカヤ(州都はコリント)という二つの州に分けられていました。その二つの州にピリピ、ベレア、コリント、ケンクレア、などの新しい教会が次々誕生していました。それらの教会にテサロニケ・クリスチャンの評判が鳴り轟いたのです。「あなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっている」とか、「それらのことは他の人々が言い広めている」というのは素晴らしい表現ですね。それはテサロニケ・クリスチャンが自己宣伝したからではなく、他の人々が言い広めたからなのです。俺たちは模範とならなくちゃ、と頑張ったのではありません。喜んで神に仕える生き方を自然体で続けていただけです。しかし、それが模範となったわけです。テサロニケのクリスチャンはその行動と生活を通して、信仰の素晴らしさを証しました。偶像的な信仰、それに伴う様々な不道徳・不潔からキッパリと足を洗って、活ける眞の神に仕える明確な回心、互いの愛によって特色付けられる麗しい信仰の共同体の姿、これらは、近隣のクリスチャン達、そしてノン・クリスチャン達の間でも評判となるほどでした。
 
Aあらゆるところ
 
 
テサロニケ人は、マケドニヤとアカヤを超えたあらゆるところにつながりを持っていたことを示唆します。テサロニケの戦略的位置について、ある注釈者はこう語ります、「キリスト教がテサロニケに到着したということの重要さは、いくら強調しても足りないほどのものである。・・・それはイグナチア街道に沿って全アジアを征服するまで、そして西へといえばローマの町まで嵐の勢いで拡張されていくこととなる。キリスト教がテサロニケに来たという事実は、キリスト教をして世界宗教とする一大転機の日が来たことを意味する。」と。神が大きな力をもってテサロニケ・クリスチャンの間に働いておられることが世界中の人々の評判になったのは、彼ら自身がびっくりするほどでした。私達も、計画したわけではないのですが世界都市である東京に住んでいます。この意義は大きなものです。私たちが一生懸命、地道に主に仕えている姿が、どれだけ多くの人々に、影響を与えているか計り知れません。ラッパを鳴らす必要はありませんが、静かな証し人となりたいと祈ります。
 
おわりに
 
 
パウロの伝道したところすべてがテサロニケのようではありませんでした。主は、格別にテサロニケ市民の心を備えていてくださったのでしょう。私たちがここから学ぶのは、主のみことばを額面どおり素直に受け取り、信じ、実行することです。祝福を祈ります。