礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年1月16日
 
「御霊を消すな」
第一テサロニケ書連講(18)
 
竿代 照夫 牧師
 
第一テサロニケ5章16-24節
 
 
[中心聖句]
 
  19,20   御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。
(Tテサロニケ5章19-20節)


 
聖書テキスト
 
 
16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
19 御霊を消してはなりません。20 預言をないがしろにしてはいけません。21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 22 悪はどんな悪でも避けなさい。
23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
 
はじめに
 
 
前回は、16-18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」を取り上げました。神がすべてのことを支配し、すべてを益としてくださるという信仰、さらに、キリストの贖いのゆえに、喜び、祈り、感謝するクリスチャン生活が可能であることをお話ししました。

この教えは最高の教えであり、ここで終わっても良いように思えるのですが、パウロは、これに注意書き的な勧めを付け加えます。それは四つですが、それらに共通しているのは、霊的智恵です。熱心さは大切ですが、それに注意深さと智恵が伴うべきなのです。その勧めを一つずつ学びます。
 
A.霊的な敏感さについての勧め
 
1.御霊を消すな
 
 
・「喜べ、祈れ、感謝せよ」との繋がり:
「喜べ、祈れ、感謝せよ」という積極的な教えの後で、「御霊を消すな」という教えが来るのは、木に竹を接いだ感じがしなくもありません。でも、これは繋がっています。聖霊こそは、喜びの源泉であり、祈りへ導く霊感を与えるお方だからです。

・火に譬えられる御霊:
その御霊は、火にたとえられています。例として、マタイ3:11「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」、ルカ12:49、使徒2:3-4「炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ・・・」、が挙げられます。

・御霊を止める罪(エペソ4:30):
その御霊の働きを止めることが「消す」という表現になるのは自然です。御霊の働きは、私たちの怠惰、不道徳その他いろいろな形の不服従をもって止められます。エペソ4:30には「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」と記されていますが、その30節の前の29節には、「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」という勧めがあります。また、31-32節には「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。も避けねばなりません。」とあります。つまり、徳を立てないような悪口、優しさと赦しのスピリットではない「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、悪意」などが聖霊を悲しませるのです。この人は高貴な精神を持った人だ、と言うような友達をお持ちでしょうか。そういう人の前で、乱暴な物言いをすると、彼が悲しそうな顔をしますね。そのことに気付くような繊細さを私たちは聖霊様に対して持つべきなのです。

・御霊の賜物を燃え立たせる:
聖霊に対する罪を避けると言う消極的行動だけではなく、積極的には、霊的熱心さ燃やし続けることはもっと大切です。Uテモテ1:6には、ふいごに息を吹きかけるように、霊の賜物を盛んにしなさいという勧めがあります。「私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」とパウロは勧めています。霊の賜物を盛んにする風の中には、信仰、服従、規則正しい礼拝の姿勢が含まれます。霊の賜物をますます盛んにさせていただきましょう。
 
2.預言を大切に受け取りなさい
 
 
・初代教会における預言:
初代教会における預言とは、聖霊の感動を受けたものが語る説教、勧め、警告のことでした。

・預言の賜物の重要性:
パウロは、様々な賜物の中で、預言の賜物に高い位置づけを与えていました。Tコリ12:28を見ましょう。「神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」序列から言って使徒に次ぐ二番目のものと示されます。さらに、Tコリ14:1-5を見ます。「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。・・・預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。」異言と異なり教会の徳を高めるために有効と示されています。さらに、Tコリ14:39では、「預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。」と勧められています。というのは、預言こそは教会の基礎だからです。エペソ2:20「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」

・預言を軽く見てはいけない:
ですから、預言をないがしろにしてはならないのです。テサロニケ教会の場合、説教が軽んじられたことはないと思いますが、再臨に対する過度の強調の余り、健全な神の言葉の解き明かしを重んじない傾向が少し見られたと思われます。パウロの警告は、それに対するものでした。説教者を通して神の御言が語られる時、神が直接語っておられるかのように、しっかりと受け止めなさいと勧めているのです。パウロは、自分が語った時、テサロニケ信徒たちが神が語ったものとして真剣に受け取ったことを思い出し(2:13)、そのような態度をすべての説教者に示しなさいと勧めています。
 
3.正しい識別力を養いなさい
 
 
・にせ預言者の存在:
そこで一つの問題があります。講壇に立つすべての人を無批判に受け入れてよいかという問題です。預言の働きは、重要なものではありますが、同時に、偽預言者も入り込んでくる余地があります。ですから、パウロは、正しい識別力を養うように勧めているのです。ヨハネもまた、「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。」(Tヨハネ4:1)と勧めています。それほど、多くの人々が預言者を名乗って、神の啓示に反する教えを説いていたと思われます。

・真偽を見分ける力:
パウロは、「霊を見分ける力」(つまり、神から出ない霊と、神からの霊を見分ける力)は、神の賜物の一つだと強調しています。「ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」(Tコリント12:10)それに続いて、「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」(Tコリント14:29)とも語っています。

・見分ける道:
「見分ける」ということばは、正しいコインを偽物から見分けるときに使われます。銀行の職員が、手触りで偽札を見破る力を持っているように、私たちは真の聖書の教えに親しむことで、異なる教えを直ぐに見破る力を養っていただけるのです。私たちが説教ないしは説教者に対して批判的であってよい面があるとすれば、その人が聖書を真面目に解いているかどうかという一点だけです。あえて、「だけ」と言いました。ネクタイの色が派手であったとかなかったかとか、ジェスチャーが大袈裟であったとかなかったとか、それらは全く問題外です。
 
4.悪を避けなさい。
 
 
・疑わしきものも含めて:
「悪はどんな悪でも避けなさい。」の勧めの中の「どんな悪でも」とは、「悪の見えるものは」という意味です。はっきりと悪と分かることだけではなく、悪の形をしたものをも含めて避けるべきことが勧められています。良いか悪いか境目のようなものでも、疑わしきものからは決然と別れるべきなのです。刑務所の塀の上を歩くと言う表現がありますが、際どい境目で冒険をする必要はありません。日本の諺にも、君子危うきに近づかずとある通りです。

・良きものに執着する:
悪しきものを避けるだけでなく、よきものと見分けられたら、それをしつこく追求し、守る必要があります。
 
B.四つの勧めの繋がり(イラスト参照)
 
 
纏めとして、この4つの命令のつながりについて触れます。全く切り離された断片的なように見える命令が、その前の勧め、そしてその後の祈りとみんな繋がっているのです。分かり易い接続詞を入れて全体の流れを見てみたいと思います。

1.御霊による喜びと祈り(16-18節):
御霊による喜びをもって、御霊に動かされて祈りなさい。それがクリスチャンとしての最高の生き方です。

2.その御霊の働きへの協力(19節):
ですから、その御霊の働きを阻害するようなことを慎み、御霊に十分に働いていただくようにしなさい。

3.御霊の働きとしての預言の受容(20節):
その御霊の働きの重要な表れのひとつである預言活動を大切なものと評価し、語られる預言をしっかりと受け取りなさい。

4.異なる「霊」の識別(21節):
ただ、「霊の働き」とはいっても、聖霊によらない働きもありますから、正しい識別力をもってすべての働きを見分ける智恵を持ちなさい。

5.識別された「悪」との決別(22節):
その結果として、悪しき物と考えられるものからは、決然と遠ざかりなさい。

6.聖化のための祈り(23-24節):
あなたがたが悪から遠ざかるだけでなく、主が、あなたがたを全く清めてくださいますように。
 
C.御霊を消してしまう行動(A.B.シンプソンより)
 
A.B.シンプソンが「聖霊による歩み」の最終章の「御霊を消すな」という項目の中で、私たちが無意識な行動も含めて、「御霊を消してしまう」八つの行動について警告していますが、その中から四つを取り上げて、私たちへの警告としたいと思います。

1.御霊への不服従:
御霊の促しを拒む、例えば、証をしなさいと促されて、それに従わないと、御霊の継続的な語り掛けやお働きが止められてしまいます。

2.自己顕示的な説教:
説教者自身が、御言と主キリストから離れて、自分をひけらかしたり、時事問題に関して評論をしたりという世的な話をすることで、御霊の働きを大いに阻害することはあり得ます。

3.説教者への軽々しい批評:
御霊の語り掛けを聞いた説教の後で、本質的でない事柄について冗談交じりに批評を加えたりすることで、御霊の働きを消してしまうことがありえます。ある婦人の信者が、未信者である夫とともに集会に出て、その帰りに、説教者の誤りや癖などを挙げて軽々しく笑いなどしていました。ところが突然、その夫の腕が震え始め、その眼から涙が落ちるのを見ました。夫は静かに妻に向かって言いました。「私のために祈ってくれ。今夜、私はかつて無いほどに自分と言うものが見えてきた。」と。その時この婦人は、危うく夫の救いを妨げ、聖霊を消そうとしていた自分の姿を悟って恐れ戦いた、というエピソードが紹介されています。

4.世俗的な方法での教会運営や礼拝の仕方:
聖霊が働き給う教会の営みにおいて、世の中で行われている原理・方法論を導入することで、聖霊の自由な働きを止めてしまう事がありえます。主の御霊をして自由なお働きをさせなさい、というのがシンプソンの勧めです。
 
終わりに
 
 
今日のタイトルは「御霊を消すな」ですが、より積極的に「御霊の働きを燃え立たしめよう」というパウロのことばで終わりたいと思います。最近は鍛冶屋さんを見ることがなくなりましたが、一昔前は、ふいごの風を吹きつけながら、火の勢いを強くしている光景を良く見たものです。御霊に聴く機会を多く持ち、御霊と物語り、その御霊の語り掛けに従い、御霊により頼む生き方を身につけて、より一層、御霊の働きをいただくものとなりましょう。
 
お祈りを致します。