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全テキスト:真の礼拝 |
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A.裁きのために神は現れ給う: |
1 神の神、主は語り、地を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで。 2 麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。 3 われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火があり、その回りには激しいあらしがある。 4 神はご自分の民をさばくため、上なる天と、地とを呼び寄せられる。 5 「わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。」 6 天は神の義を告げ知らせる。まことに神こそは審判者である。セラ |
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B.形式的な礼拝に対する叱責: |
7 「聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。 8 いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。 9 わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。 10 森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。 11 わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。 12 わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。 13 わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。 14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。 15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」 |
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C.邪悪なものに対する叱責: |
16 しかし、悪者に対して神は言われる。「何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。 17 おまえは戒めを憎み、わたしのことばを自分のうしろに投げ捨てた。 18 おまえは盗人に会うと、これとくみし、姦通する者と親しくする。 19 おまえの口は悪を放ち、おまえの舌は欺きを仕組んでいる。 20 おまえは座して、おのれの兄弟の悪口を言い、おのれの母の子をそしる。 21 こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる。 |
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D.結論的勧告: |
22 神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。 23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」 |
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1.一年を振り返る |
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・世界と日本: 暗さの増加:あと5日で2010年を終わろうとしています。メディアなどでは、一年の回顧がなされていますが、この年を振り返りますと、いつもながら暗いニュースが多かったと感じます。そして、その暗さの度合いが年々深まっていく感を持ちます。北朝鮮とその背後にある中国の存在がこれほど日本と世界に重く感じられた年は無かったことでしょう。その困難に対処すべき日本の政府がこれほど迷走した年も今までにありませんでした。それら全てが年を越すわけで、私たちは目を覚まして、日本のため、世界のため祈り続けねばなりません。 |
・教会: 「全教会が、全世界に、全人的福音を!」:キリスト教世界では、昨年のプロテスタント宣教150年、第五回伝道会議に続いて、協力的な宣教運動が続いた年といえましょう。10月のローザンヌ世界宣教会議は、「全世界に全教会が全人的福音を」という大きなメッセージを内外に与えた金字塔といえましょう。 |
・中目黒: ミッション・ステートメント:インマヌエルの群では、全国壮年部大会、青年大会、とにキャンなど、壮年や青年の間で福音のために心を一つにしようという機運が盛り上がった年と覚えられると思います。中目黒教会では、ミッション・ステートメントを採択し、それに向かって小さな歩みではありますが、進み始めた年でした。 |
・年の終わりに、感謝のいけにえを!: 個人や家庭やその他のレベルでも、数えれば多くの恵を見出すことでしょう。それらを覚えつつ、詩篇50:23の御言が心に通っています。「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」この御言に焦点を当てて、幾つかの角度から味わいたいと思います。 |
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2.形だけの礼拝への警告(詩篇50篇) |
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・神から離れた生活を送っている民: 今日は50篇の全部を読む時間がありませんでしたが、この篇は、心が伴わない形だけの礼拝に対する、神のお叱りの言葉で満ちています。神は、イスラエルの民が律法のことばを語りつつ、実生活においてそれを捨てていることを戒めておられます。「何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。おまえは戒めを憎み、わたしのことばを自分のうしろに投げ捨てた。」(16、17節) |
・しかし、いけにえはキチンとささげる(?): そのような、いい加減な生活を送りながらも、彼らは神に捨てられることが恐ろしくて礼拝を捧げているのです。当時の礼拝とは、動物のいけにえを捧げることでしたから、礼拝のたびに、沢山の動物をいけにえとして捧げました。彼らの気持ちとしては、これだけ献金(品)しているのだから、多少の悪いことはお目こぼしをいただけるだろう、という安易な自己満足であったようです。遠い昔のことですから、実例を挙げても良いでしょう。仙台で伝道していましたおり、立派な服装をした実業家風の若いジェントルマンが時々礼拝に出席していました。若い時新学校にまで入った人でしたが、何か道が逸れてしまったようでした。出席するたびに、顔の違う女性を同伴してこられるのが気になりました。ある時、何かプレゼントを下さいました。活きのいい鮑が数個入っていました。私たちは何も考えずにおいしくいただいたのですが、後から、あれは密漁で得た鮑であると報告され、食べたことを大変後悔したことを思い出します。つまり、彼にとっては、疑問符を付けられるような生活やビジネスを続けながら、そのお詫びの印が礼拝出席であり、鮑の捧げものであったのでしょう。 |
・悔い改めと信仰の必要: この8−13節で、主が語っておられるのは、いけにえの目的は、主ご自分が何かを食べたいからではない、ということです。異教の神々は、いけにえを食べると言う思想があり、それゆえ、お供えが必要でした。しかし、活ける真の神は、その要求を満たすためにいけにえをささげる、いけにえを捧げてさえいれば神に喜んでもらえる、という浅薄な神観念を許しなさいません。真実な悔い改めと信仰の心なくして、どんな立派な牛羊を捧げたとしても、それは神に受け入れられません。 |
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3.真の礼拝:感謝のいけにえ(14,23節) |
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・50篇の目的:真の礼拝の姿を示す: この50篇は、形だけの礼拝を糾弾することが目的ではなく、真の礼拝とは何かをしめすポジティブな目的のために書かれています。それが、15節であり、23節です。「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」 |
・「いけにえをささげる」: 「いけにえをささげる」とは、一つの動詞でして、「ザーバク」(いけにえのために殺す)という意味です。そこから転じて、いけにえをささげて礼拝する、という意味になりました。現代は、いけにえという考えや行為をあまり目にしません。今、羊や牛を殺して神に捧げようなどと言いますと、動物愛護団体から大いに叱られてしまいそうです。しかし、旧約時代には、動物のいけにえは、とても大切な意味を持っていました。健康で価値のある動物を殺して神に捧げることでイスラエルの民は、@人間の罪はとても大きくて、そのままでは聖い神の前には出られないこと、A罪深い人間に比べて、神は絶対的に聖いお方であること、B動物の命が「身代わり」となることによって、神に近づくことが出来る(礼拝することができる)、という真理を実物教訓によってて学んだのです。この厳粛な事実をスキップして本当の宗教は成り立ちません。 |
・「感謝をささげる」: @「感謝」(トーダーハ)はヤーダーハという動詞から来た名詞です。この動詞は元々、「投げつける」という意味です。名詞としては、告白、感謝・賛美という意味です。A「感謝のいけにえをささげる」とは、「感謝の告白を、動物のいけにえのように恭しく神に差し出して礼拝する」という意味になります。英語訳を紹介します。“Sacrifice thank offerings” (NIV)となります。他の訳では“Offer thanksgiving” (KJ)「告白をいけにえとしてささげる」(新共同訳)です。ここで大切なのは、動物のいけにえに勝って、感謝のことばと心を捧げて神を礼拝することが強調されている点です。もちろんこの場合、動物のいけにえが否定されているのではなく、それと共に、感謝といういけにえを捧げることが勧められているのです。 |
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4.感謝の精神で生きる |
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・神への誓いを果たす: このような感謝のスピリットがありますと、その人生のすべてを通して、神に従い、神への誓いを果たす真実な生き方に表われます。 |
・神の栄光を表す: 感謝を捧げることで神の素晴らしさを表す):「感謝を捧げるものは、神の栄光を表し」ます。というのは、感謝を捧げる人は、すべての働きの背景に主のご干渉があると認めているからです。ですから、感謝を捧げること自体が、神の素晴らしさを表す(=つまり、栄光を表す)ことなのです。 |
・神の恵みが注がれる: そしてそのような人々に神は救いを見せてくださいます。つまり、その恵みが豊かに注がれるのです。 |
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おわりに:この年のすべての恵を数えつつ、感謝を捧げよう |
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コロサイ3:15-17 |
15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。 |
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これから聖餐式に臨みます。私たちのために命を捨て、肉を裂き、血を流してくださった主に対して、感謝を捧げましょう。 |
この一年のすべてのお導き、みまもり、供給、結実の故に心から感謝を捧げましょう。 |
私たちの周りにいる家族、信仰の友、あらゆる環境の故に感謝を捧げましょう。その感謝の念をもって、いつでも神の素晴らしさをあかししましょう。主に対して従順なものとなりましょう。 |
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