|
聖書テキスト |
|
|
18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 |
19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 |
22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) |
24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。 |
|
|
|
始めに |
|
|
昨週は、アドベント第一講壇として、信じ切る者の幸いを歌ったエリサベツの告白を学びました。今日は、ヨセフを取り上げます。主のお誕生で大切な役割を果たしながら、余り脚光を浴びなかった地味な人間ですが、私達に多くの教訓を与えてくれます。 |
|
|
A.ヨセフの悩み |
|
1.ヨセフと言う人物 |
|
|
・名前の意味: ヨセフとは、「加える」という意味です。中々子供が与えられなくて焦っていたヤコブの妻ラケルが、やっと念願適って男の子が与えられた時、もう一人加えられるようにと、この名前を付けたのです。 |
・旧約のヨセフ: そのヨセフは、イスラエルの始祖ヤコブの12人の11番目の男の子で、エジプトの宰相になった人です。 |
・新約のヨセフ: それから下ること約2千年、ユダ族で、ダビデの子孫に同じ名前の人物が登場します。それがマリヤの夫ヨセフです。イスラエルの輝かしい歴史を形づくったダビデ王の直系であることは系図からも明らかです。しかし、何かの理由でガリラヤの田舎であるナザレ村に身を落とし、細々と大工をしながら生計を立てていました。そもそもガリラヤとは、「苦しみのあった所・・・はずかしめを受けた所・・・異邦人のガリラヤ」(イザヤ9:1)と言われているほど僻地と考えられていました。それは昔イスラエルが真っ先に捕囚の憂き目にあい、異邦人との混血がなされたのがこの地方だったからです。ヨセフの中には、先祖にダビデ王始め、イスラエル復興の指導者を持っていたという誇りもあったでしょうが、今は落ちぶれているという屈辱の織り混ざったものがあったことは容易に想像できます。 |
|
|
2.マリヤとの婚約 |
|
|
ヨセフはマリヤと許嫁の間柄でした。ユダヤにおける婚約は、今日の婚約よりもはるかに強固な関係でした。 |
・両家の合意で花嫁料の交付により成立(結婚の一年前): 当時の習慣として、男性は18−20歳、女性は12−14歳くらいが適齢期とされていました。婚約の過程はおよそ次のようです。 |
@両家の合意 A花婿側から花嫁の父に花嫁料が支払われる B両家がそれを発表する C一年間は、それぞれ両親のもので別居する D一年後に結婚式を挙げて共に生活をする |
・法的には夫婦: このケースは、正式な婚約が発表されており、法的にはマリヤは「妻」と呼ばれていました。19節に「夫のヨセフは・・・」とありますし、20節には、「あなたの妻マリヤを・・・」とあります。さらに、24節には、「その妻を迎え・・・」とあります。ルカ2:5にも「いいなずけの妻マリヤ」という表現がある通りです。 |
・この期間一緒に住むことはない: しかし、この期間、互いに行き来したり、デートしたりも殆どなされませんでした。まして、体の交わりは全く考えられませんでした。現代は、このルールは全くルーズと言うか、めちゃくちゃです。この辺に社会の混乱の源があります。私たちクリスチャンは、決してユダヤ教的な習慣に従っているわけではありませんが、その基礎にある性の純潔はしっかりと継承しています。使徒15章で、非ユダヤ人のクリスチャンに律法の枷を課してはならないと信仰の自由が謳われていますが、同時に、信仰者の守るべきミニマムの4項目に「不品行を避けること」が入っていること(使徒15:29)も忘れてはなりません。 |
|
|
3.マリヤの懐妊とヨセフの困惑 |
|
|
・マリヤ懐妊の驚き: この時に、マリヤが「身重になったことが分かった」のです。誰が発見者だったのかは説明されていませんが、自然に考えれば、マリヤの両親だったと考えられます。マリヤ自身は、この説明を御使いガブリエルから受けていましたが、その説明をヨセフにはしていなかったのでしょう。ですから、ヨセフにとってマリヤの妊娠はびっくり仰天であったのです。驚きよりも、悩みでした。誰がその相手なのか、それを問い詰めるべきなのか、正に眠れぬ日々を過ごしました。 |
・ヨセフの取りうる選択肢: 彼は「正しい人」(律法にかなった生き方をする人)でしたから、この問題をうやむやにして結婚に進むことは潔くないと感じました。彼が取りうる選択肢は以下の三つであったと思われます。 |
a.彼女を公に糾弾して処刑:これを公にしてマリヤを裁くことです。これは、律法上の要求でもあったのです(申命記 22:23,24には「ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」と記されています)。 |
b.離婚状を裁き司に提出し、公に離婚:実際当時としては、石打ちは余り行われず、離婚状を書いてそれを法廷に持ち出し、離縁を公表するやり方が行われていました。これが、正義の要求するところですが、結果としては、「彼女をさらしものにする」事になります。これは、申命記24:1「人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない。」に基づいた処置です。 |
c.離婚状を二人の証人に提出し、密かに離婚:これは裁き司の前にそれを持ち出して合法的な審判をして貰うことで可能となります。ヨセフはマリヤを深く愛していましたから、彼女に公的な恥さらしを与えることなく、「内密に去らせようと決めた」のです。 |
・正義と愛との狭間に立って: さて、今述べた選択肢のどれも、「別れる」という点は共通です。共に住むという選択肢は残されていませんでした。それは、「不道徳」を承認してしまうことになるからです。「別れる」ことは、自分の身を引き裂くことです。マリヤを愛していたヨセフにとって、想像することすら苦痛でした。同時にマリヤを信じていましたから、どうしてこうなったのか、どうしても納得できません。皆さんは、このような悩みと言うかジレンマが理解できますか。形や人間関係は違っていても、私たちにはこのようなどうにもならない悩みに直面することがあるものです。 |
|
|
B.天使のみ告げ |
|
1.天使の登場 |
|
|
・夢による神の介入: しかし、この時に神の介入がありました。「見よ」という強調語で、御使いが登場します。この天使は、ヨセフに対して夢で現れました。すべての夢が予言であるとは限りませんから、あまり夢に頼ってはいけませんが、ヨセフの場合には、このように主は語られたのです。 |
・ダビデ王の栄光とメシヤ予言を想起: 「ダビデの子ヨセフ」という語りかけは、ヨセフの家系の光栄を思い出させます。彼の先祖はイスラエルを栄光に導いたダビデ王でした。それだけでなく、そのダビデ家からメシヤが誕生すると言う大きな可能性を秘めた呼び名です。 |
|
|
2.天使のメッセージ |
|
|
・マリヤの懐胎が聖霊による: 天使は、マリヤの懐胎が聖霊によったものであることを告げます。これはヨセフの眠れないほどの悩みにストレートな解決を与えるものでした。 |
・子供の名は「イエス」: さらに、その子供はイエスと言う名前が付けられるべきであり、そのイエスは、その民を罪から救う者であることが、そのメッセージでした。 |
・マリヤを受け入れるべきこと: 天使は、マリヤとの関係で悩んでいたヨセフに対して、恐れることなくマリヤを妻として家に迎え入れるように命じます。ヨセフの悩みは終わりました。 |
|
|
C.ヨセフの服従 |
|
1.マリヤとの結婚 |
|
|
・マリヤを家に迎える: この時、彼女を「妻」として受け入れる決意を致します。その決断が彼の名誉も評判も傷つける結果となることは目に見えていました。つまり、結婚前に子供を作ってしまったという(当時で言えば)耐えがたい非難・中傷が巻き起こることは、容易に予想されました。しかし、ヨセフは、敢えて主に従い、マリヤを守るためにその道を選びました。 |
・即刻的、無条件的服従: その行動は即刻的、無条件的でした。恐らくこの日からそんなに遠くない日にごく内輪の結婚式を挙げて、マリヤを妻として迎えたと思われます。ヨセフはこれを義務としてよりも大きな安堵感と喜びをもって行った事は推測に難くありません。ある注釈者は「ヨセフの信仰は、彼が受けた命令に対する即刻的な服従によって示されている。」と語りました。本当にその通りと思います。従うんだけれど、いやいや従ったり、注文を付けて従ったり、少し変更を加えて従ったり、今日すべき事を明日あさってに延ばしたりと言うのは本当の服従ではありません。従うならば、ヨセフのように気持ちよく従いたいものです。 |
|
|
2.マリヤを守る |
|
|
・節制と配慮と尊敬をもって: 結婚をして、同じ屋根の下に住むことになったものの、かれは、マリヤと夫婦としての営みは慎みました。25節の「子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく」という文章は、女性を欲望の対象としてしか見ない世の多くの男性が、拳々服膺して読まねばならぬことばであると思います。ここにも彼の自制心、マリヤへの尊敬、神の御心への従順が伺えます。ヨセフは彼女を宝石のように大切にあつかったのです。ジェントルマンの鏡のような男です。しかし主イエスの誕生の後は普通の夫婦になった事はごく自然な事で、それによってイエスの弟妹が多く生まれました。カトリックはマリヤの永遠の処女性を主張し、この弟妹達は別な夫婦の子供と考えますがこれはこじつけでしょう。 |
|
|
3.救い主を守る |
|
|
この後の物語は項目だけにとどめます。 |
・ベツレヘムへの旅行:妻への配慮 ・8日目の宮参り:「父親」の責任 ・エジプトへの逃避行:家長としての果断 ・ナザレへの帰還:大工仕事に専念 ・12歳のイエスと上京:イエスの立場を理解 ・多くの子女を儲けつつ、若くして逝去 |
|
|
終わりに |
|
|
・与えられた小さな役割を果たそう: 私達に与えられた役割は、自分がその大切さを充分には自覚していない場合があります。自覚していてもいなくても、その小さな役割を誠実に果たす時、神の救いの歴史から見て大きな役割を果たすのです。与えられた小さな務めに忠実でありたいと思います。 |
・主のみこころに喜んで従おう: このヨセフから教えられることは、神の導きに対して、色々と疑問やら注文はあったかもしれませんが一切それを論わないで、まっすぐに従った点です。私たちも日々の生活の中で、教会生活の中で、主の導きに喜んで従うものでありたいと思います。 |
|
|
|