礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年2月20日
 
「天の神に祈ってから・・・」
ネヘミヤ記連講(3)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記2章1-10節
 
 
[中心聖句]
 
  4,5   王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた。
(ネヘミヤ記2章4-5節)


 
聖書テキスト
 
 
1 アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出た時、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。2 そのとき、王は私に言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜそのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私はひどく恐れて、3 王に言った。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」
4 すると王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、5 王に答えた。「王様。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」6 王は私に言った。――王妃もそばにすわっていた。――「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。
7 それで私は王に言った。「もしも王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜わり、私がユダに着くまで彼らが私を通らせるようにしてください。8 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜わり、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私がはいる家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。」私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。9 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。
 
はじめに
 
 
昨週は、故郷エルサレムの惨状を聞いたネヘミヤが、神の干渉を祈った祈りの中で、王への直訴の機会が与えられ、それが聞き届けられるようにという祈りを学びました。それが1:11の「どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」です。大切な面談の前に祈る必要があるというお話しをして終わりました。

今日は、その祈りが答えられた物語です。そして、この物語を貫く思想は、神の摂理です。神が全てのことを前もって準備なさり、その良きご計画に従って物事を進めなさる、これが摂理です。
 
A.摂理の不思議
 
1.予期しない事態(1-3節)
 
 
「1 アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。2 そのとき、王は私に言った。『あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。』私はひどく恐れて、3 王に言った。『王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。』」
 
・王への接近:
「アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月」とは、BC444年4月のことです。ネヘミヤが故国の危機についての知らせを聞いたのは、第二十年のキスレウの月(1:1、BC445年12月)のことです。その間4ヶ月、ネヘミヤはずっと祈り続けてきたことでしょう。アダム・クラークによると、非番が明けての初出勤の時だったようです。しかも、ニサンの月とはペルシャではお正月に当たりますから、そこは華やかな宴であったと思います。王も王妃もその中心におり、高級なワインが振舞われたことでしょう。

・思わぬピンチ:
その時、思いがけない形で会話が始まりました。ネヘミヤの顔つきが青ざめていたことを、王が見咎めたのです。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」王としては、同情的な気持ちからこの言葉を発したかもしれません。或いは、このようなお祝いの席で皆が弾んだ気持ちで居る時に、ひとり青い顔をしている給仕役の存在は目触りだという意味で言ったのかもしれません。ネヘミヤとしては、「しまった、これで万事窮す」と思ったことでしょう。というのは、献酌官が青ざめた顔で王の前に出ることは死罪に値する程の無礼なことだったからです。献酌官は毒見役ですから、いつでも元気であることが仕事の一部だったのです。「これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。」というのは、そのためです。

・ネヘミヤの告白:
ネヘミヤは止むを得ず、そして恐る恐る自分の悩みを打ち明けました。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」これはネヘミヤが考えていたシナリオ通りではありませんでした。でもこのように事柄が展開したので、思い切って正直な心を吐露したのです。危険は勿論覚悟の上です。ただ、この場では詳しいことは話しません。エルサレムとは名指しせず、「私の先祖の墓のある町」という婉曲な言い方をしました。これには背景があります。エルサレムは、その険阻な地形のゆえに、また、そこに住んでいるユダヤ人の頑固さのゆえに、簡単には外国の侵略に靡かない難攻不落の拠点として有名でした。かつて、エルサレム周辺の人々がアルタシャスタ王に送った手紙の中にも「あの反抗的で危険な町」と訴えています(エズラ4:12)。それに対して王は、「私が再び命令を下すまで、この町が再建されないようにせよ。」という命令を下しています(エズラ4:21)。その王様に対して、エルサレムの再建についての許可が欲しいとは簡単に言えませんでした。ここでネヘミヤがエルサレムを意味しながらも、「私の先祖の墓のある町」と婉曲に言ったのは、彼の深慮遠謀でした。
 
2.予期しない好意(4-6節)
 
 
「4 すると、王は私に言った。『では、あなたは何を願うのか。』そこで私は、天の神に祈ってから、5 王に答えた。『王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。』6 王は私に言った。――王妃もそばにすわっていた。――『旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。』私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。」
 
・王の好意:
王の前に青い顔をすると言う、打ち首に遭ってもおかしくないほどの状況でしたが、神が王の心を予め整えていてくださったせいでしょうか、王は優しくネヘミヤに接してくれました。「では、あなたは何を願うのか。」との質問は、ネヘミヤには驚きでした。ネヘミヤにとって失敗と思えることが、逆に勝利の糸口となりました。神の摂理の不思議さを感じます。

・まず祈って:
その時ネヘミヤは、「待ってました」とばかりに自分の願いを被歴しないで、「天の神に祈ってから」応答しました。ネヘミヤが、何故「エルサレムの再建を助けてください」と言う答えをストレートに出さなかったかという理由は先ほど説明しました。彼は「ユダの地、私の先祖の墓のある地」とぼかした言い方をしましたが、これも知恵のしからしむるところです。いずれにせよ、エルサレムを危険視していた王に対して、エルサレムの再建についての許可が欲しい、そのために公式な休暇を与えて欲しいとお願いすることは、のるかそるかの大冒険だったのです。

・更なる王の好意:
ちょうどその時、王妃もともに居たことが記されていますが、これも意味のないことではありません。王は、優しい気持ちを持っていた王妃の前でいい格好をしたかったのか、もっと好意を示します。この王妃の名前は聖書にはありませんが、歴史的にはダマスピアという人であったと考えられます。この王妃の存在も、神の摂理の一部であったことでしょう。さて、王は旅の期間について尋ねます。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」この言い方は、間接的ながら、休暇は許可すると言う意味です。
 
3.期待以上の答え(7-10節)
 
 
「7 それで、私は王に言った。『もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜わり、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください。8 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜わり、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私がはいる家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。』私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。9 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。」
 
・具体的リクエスト:
ネヘミヤは、王の好意に励まされて具体的なお願いを致します。第一はユーフラテス川の西側一帯の諸総督に宛てた通行許可の手紙を書いてもらうこと、第二は、材木の調達を許可していただくための依頼状を書いていただくことでした。特に、この地方の総督の中でも、ユダの北にあったサマリヤ州の総督サヌバラテはエルサレムの再建を脅威と考えていましたから、この手紙はどうしても必要でした。このサヌバラテという人物は、他の歴史資料にも出てくる男で、このパレスチナ地方の重鎮でした。彼が終始一貫ネヘミヤの企てに反対したのは、この背景があったからです。

・神の恵みの手:
ネヘミヤのリクエストは二つとも受理されました。その理由は、「私の神の恵みの御手が私の上にあった」からでした。これこそ、「この人の前で、あわれみをください」(1:11)祈った祈りの答えでした。もっと素晴らしいことは、ネヘミヤが祈った以上にことが進んだことです。アルタシャスタ王は、ネヘミヤに対して、「将校たちと騎兵を私につけてくれた」のです。更に、5:14を見ると、ネヘミヤを「ユダの地の総督」として任命したのです。これは、ネヘミヤが想像したよりも、また王様に要求したよりもはるかに好意的な、もっと言えば破格の待遇であったと思われます。ネヘミヤの感激の様が想像できます。
 
B.天の神に祈ってから
 
 
今日は上の物語の中の一節「天の神に祈ってから」という言葉に注目します。この祈りは、ネヘミヤ記の中で8回記録されている短祷(英語では、ejaculation)と呼ばれる短い祈りのことです。以下の場所に印を付けてみましょう。[@2:4、A4:4-5、B4:9、C5:19、D6:9,E6:14、F13:22、G13:29]短祷とは、突然の緊急事態とか行動と行動の間に、短く矢を射るように捧げる簡潔で焦点を絞った祈りのことです。この短祷について、いくつか思い巡らします。
 
1.まず祈る
 
 
事にぶつかるとき、事を始めるとき、難しい選択を迫られた時、「先ず」祈りましょう。試験の時、商談の時、誰かとのカウンセリングの時、言葉にならなくても、短くても、先ず祈りましょう。車を運転する前に祈る習慣も貴いものです。ただ、見送りの人を待たせての長いお祈りは避けたほうが良いと私は思いますが・・・。
 
2.発言の前に一呼吸
 
 
発言の内容は正しくても、細かい言葉遣いや態度一つで物が壊れることがあります。発言の前に、適切な言葉が与えられるよう、それを適切に語ることが出来るように真剣に祈りましょう。
 
3.要点を捉えるように
 
 
ネヘミヤは、自分が正しく述べられるように、また、その言葉が正しく受け入れられるように祈りました。何を語り、何を語らないか、これは私たちの会話でも、会議の席でも大切なことです。観察していますと、時々、何も考えずに、言葉が自然に口を衝いて出て来るというような話し方をする人がいます。これでは、聴く方もくたびれますし、語る方も効果を発揮できません。発言の前に「要点を捉えて話せるように」と祈ることが大切ですね。
 
4.神の恵みが働くように
 
 
このネヘミヤの言葉は王の心を動かしました。それは、「私の神の恵みの御手が私の上にあった」からだ、とネヘミヤは考えました。そうです、神の恵みは、話し手にも、聞き手にも及ぶものです。ネヘミヤは、神が生きておられること、祈りに聴き給うお方であることを信じていました。ですから、いつも祈ったのです。
 
5.祈りの生活が背景
 
 
この短祷は、聖なる交わりの中に長い時間を費やすこと無しに得られる習慣ではありません。しっかりしたデボーションの習慣があって初めて、忙しい雑踏での短祷が生まれるのです。
 
おわりに
 
 
・短祷を実行しよう:
私たちの生活の中のあらゆる場面で、短祷を実行して見ましょう。色々なことが変わってきます。

・短祷の基礎となる祈りの生活を:
同時に、その前提となる祈りの習慣をもっと大切に捉えて、身につけましょう。
 
お祈りを致します。