礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年2月27日
 
「感動が広がる」
ネヘミヤ記連講(4)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記2章7-18節
 
 
[中心聖句]
 
  18   私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。
(ネヘミヤ記2章18節)


 
はじめに
 
 
昨週は、故郷エルサレムの再建を願ったネヘミヤが、その計画をペルシャ王アルタシャスタに直訴し、受け入れられた物語を学びました。特に、そのすべてを動かし給うた神の摂理に目を留め、さらに、それを齎した祈りについて学びました。今日は、そのネヘミヤを動かした神の感動が、エルサレム周辺の住民に及んでいった様を見ます。2章後半の物語の鍵となる言葉は「神の恵みの御手」と捉えることができるのですが、鍵言葉に沿って物語を見ましょう。
 
<「神の恵みの御手」が働いた物語>
 
 
1.それは、ネヘミヤの帰還を助けた(7-11節)
 
 
「7 それで私は王に言った。『もしも王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜わり、私がユダに着くまで彼らが私を通らせるようにしてください。8 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜わり、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私がはいる家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。』私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。9 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。」
 
・アルタシャスタ王の心が動く:
献酌官であるネヘミヤが、王の前で青い顔をしていたという職務上の大失態が、実は王との会話を生むきっかけとなり、故国に帰りたいと言うネヘミヤのリクエストを述べる機会となりました。

・リクエストを超えた王の好意:
ネヘミヤのリクエストは、@エルサレム再建許可、A休暇許可、B通行許可、C材木調達許可という4点でありましたが、それらはみなクリアされただけでなく、D護衛兵帯同、Eネヘミヤのユダヤ総督任命、というおまけまでつきました。これは驚くべきことです。「危険で反抗的な町」というレッテルが貼られていたエルサレムの再建に対して周辺諸国の大反対があり、アルタシャスタ王自身が、その許可を拒絶した過去があったからです。それをひっくり返すような寛大な王の措置の理由は「私(ネヘミヤ)の神の恵みの御手が私の上にあった」(7節)からでした。

・ネヘミヤのエルサレム帰還:
(ペルシャ帝国の地図参照)「こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。」(11節)という短い文章の中に、ネヘミヤの感激の様が想像できます。地図を見てお分かりのようにペルシャの首都シュシャンからエルサレムまでは、直線にして約千キロ、ユーフラテス川沿いの旅ですから千五百キロの道程です。大変な大旅行をして、ネヘミヤにとっては初めて見る故国に辿り着きました。三日間は休養です。当然でしょうね。

 
2.それは、ネヘミヤの視察を助けた(12-16節)
 
 
「12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。」
 
・密かな視察(エルサレム地図参照):
四日目の夜、ネヘミヤはガバッと起きました。供の者が数人、何事かと一緒に起きました。ネヘミヤは黙ってロバを用意させ、行く先も目的も告げずに出発しました。供の者たちも敢えて目的を聞かず、黙って徒歩で付いてきました。ネヘミヤはエルサレムの外壁に沿って視察を始めました。その行程は地図にあるとおりです。矢印を見ていただくとお分かりのように、エルサレムの城壁を一周したのではなく、西南の門から南の縁を通り、東南から少し北上して、引き返しています。瓦礫が散乱していて、大変通りにくかったのです。これだけでもネヘミヤは十分目的を果たしました。

・なぜ隠密行動?:
総督としての立場にあり、正式な任務を帯びてエルサレムにやってきたネヘミヤですから、夜中コソ泥のように歩き回らなくても良さそうなものです。しかし、ここにもネヘミヤの用心深さが伺えます。

@現場確認のため:
第一に、この行動は、ファーストハンドの理解を得るために必要でした。偉い人々が現場を知らないまま判断したり、命令したりするケースは良く見かけます。しかし、ネヘミヤは現場主義の男でした。直接に自分の目で見、足で歩き、匂いを嗅いで状況を掴みたいと思いました。そうでなければ、3章に見られるような組織的な行動計画は立てられません。彼は、破壊のひどさを実感しました。同時に、バラバラにされた石は、そのまま再建の材料として使えるという確信も得たことでしょう。

A秘密護持のため:
第二の理由は、敵に知られないためです。10節を読みましょう。「ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは、これを聞いて、非常に不きげんになった。イスラエル人の利益を求める人がやって来たからである。」到着の前から、ユダヤ人の安寧を求めてやってきたことを面白くないと思っていた人々が居たのです。この人々の背景については次週に触れますが、いずれにしろ、彼らは鵜の目鷹の目でネヘミヤの行動を見張っていました。恐らく、ユダヤ人の中にもスパイを送っていたことでしょう。彼らに知られたら、どんな妨害工作をするか分かりませんでした。アルタシャスタ王の治世の初期には、彼らの反対で再建中止となった事実がありましたから、彼らがまたぞろ、アルタシャスタ王に訴えないとも限りませんでした。

B人心統一のため:
第三の理由は、ユダヤ人の中にもあったネヘミヤへの疑心暗鬼への対応と考えられます。彼らは、エルサレムの城壁が壊れたまま何とか生活している数十年と言う歴史がありました。不安定なら不安定なりに暮らしていたのです。今更大袈裟な城壁再建などと騒がなくても、このままの生活でいいではないか、という現状維持的な考え方の人々も多くあったのです。或いは、再建をしなければと思いつつも、その手法や財源などを廻って多くの異なる意見がありました。ですから、そのような雑多な人々をプロジェクトに巻き込むには、大変な苦心が必要だったのです。百家争鳴の議論は、却って混乱を生む危険がありました。少なくともこのような困難なプロジェクトについては、一挙に一つの方向に持っていかなければ成功しません。今の日本の政治家にこのような注意深さがあればと切に祈ります。

・神の与えた実際的知恵:
私は、こうしたネヘミヤの注意深い行動の中に、神が与えなさった知恵を見ます。私は、祈り深さは知恵深さに通じるものがあると思います。
 
3.それは、民を感動させた(17-18節)
 
 
「17 それから、私は彼らに言った。『あなた方は、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。』18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、『さあ、再建に取りかかろう。』と言って、この良い仕事に着手した。」
 
・民の招集:
この隠密の視察旅行の翌朝、ネヘミヤは民を招集しました。その民とは、その前の16節のリストにある人々プラス全民衆です。「祭司(宗教指導者)たち、おもだった人(上級市民)たち、代表者(民衆から選ばれた政治指導者)たち、工事をする者(建設者)たち」そしてユダヤ人(民衆一般)たちが、そのとき初めて召集され、何事かと集まって来ました。

・演説:
ネヘミヤの演説が始まりました。それは、三つの部分から成り立っています。

@現状認識:
「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。」と現状認識を迫ります。彼のスピーチの「人称」に注目しましょう。「あなたがたは」と二人称で聴衆に語り掛けましたが、直ぐに、「私たちの」と一人称複数に切り替えています。ネヘミヤは新参者でしたが、直ぐに自分を人々と一体化しています。そして、困難を指摘します。「困難」とは、ヘブル語ではラーアーで、辞書を見ると「悪いこと、悲惨さ、患難」と言うような強い言葉です。壁が廃墟となり、門が焼け落ちていると言う現状です。皆さんの家には壁があり、玄関がありますね。両方とも壊れて、出入り自由の家には落ち着いて生活できません。昔の町と言うのは、城壁に囲まれて初めて安心して生きられたのです。ですから、エルサレム住民は落ち着いた生活など不可能でした。

A目標設定:
彼はプロジェクトの目標を示します。「エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」私たちが人々に何かを訴えるとき、目標が明確であることが大切です。ネヘミヤは、経済政策や景気の問題、安全保障の問題、老後の生活の問題などをごたごたと持ち出さず、ただ一点、城壁の再建だけを訴えました。城壁再建こそ、もろもろの課題解決の入り口だったからです。それは彼らの安全を保障するだけでなく、ユダヤ人の宗教の中心であるエルサレムを、それに相応しく値積もることだったからです。私たちも他人にものをお願いするとき、その要望を明確に絞ることが大切ですね。

B恵みの証し:
ネヘミヤは、「私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことば」を彼らに証しました。証は強いですね。実際に彼の身に起きたという強さがあります。それも自慢話ではなく、神が如何に摂理を動かして働いてくださったか、神がアルタシャスタ王を動かして、想像もつかないような好意をネヘミヤに与えたかを「私の神の御手」の業として淡々と語ったのです。私たちの証しもこうありたいものです。神の感動がネヘミヤ自身を動かし、王を動かしました。その同じ感動がエルサレム住民をも動かしました。「神の御手」という表現に注目しましょう。何か巨大なグローブの様なものを連想させる言葉です。これは一種の擬人法(目に見えない神を人間的な形で表現するもの)で、神が人間のような形の手を持っておられるのではなく、神のみ業の具現化を表すものでしょう。エルサレムの城壁を再建築するという大事業に取りかかったネヘミヤにとって、只一つ頼りとしたものは、神の力強い御手でした。さらに、この神の御手は「恵」の御手であった、ということです。私達を常に祝してやまない愛の御手なのです。ネヘミヤは故国の救いのため真剣に祈りました。その答えが神の恵みの手でありました。

・結果:
人々は異口同音に答えました。「さあ、再建に取りかかろう。」と。そして「この良い仕事に着手した」のです。この部分の英訳はThey encouraged themselves for the good cause.(彼らは良い事のために彼らの手を強くした)となっています。ネヘミヤに賛同したのでもなく、強制されたのでもなく、神の感動を受けて、自発的、自主的に再建に取り掛かろうと意思表示したのです。すばらしいことではありませんか。20節にも、神の感動の様子が記されています。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。だから、その僕である私たちは再建に取り掛かっているのだ。」
 
終わりに:教会の建設に力と心を協せよう
 
 
新約において、私たちは教会建設のために召されています。目に見える会堂建設ではなく、内面的なキリストの体の建設です。こんなに光栄な、こんなに大切な召命はありません。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられる」(エペソ4:16)とあるのは、その意味です。この曲がった暗い世の中で、キリストの教会がしっかりと建設されていくことは、社会に対して大きなインパクトを与えます。仲良しクラブ的な楽しい教会が出来たら嬉しいね、という次元の話ではありません。キリストのみ体である聖い愛が働く共同体の建設です。今日は「教会を建つべし」という歌で締め括りますが、私たちの内なる教会建設のために、心を合わせましょう。そして祈りましょう。また、私たちがそれぞれに与えられた分野で心を尽くして労する者となりましょう。
 
お祈りを致します。